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2009年9月11日掲載

情報流通のトレーサビリティの実現を

経営研究グループリーダー 市丸 博之
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 2007年春に表面化した米国のサブプライムローン問題による金融混乱は、その8月 パリバ・ショックを機に欧州に飛び火し、昨年08年の9月15日のリーマンの破綻を契機として、世界的な金融危機に発展しました。その影響は実物経済にもおよび、世界経済は100年に一度とも言われる不況に襲われることとなりました。それから早一年がすぎました。各国政府や中央銀行の必死の対策により、やっと底入れかとの声は聞かれるものの、今だ不況からの脱出には不透明感が強いようです。 

 この金融危機に先立ち、金融市場にブームをもたらした金融革新を、ICTは情報コスト・取引コストの低廉化より支えたと言われますが、ICTと並んで金融革新を支えたは、言うまでもなく金融工学の発展でした。そしてその核心はリスクの計量化によるリスク処理手法の開発にあると言われます。この技術により様々な債権本体からリスク部分だけをを切り離し、単独あるいは束ね、加工しての市場取引(リスクの流通)が可能になり、金融商品の多様化が進みました。サブプライムローンの証券化商品もその一例です。

 金融危機の一因は、金融革新自身が生み出したこうした金融商品の複雑化にあるといわれますが、その複雑さの本質は、「リスクの流通の複雑さと不透明さ」にあります。金融商品の流通の過程において何段にもわたる優先劣後構造証券化などを通じ、実物価値から切り離された信用リスクが複雑にトランスファーされましたが、証券の最終保持者は、自分自身ではそのトランスファーの過程をトレースできず、自己にとってのリスクの所在や程度を十分には理解できなくなっていたため自己勘定のリスク管理に大きな誤信が生じていたといわれます。(またそれらの商品を適切に評価していたはずの格付け機関自身も結局同様でした。)そのためサブプライム問題が表面化した時、食物の産地偽装問題発生の時のごとく、市場全体に疑心暗鬼が広まり、市場が一挙に総崩れをおこしたのでした。

 一方「物流」の世界では、産地偽装のような問題に対しICタグの利用などによるトレーサビリティ技術での対応が進んでいます。またインターネットの世界でもNGNのように、発信者IDにより発信者を識別する技術もあります。こうしたICT技術を「情報流通」にも応用することにより、従来トレースできなかった金融商品の流通についてもトレーサビリティを実現することが可能ではないでしょうか(むしろ情流ゆえに金融商品の伝送信号に内容に応じたコード付けを行うことは、物流のICタグよりも容易かもしれない)。

 この情報流通におけるリスクトレーサビリティが可能になれば、投資家は自己のリスクの状況を十分把握することが可能となるばかりか、さらにこれら個々の金融取引を市場全体として取引量としてだけでなく、流れとして把握し、世界の金融市場全体におけるリスクの移転と所在、根源と派生の連関の市場構造を、国際的監督機関が常時モニターすることが可能になるでしょう。そうなれば市場全体のリスクの偏在的積み上がり具合や金融機関同士の連関状況の構造分析から個々の投資家では気がつかない市場全体の構造的リスクの高まりや危機の発生の予兆を把握し、事前に危機回避の対策をうつことができるようになるのではないでしょうか。このリスクモニターシステムは、根源の金融商品から切り離され別の商品に組み込まれたリスクの複雑な追跡と根源へのトレースや個々の金融機関の貸借関係構造の把握を可能にするコードのグローバルレベルの体系化といった制度的課題に直面すると思われますが、技術面においては昨今のICTの発展を考えれば、十分実現化可能と思われます。 

 今回の金融危機に対し、金融機関や金融市場への規制を強化せよとの意見も多く聞かれます。しかし金融危機を避けようと金融機関や市場への規制を強化すれば、市場の技術革新を阻害します。この規制とイノベーションのジレンマを解決する手段は、金融機関の自己規律ということになるのでしょうが、ブームに逆らって投資を抑制したり、危機に投げ売りをしないような行動をとることが困難であるのは、論理的にも歴史的にみても明らかのようです。たとえそれが可能としても、市場全体のリスクまで個々の投資家が把握することは難しい。そもそもバブルの発生と崩壊は、将来の不確実性が存在する以上防げない資本主義の発展に内在的なものであるという金融不安定性仮説といった説もあります。

 そうであるならば、将来必ず起きると予想され、しかし正確にはその時期は特定されない大規模地震対策のように事前の個々の備え(リスク管理体制)は、各金融機関へのプルーデンス政策の中で促すとしても、観測体制を強化して危機の発生を全経済レベルで予知し投資家に警報なり、避難行動を誘導するのは公の役目でしょう。「規制」でも「放任」でもなく「観測」へ---「リスク流通」のICTによるグローバルモニタリングシステムは、そのためのインフラとなるでしょう。そして、その構築に向けたICTに求められる役割は、情報流通のトレーサビリティ機能の実現です。

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