2017年5月8日掲載 ITトレンド全般 Global Perspective

キッシンジャーが語るインターネット:氾濫する情報から体系的に思索ができるか


Photo by University of Michigan's Ford School – An evening with The Honorable Dr. Henry Kissinger and The Honrable Paul H. O'Neill, a Ford Centennial event(2013) / CC BY-ND 2.0 http://bit.ly/2pXbXct

中央公論(2017年3月号)の「トランプ政権発足 識者は語る」という特集で、ヘンリー・キッシンジャー氏へのインタビュー記事がある。その中でキッシンジャー氏がインターネットについて以下のように述べている箇所があったので、引用して紹介したい(下線、筆者)。

---トランプ氏が駆使するツイッターなど、インターネットの存在が世界の政治、民主主義の形を根底から変えようとしている。ネット社会がもたらす変化についてどう考えているか。 

それは思想家たちにもぜひ考えてもらいたい深遠なテーマだ。私はインターネットが人類の性質そのものを、まったく予期しない形に変えてしまったと思っている。

それはなぜか。歴史的に見て、知識を身につけることは大変な困難を伴うものだった。情報を得ることが難しかった上、知識を得るためには、得られた情報をもとに自分で考えるということが必要だったからだ。

しかし現代は異なる。知識を得るということと、得られた知識を理解するということが同義ではなくなってしまった。両者の間に大きな隔たりが生じてしまっているのだ。

確かにインターネットはボタンを一押しするだけで、実に多くの情報を得ることができる。しかし、それが可能になったことによって、われわれは得られた情報を記憶しなくなると、様々な情報を取り入れて、体系的に思索するということができなくなる。

それで、どうなったかといえば、知識力が著しく損なわれる結果を招くこととなった。そして、何もかもが感情に左右されるようになり、物事を近視眼的にしか見られなくなる。私はこれを大きな問題だと思っている。多くの人がこの事象をさらに研究して、対策を考えるべきだろう。

---あなたが掲げるレアルポリティーク(現実主義外交)は、情報を精査して得られた知識を活用して、平和と安定に寄与するという理性的な取組と思うか。これに対し、トランプ氏はツイッターで感情むき出しの「つぶやき」を繰り返し、ネット社会の申し子のようだ。

私が言わんとしていることはより広範なテーマであって、トランプ氏だけを念頭において語っているのではないということは忘れないでほしい。これは現代政治に共通するパターンのようなものだと感じている。

トランプ氏がしていることについては賛否両論あるだろうが、彼が熟慮の末にそのようなことをしているのだという主張が成り立つかもしれない。あるいは、トランプ氏の周辺に、まだ彼のことを補佐する人間が十分にそろっていないためなのかもしれない。しかし好むと好まざるとにかかわらず、彼がやっていることは新年に基づくものなのだから受け止める必要もあるだろう。しかし、これはインターネットの問題とは、別問題かもしれない。

(「中央公論」 2017年3月号,  P.100より引用。インタビューは読売新聞はニューヨーク支局長の吉池氏が担当)

キッシンジャーは、ニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官を務めた国際政治学者。1923年にドイツで生まれたキッシンジャーはユダヤ系であるために、反ユダヤ主義を掲げるナチスドイツの迫害を逃れて1938年にアメリカに移住。歴史に「もし」は禁物だが、ひょっとするとナチスによる迫害で命を落としていたら、20世紀の歴史は変わっていたかもしれない。そのようなバックグラウンドのせいか、伝統的リアリストとしてアメリカの国益を重視し、それを守ることを対外政策の基本としていた。アメリカの基本的な政策はヨーロッパとアジアの2つの大陸において、アメリカを脅かす国家や勢力が台頭することを防ぐことだった。ニクソン政権時にはベトナムからの撤退を図り、ソ連や中国に対してデタント政策を展開し、伝統的な勢力均衡外交を展開していた。冷戦後にはアメリカは、アジア、ヨーロッパにおいて自らに脅威を与える国が台頭しないように地域のバランスを取るように、その力を行使するようにと論じていた。さらにイラク戦争以降は民主主義などの価値や国家建設と国家利益の統合がアメリカ外交の目標と語るようになった。キッシンジャーにとって情報は、まさに命脈だった。まさに20世紀の歴史の歩く生き字引のようなキッシンジャーがインターネットに語っている。

 氾濫する情報から体系的な思索ができるか

この特集記事自体はトランプ政権の行方についてキッシンジャーがインタビューに答えているもので、インターネットのことをメインとしているものではなく、上記以外でインターネットについて触れている箇所はない。非常に考えさせられる箇所が多い。キッシンジャーが若い頃は当然、現在のように誰もが簡単にスマホでネットにアクセスして世界中のあらゆる情報を入手できる時代ではなかった。今では、朝起きたらスマホで天気やニュースをチェックし、LINEでやり取りをして、音楽や動画もスマホで楽しむ。仕事でも日常生活でもインターネット無しには何もできない時代になっている。もはやインターネットがなかった時代を想像することすら困難だ。朝起きて、夜寝るまでスマホやネットに接続することなく、生活ができる人がどのくらいいるだろうか。だが1923年生まれのキッシンジャーだけでなく、それ以降の昭和時代も長年に渡って、インターネットもスマホもなかった。一般の人が気軽にインターネットにアクセスするようになったのは、Windows95が販売された1995年からで、日本では特に携帯電話のi-modeなどで誰もが気軽にアクセスするようになった2000年代初期からだ。

 かつてはキッシンジャーが語るように、ネットで簡単に情報が得られなかった。新聞や本を読むなり、学校に行って授業に出て情報を得た。テレビが登場すると、テレビからも情報を得られるようになったが、現在のネットに比べると情報量は圧倒的に少なく、ネットのように知りたい情報をこちらから探しにいけるものと違って、テレビから一方的に押しつけられるものだった。

 キッシンジャーは、現代を生きる我々に対して、情報が氾濫することによって、情報を記憶することができずに、そのため体系的に思索することができなくなると警鐘を鳴らしている。そして知識を得るためには得られた情報を元に自分で考える必要があると指摘しているが、これは現在でも変わらないだろう。誰もがスマホを所有して、知りたいことがあるときには、すぐにネットにアクセスして何でも検索すれば情報は出てくる時代になった。だが、どのような分野であれ、日常生活であれ、検索結果として出てきた情報を元に体系立てて、自分の頭で考えなくてはならないことは今も昔も変わらないだろう。むしろ情報量が圧倒的に多い現在の方が、大量にある情報の中から取捨選択して、その情報の歴史的背景や発言の意図を理解して、体系立てて思索する能力が求められている。

 そしてキッシンジャーは、インターネットの普及によって、現代のネット社会では「何もかもが感情に左右されるようになり、物事を近視眼的にしか見られなくなってしまっている」ことへの危惧を露わにしている。たしかに、ネットには間違った情報や、掲示板やSNSには感情的な書き込み、フェイクニュースなどが氾濫している。ネットにある大量の情報や誤った情報、書き込みなどに冷静に対応できなくなり、何が正しいのかがわからなくなり、感情のもつれによる人間関係の崩壊、ネットいじめ、さらには人種差別やホロコースト否定など新たな問題も生じている。

 インターネットに氾濫する大量の情報に近視眼的にならないで、冷静に判断できる能力が求められるようになっている。ネットでは情報収集した情報を組み立てて咀嚼するだけでなく、情報発信する際にもそのような才が必要となる。例えばSNSへのちょっとした書き込みで、誰かが傷つくのではないかといった小さな想像力があるだけでよい。そのためにも、多くの情報を元に自分の頭で思考することによって現在の状況を冷静に把握し、未来を予測する知力がますます重要になってきている。

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