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志村一隆「ロックメディア」
2008年10月掲載
ロックメディア 第20回

視聴形態の変化〜高関与から低関与へ


志村一隆(略歴はこちら)
写真1 この前、25歳の女性と話していたら、こんなことを言う。「小学校のとき友達が付き合ってた彼氏とその友達と豊島園でダブルデートしたのが人生初デート」、「中1のとき、渋谷のモアイ像の前に電話ボックスがあって、テレクラに電話して男性を呼び出して、来た来たって笑ってた」彼女は、高1、高2のとき、ガングロ、アイラインは白くてピカチューの着ぐるみでセンター街を歩いていた。なるほどね。

 これは働いて2〜3年目の子たち複数から聞いた言葉だ。「私より、うまくやる人がいるんだから、それはその人に任せたほうがいいと思うんです」最初から自分の成長を放棄している。

 友人の子供が湘南ベルマーレの下部のまた下部組織でサッカーをやっている。といってもまだ小学2年生だ。友人が言うには、「いやぁ、小さい頃から目立つ子はいるねぇ。ゴール前であっち抜いてこっち抜いて、それでパスッ!みたいな」私は思わず、「そこでシュートは?」と言ってしまった。

 マーケティング用語に「関与」という言葉がある。「関与」は「involvement」の日本語訳で、対象に対して関心を表すことである。関与、関心、興味は、パーソナルなもので、それを全体と比較する場がないと、個人の関与・関心は広がらない。知るほどに未知の世界の広さを知り、自分を謙虚になることがない。

 ポケベル・ピッチを中学生時代に既に持っていた今の子たちは、パーソナルメディアのコミュニケーションで青春を過ごしている。パーソナルメディアの中だけで暮らしていると、自分の立ち位置がわからない。興味ないものへの興味が湧く瞬間がない。

テレビは「低関与」は消費行動である・・・映像は?

 今から3,4年前、テレビは背もたれにもたれて見る「後傾30度、受身」のメディア、インターネットは画面を覗き込む「前傾30度、積極的」なメディアという枠組みがよく語られていたことがある。

写真2 映像の視聴行動を、「関与」という言葉を使って説明した人が、1950年代のクルグマン、バーワイズ&エレンバーグたちだ。バーワイズ&エレンバーグは、「テレビ視聴は、受身な行動」で「低関与」な行動だと述べている。(Television and its Audience, p.123, P. Barwise and A. Ehrenberg, SAGE Communications)

 「視聴行動」が「低関与」であるということは、テレビから流れてくる映像にあまり関心がなく、すぐなにが放送されていたか忘れてしまう、という状態である。

「低関与」な相手に、「高関与」なアピールを打ち出してしまう

 テレビが「低関与」な視聴行動であるということを前提に作られているのが、テレビCMであり、バラエティ番組である。ブランド名を連呼したり、1分で笑わす「レッド・カーペット」は、テレビをつけた刹那にみんなの関心を呼ぼうとする工夫だ。

 これは、もう「いい悪い」の問題ではなく、現実に売上、視聴率で評価される現場にいて、生き延びようと思えば、普通にたどりつく環境適応の必然だろう。

写真3でも、その結果、僕はテレビがついていると心がザワついて、うるさいからスイッチを消してしまう。「アメトークの●●芸人」は面白いけれど、CMのタイミングが・・・テレビを見ていないと、心がやさしいままでいられる。皆さん、どう思いますか。

 好きな人は追うほど逃げていく、テレビもそんなモテない奴になっている。

「高関与」なアピールを本能的にシャットアウトしてしまう

 「低関与」視聴行動を、「高関与」な消費に変換するように、TVの作り手は「見て欲しいアピール」を強く押し出す。しかし、「低関与」な受け手は、アピールされるほど自分の殻に閉じこもって、関係をシャットアウトする。

写真4 これは、人間関係の基本とそっくりだ。好きじゃない男ほど迫ってくるのは世の常で、カワす技がない子は、とりあえず全てをシャットアウトしてしまう。好きじゃない子を「着拒」にしたり、ゴーコンで色んな人にコクられると一律断ってしまう美人のキモチと同じ現象だ。ケータイ世代にとって、代替コミュニケーションに必然性はなく、興味ない世界へのシャットアウトは容易である。

「高関与」な視聴者に、ハマるアピールも難しい。

 千葉マリンでロッテを応援するときは、応援の音はうるさくても心地よい。いくら、豊田泰光さんが許さなくても(週刊ベースボール、オレが許さん!愛読中)、大声だすのが気持ちいいんだから仕方がない。球場に行っているだけ許してもらうほかない。しかし、BS-12かJSportsでロッテ戦を見るときは、音を消してしまう。Jスポでもタマに消してしまう・・・金村さん解説のときはつける。

 僕は「高関与」な視聴者だと思うが、それにも関わらず、消してしまう。しかし、選手のインタビューだと、これは音をつける。つまり、「関与」の対象は、「ロッテ」にあり、実況にないのだ。

「関与」の対象は、メディアでなくコンテンツだろう

 こうしてみると、「関与」の度合は、コンテンツ次第だということになる。メディアの特性に、「関与」という概念を使うのは、誤りではないかと思えてくる。そもそも、メディアはコンテンツを流す手段なのであって、関心はコンテンツそのものにある。

 たとえば、中田英寿がいたセリエAの放送権がWOWOWからスカパーに移っただけで、何万人もがスカパーに移ってしまった。WOWOWがハリウッド映画を放送しなくなっても、まだWOWOWに加入している映画ファンがいるかと思うと疑問だ。加入者の「関与」は、メディアでなくコンテンツにあるからだ。

 テレビ番組に対する「キャスティングに頼り過ぎている」という批判は、実は「関与」の対象を本能的に見抜いた行動だ。スポーツ生中継は、スポーツを見ているわけだし、テレビを見る理由は好きなタレントが出ているから見ているのだ。(そうか?)

 ただ、キャスティング、スポーツに頼った番組作りは、メディアの自殺行為だ。自分のしっぽを自分で食べて、いつか食べ尽くしてしまうだろう。

 NHKの土曜21時からのドラマシリーズはキャスティングに頼っている感じはしない。会計士のドラマが始まっても、あぁ、多分ハゲタカみたいなドラマになるんだな、というブランド感がある。素材を右から左に受け流すようなメディアでは意味がない。なにごとも付加価値をつけて次の人にバトンを渡さないと意味がない。草津温泉が枯れても、その旅館に行ってしまうようなサービスを作り上げるために頭脳を使いたい。

「高関与」なインターネットの「低関与」なサービス

インターネットの動画視聴は、「高関与」といえるだろうか。インターネットは、自分で見たいものを探して辿りつく必要がある。リモコンなどないし。それに、辿りついて好きなものでなければ、すぐ消してしまう。

 ところが、「高関与」なメディアと思われているインターネットにも、「低関与」に楽しめるサービスがある。それが、‘Pandra’とか、‘Last.fm’のラジオサービスだ。

‘Pandra’は、曲を聴き終わるたびに、その曲が好きだったか嫌いだったかをクリック、データベースに教えてあげる。そうすると、‘Pandra’のデータベースから、好きとクリックした曲に似ている曲を自動的に流してくれる。‘iPod’のシャッフル機能と「お気に入り」が混ざったようなサービスだ。

 ‘Last.fm’のラジオは、好きなバンド名を入れると、そのバンドぽい曲が次々と流れてくる。サイト画面には、似ているバンドの曲がリストアップされている。巨大なお気に入りフォルダが‘Last.fm’の中にあって、それをシャッフルで聞いているような感じだ。

‘iPod’はシャッフル機能がよかった。ラジオだと好きな曲がなかなかかからない。かといって、CDだと次何の曲がくるかわかるので、驚きがない。クラブで突然好きな曲がかかると心が高揚するように、好きな曲もサプライズを足すと嬉しさが倍増する。

「高関与」なコンテンツを「低関与」に楽しむのがいちばん気持ちよい

DEMOfall08に出展していたbeeTV、invisionTVは、「Pandra、Last.fmの映像版」だ。見たあとに、好きな嫌いかボタンを押すことで、自分が好きそうな映像を流し続けてくれる。「高関与」なジャンルをデータベースに教えたあとは、「低関与」に楽しむ。

 テレビ・ラジオのいいところ(勝手に流してくれるところ)とインターネットのいいところ(自分のツボを知っているところ)が混ざったサービスだ。マッサージも恋愛も、ツボを抑えた適度なサプライズがいちばん嬉しい。

 結局、ラジオとかテレビみたいなたれ流しがいちばん心地いい。ただし、自分の好きなモノが流れていればなんだけど。。

「高関与」なサービスを「低関与」に実現するためのインターフェース→声、音

写真5 インターネットの自動レコメンドサービスのキモになるのが、データベースの使い勝手だ。検索のメタデータの作り方とボリュームがポイントである。

 今後、もっとも進化が必要なのは、人間からの指令、入力方法だろう。こちら(人間、リアル)の欲しいモノ、考えを、キーボードを通して教えるのは、面倒くさい。やはり、お金持ちのように電話1本で「頼むよ」と言えば、なにか手に入るようなサービスにしたい。

そのために、音声、音の認識技術の重要性が高まってくる。

 音楽、音声認識技術は、拍数、高音・低音の量、人気度といった付加情報を基に判断するタイプ、音素をインデックスするタイプから、声、楽曲の音声波形そのものを分析、識別するまでに発展している。

 ハナウタ、音声で楽曲とのマッチングが可能になるサービスmidomiとか、お店で掛かっている曲にケータイを向けると楽曲の名前が検索できるauのハナウタ検索とか、音楽ではこうした声、音のインタフェースが世の中にでている。

 セマンティック・ウェブ、人工知能、マイ・コンシェルジェ、といった今後のインターネットの発展形は、よりリアルなコミュニケーションをインターネットに持ち込む方向になるだろう。

 それは、「高関与」なニーズを、「低関与」に受けられるサービスということになる。今でも、お金持ちと違って、モノを買うのにも(こちらがお金を出すのに・・・)住所、名前など全て自分で入力させられる。それが、全て声、音のインタフェースでできれば、簡単だ。

 中高大の10年間、モバイル通信機を片手に過ごした25歳の元ガングロは、世の中に「低関与」なんだろうか。それがそうでもない。空気を読むことには敏感で、ワクワク感にはついてくる。来年、会社に入れば、それはそれで一生懸命やるんだろう。

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