ネット社会の未来を問題を考える >> 第2回特別講演会(2002.7) >>

アメリカ同時多発テロ事件後の監視
−Surveillance after September 11, 2001−

David Lyon
Queen's大学教授

1. 監視とは
 「監視(Surveillance)」とは、フランス語の「surveiller」という言葉が語源となっており、日本語で使われるような意味だけではなく、「保護する」という意味も含まれ、非常に多義性も持つものです。例えば、「子供を見ていてください」と言った場合、「子供たちを危険から守る」と「子供たちが悪いことをさせない」という意味があります。ですから、英語の「監視」は多義性を持ち、「保護」と「管理」という2つの意味をもつのです。監視とは、何らかの個人的な詳細情報に注意を払い、特定の何かを知るために、注意を集中すること。また、監督を通じて強い影響を与えることにより管理することを含むのです。

2. 事件
 2001年9月11日に起きたNYの同時多発テロ事件は、「監視」という問題においても変化をもらたしました。この事件以降、新技術を用いて複数の国でセキュリティと監視が強化されるということが起こっています。テロリストの攻撃はアメリカに対するものでしたが、影響は世界中に及んでおり、監視においても「世界的な事件」だったといえるのです。この事件を通じて、社会的・政治的な変化を見て取ることができます。

 大きな変化としては、新しい技術の導入があります。監視は必ずしも技術が必要というわけではありませんが、今回の事件によって、新技術を使わなければならないという風潮が生まれてきています。9月11日以降、全てが変わってしまったわけではなく、変わっていないものももちろん存在しますが、監視が強化され、技術的ソリューションが強調され、国家による監視が強化されることになるのです。

3. 反応
 具体的な変化としては、「法的」「技術的」な2つの反応がありました。
 まず、「法的」な反応については、複数の国で、特に米国愛国者法に代表される反テロリスト法が制定されたということが挙げられます。このような法の目的は、国境や空港におけるセキュリティを強化し、警察や情報機関に特別な権限を与え、攻撃に対して政治的な対応をより迅速に行うことです。こうした法律の法的要件は監視の強化です。例えば、警察が個人の詳細情報を把握するといった、新しい種類の監視が認められるからです。しかし、このような法的措置がどれだけ新しく、かつ必要であるのかについては議論があり、カナダにおける反テロリスト法についての議論においても、「措置は特別に必要ではない、既に既存の法律で対処されている」という反論が起こっています。

 次に、「技術的」な反応については、通信傍受、バイオメトリック(生物測定学を利用したセキュリティ)、IDカード、それに顔認識を用いたCCTVなどいろいろな技術が登場しました。しかし、このような新技術による監視措置によって、意図する成果が必ずしも達成されるとは限らないこと、また意図しないどのような結果が起こるのかが明確でないということが問題であるといえます。目的がテロリズムの防止であるのならば、こうした技術が実際にどのように機能するのかは予測しがたく、システムを稼働させれば何らかの形でより多くの一般市民が監視下に置かれることになるのです。このような意図しない結果というものは、十分な注意が必要なものとなります。また、テロ事件について「なぜアメリカに対してテロリストの攻撃が行われたのか」について理解を深める取り組みなどの反応も可能なわけですが、実際には技術的なソリューションが推進されがちなのです。

4. 社会学
 次に、社会学的にも変化が起こってきています。監視には社会学において3つのモデルあるいはパラダイムが存在します。

 1番目のモデルは、ジョージ・オーウェルの「1984年」という小説から生まれた「ビッグ・ブラザー」による監視です。これは、国家による監視であり、中央国家権力と官僚組織の合理化を強調しています。これは初期の監視であり、特に1970年代以降のコンピュータ化以降のプライバシーに関する議論では、しばしばビッグ・ブラザーのような完全な管理というものを念頭に置いたモデルが用いられました。

 2番目のモデルは、もともと1793年にジェレミー・ベンサムが提唱し、20世紀の哲学者、ミシェル・フーコーにより一般に知られるようになった「パノプティコン(一望監視施設)」です。これは、円形の監獄施設で、囚人は施設の周縁にある独房に入れられ、看守は施設の中央にある塔から囚人たちを監視するというものです。これが新しかった点は、看守はシェードの背後にいて、囚人を見ることはできますが、囚人から看守を見ることはできないというスクリーニング・システムです。囚人は自分がいつ看守から監視されているのかを知ることができません。これは人間の物理的・肉体的な抑制から心理的な抑制への移行を示すものであり、このことによって生じた不確実性によって人を望むように管理することを意味するのです。

 では、200年以上前のこの考えが、現在にどのように当てはまるのでしょうか。監視のコンピュータ化以降、パノプティコンの原理が強化拡大されていると論じられています。これには「見えない監視者」と「分類」という2つの側面があります。「見えない監視」の例としては、最近英国で発表されたCCTVによる監視があります。CCTVシステムは結果的にあまり有効に機能しませんでしたが、CCTVが特に効果的であったのは、完成して稼働する前だったのです。政府が通りにカメラを設置して新しいCCTVシステムを作ると発表した時、犯罪発生率が減少しました。これは、いつシステムが稼働するのかがわからないという「不確実性」が生じたためであると考えられます。次に「分類」の例は、ベンサムは監獄で囚人を犯した犯罪によって分類し、リスク・プロファイリングが既に存在していたことです。しかし、これはリスクだけではなく機会も含まれています。例えば、eコマースの場合はセールスの機会についてプロファイリングを行うことができるのです。

 3番目のモデルは、「アセンブラージュ」です。このモデルでは、中央集権的な結びつきはずっと弱くなり、個々の動きや流れは緩くなり分散化しますが、ネットワーキングが存在するようになります。国家や警察による監視とマーケティング的な監視がお互いに結びついてきています。この結びつきは、9月11日以降、特に明らかになりました。新聞やテレビを通じて、私たちはハイジャックに関係した人々の画像をコンビニといった日常生活の文脈の中で見ることができ、電話の通話記録やオンラインのチケット予約記録、電子メールの使用等日常的なやりとりの記録も、警察や情報機関が犯人を見つけだすための取り組みの一部となっていたのです。この様なことが可能となる理由の一つは、基本的に同じような監視方法が用いられていることです。データ上の双子、あるいはデジタルによるペルソナが作られており、さらに検索可能なデジタル・データベースが使われているからです。

 このように、社会学的に3つのモデルが存在し、中央集権的な監視からネットワーキングによる監視へ移行しているのです。しかし、中央集権的な監視もいまだに存在しています。

5. 結果
 9月11日の事件はパニックと罪の擦り付け合いをもたらしました。まず、テロに対する反応が適切であったかという問題があります。政府は自分たちの強さと将来的な攻撃に対して備えがあることを強調し、さらに反応の遅さや事件を予測できなかったことに対して例えばFBIのようなある組織に対して非難をしました。同時に、テクノロジー企業に対して、セキュリティを強化する機会が与えられました。

 2番目のポイントは開示と差別です。これらは監視の異なった局面であり、データ保護、プライバシー、言論の自由、法、そして政策についての古いモデルを超える必要があります。プライバシーの議論では、しばしば不適切な開示、自分のことを自発的でないかたちで他人に示すことが問題であるとされいます。監視とプライバシーは個人的な問題であるという前提から、不適切な開示について関心を持つことは非常に重要なのです。また、現在の監視で起こっているのは、分類化による差別です。システムの自動化を進め、検索可能なデータベースを使用するほど、カテゴリーもまた増えていくのです。これに対しては、監視の倫理的・政治的な意味を認識することが重要なのです。

 3番目に考えなければならない問題は、監視される者、すなわち私たち全員が監視に関わることです。私たちが抵抗あるいは疑問を示す余地は残されており、この個人データは提供するがこちらはだめだと交渉したり、あるいは私の個人情報は与えられないと抵抗することもできます。システムは、どこまでを対象とし、どこまでそれに従うかに依存しているのです。単に技術や集団の力によって決まるわけではないのです。

6. 問題
 以上のことから、今後論議すべき3つの重要な問題があります。
 まず、20世紀後半に起こった重要な変化の一つは、コンピュータの使用、そして最終的に検索可能なデータベースの使用により、監視が技術的なものになったという点です。機械は、人間の目的のために、人間によって規則を与えられます。特に、規則に関する疑問や、規則をどのように決めれば良いのか、カテゴリーとしては何を使うのかといった問題について、倫理的な反省や、民主的な熟慮の余地があります。

 次に、監視に関してより多くの技術が用いられることで、監視の関心が未来に向けられるようになってきています。「事件が起こる前に」これを防止すること、未来を先取りすることが重視されています。しかし、データベース上のデータが少ないほど、システムの信頼性は低くなり、また誤報の可能性も高くなるという問題があります。

 最後の問題は、監視が社会生活の中心であるという点です。9月11日というレンズは、私たちの生活の非常に多くの部分が既に監視下に置かれていることを示してくれました。新しい監視の形もでてきていますが、システムとして巨大化している従来の監視も残されています。技術に対する素朴な信頼はいまだ厚く、そのために予期せぬ結果が起こる可能性があります。監視が非常に全体的・体系的に行われるようになる中で、組織が誰のデータをどのように処理しているのかを答える方法を考えなければなりませんし、そこでは組織の説明責任が重要となります。監視が強化される中で、大切なのは、私たちがそのことを意識することです。監視が管理のみであるということはないはずです。保護と管理を両方の意味ではっきりさせる必要があるのです。