2017年5月17日掲載 ITトレンド全般 Global Perspective

『アウシュヴィッツの図書係』から考える現代のスマホ社会



ホロコースト関連の書籍は全世界で既に何千冊以上も出版されている。日本語訳されているのがどの程度のあるのかは不明だが、決して多くはない。多くが翻訳されたものであり、日本人としてリアリティと共感が少ないからだろう。そして日本では公立の図書館と教育機関や一部の人しか購入しないからビジネスにならないのも一因だろう。それでも体験記や歴史書、学術書まで1年間に何冊かのホロコースト関連の本が日本でも翻訳され、出版されている。

 『アウシュヴィッツの図書係』(アントニオ・G・イトゥルベ著、小原京子訳、集英社、2016年)は第二次大戦中にユダヤ人であるという理由だけで絶滅収容所アウシュヴィッツに移送され、そこでの地獄を生き抜いてきたチェコ人の少女ディタ・クラウスの実話を元に書かれた小説だ。1929年生まれのディタがアウシュヴィッツで過ごしていたのは多感な10代。アウシュヴィッツという地獄の中で、ユダヤ人の囚人らがユダヤ人の子供たちに勉強を教える学校が作られ、そこでのディタの役割は図書係だった。小説の詳細は同書に委ねるが、同書を一部引用しながら現代の社会を垣間見てみたい。

収容所にこっそりと持ち込まれた本がある。ディタは、どの先生にどの本を貸し出したかを覚えておいて、授業が終わったら本を回収し、1日の終わりに隠し場所に戻す。

図書館と言えるほどのものではなかった。本は8冊しかなく、ずいぶん傷んだものである。でも本は本だった。(同書P.37、P.38)

そして絶滅収容所において本を持っていることは処刑対象であり、ディタの図書係の役割は命がけの仕事だった。

収容所で本を持つことは、見つかれば処刑されてもおかしくない。第三帝国の冷酷な看守たちがそこまで恐れているもの、それは銃でも、剣でも刃物でも、鈍器でもない。それはただの本だった。表紙がなくなってバラバラになり、ところどころページが欠けている読み古された本。人類の歴史において貴族の特権や神の戒律や軍隊規則をふりかざす独裁者、暴君、抑圧者たちは、アーリア人であれ、黒人や東洋人、アラブ人やスラブ人、あるいはどんな肌の色の、どんなイデオロギーの者であれ、みな共通点がある。誰もが本を徹底して迫害するのだ。本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。(同書P.10、下線筆者)

 縁がこすれ、ひっかき傷があり、読み古されてくたびれ、赤っぽい湿気によるシミがあり、ページが欠けているものもあるが、何ものにも代えがたい宝物だった。困難を乗り越えたお年寄りたちのように大切にしなければ。本がなければ、何世紀にもわたる人類の知恵が失われてしまう。本はとても貴重なものなのだ。私たちに世界がどんなものかを教えてくれる地理学。読む者の人生を何十倍にも広げてくれる文学。数学に見る科学の進歩。私たちがどこから来たのか、そしておそらくどこへ向かっていくべきなのかを教えてくれる歴史学。人間同士のコミュニケーションの意図をときほぐしてくれる文法・・・・(同書P.40、下線筆者)

スマホの普及で氾濫する文字(テキスト)

現代の日本や多くの国では本を所有しているだけで処刑対象になることはない。好きな時に好きな本を買って読むことができる。あらゆるジャンルの本や雑誌が氾濫している。現在、日本だけでなく世界規模でスマホやネットの普及で電子書籍での読書が増加したのか、本が売れなくなったと言われる。また本の購入自体も、街の本屋ではなくアマゾンや楽天などネットでの購入が進み、実際に街の本屋さんは姿を消している。だがスマホの普及で人々は以前よりも圧倒的に「文字(テキスト)」に触れる時間と機会は増加している。

 ニュースや天気予報だけでなく、有名人やタレントのブログやTwitterのチェックもスマホでできる。読み終わった後に場所を取らないので雑誌も紙で購入するよりもスマホで見る方が効率的だ。あらゆる情報がスマホで代替できるようになった。それら情報は文字(テキスト)と写真、動画などである。さらに「歩きスマホ」に代表されるように常にスマホが手元にないと不安で仕方ない。LINEで有人らとコミュニケーションをしたり、FacebookなどのSNSに自分の些末なネタをアップして、他人からの「いいね」に喜んで承認欲求を充足させている。さらに自分ではSNSに投稿しないで、他人の生活や些細なネタが気になって仕方ないのか、常にSNSをチェックして時間を潰している人も多い。

 文字(テキスト)への接触時間はスマホの普及で圧倒的に増加したが、それらの文字(テキスト)を通じて、どれだけ思索しているだろうか。スマホで見ている、あるいは読んでいるテキストを通じて、何をどのくらい学んでいるだろうか。スマホに表示されているテキストから「新たな情報」を得ることは多いだろうが、それらの情報は、どのくらい読者の頭の中で咀嚼され、人類の叡智になっているだろうか。SNSやLINEなどで、有名人や友人の動向やらニュースをチェックして、多くの情報をインプットしたつもりになっているが、それらの情報が自分の人生にとってどれだけの価値があるのか。気が付いたらスマホをチェックしていて時間だけが無駄に過ぎてしまったと後悔している人が多いのではないだろうか。

 たまには自分の日常生活と全く関係のない歴史や哲学、生物学や宇宙の本などに触れてみると、全く違う世界を見ることができる。いつ殺されるかわからないアウシュヴィッツのような地獄でも、限られた本を命がけで守ってきた。そして本を通じて自由で未知な世界への想像力を働かせることでき、絶滅収容所という地獄の現実から逃避できる数少ないツールであり、贅沢品だった。

 このような地獄の環境に21世紀の日本人が追い込まれることはないだろう。現代の日本では本だけでなく、スマホの普及であらゆる情報に簡単に接することができる幸福を改めて感じる。その幸福な環境をどのように活かしていくのかが問われている。次の瞬間には死ぬかもしれない絶滅収容所の囚人たちから見たら、我々は物凄く恵まれた環境で生活している。

古株の囚人が新参者に決まって与える第一の教訓は「生き延びることだけを目指せ」ということだ。数時間生き延びる、それが重なれば一日になり、さらには一週間になる。そうやって生き続ける。大きな計画は決して立てない。大きな目標は持たない。ただ、一瞬一瞬を生き延びる。アウシュビッツでは「今を生きる」しかない。PP.19-20

 (参考)アントニオ・G・イトゥルベ著、小原京子訳『アウシュヴィッツの図書係』集英社、2016年

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