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1998年10月掲載

日本の通信事業者に危機感はないか

 「日米の料金格差がまた開く通信網の再構築、米国が先手」のサブタイトルを掲げた日経コミュニケーション(1998.9.21)の特集記事を読まれた方から日本の通信事業者には本当に危機感はないのかと問われて、日本の通信事業関係者はどう答えますか。
 それが事実だとしても危機感がないとは言えない、危機感はあるよ、しかしね、といった口調にならざるを得ないのではないでしょうか。
 以下、日本の通信事業者になり代わって、日経コミュニケーション誌に精一ぱいの反論を試みる。ただし「電話とデータのトラヒックが逆転するというのは考えられない」との各社のコメントにはグローバルな競争の進展するなかにあって、ネットワークを国内の視野でしかみられない状況がうかがわれ、残念ながら弁明の余地はない。

1.ネットワークを変えるということの容易ならざること

 インターネットがこの数年ブームになっているからといって、現在のネットワークをインターネット用に変えるということがいかに大変なことか、したがってネットワークの再構築など軽々しく語られるべき問題でないことは、素人ならともかく電気通信事業に携わっている者であれば誰でもが知っていることである。1世紀以上の歳月をかけ、日本の通信技術者の英知によって築かれたネットワークを数年で変えることなどできるものではない。それは音声トラヒック理論に基づき精緻に階層構成された信頼性の高いネットワークである。そのネットワークをルータでつなげただけのコネクションレスのネットワークに変えるというのが市場のニーズというものであれば、そのニーズに合ったネットワークを別に用意してあげればよいではないか。NTTのOCNはネットワークを提供する事業者の立場から経済的なコンピュータ通信を行いたいという顧客ニーズに応えたものであるが、料金が安いからといって本来広帯域ISDNで提供されるべき音声や画像のリアルタイム通信に使うのはベストエフォートネットワークのいわば目的外使用というものではないか。
 百歩譲って市場ニーズがIPネットワークにあるとしても、以下に述べるようにその次世代ネットワークについてのコンセンサスもできていないし、ネットワークアーキテクチャーも統一されていないというのが実状なのである。

2.次世代ネットワークについてのコンセンサスはできていない

 回線交換網とインターネットの融合の進展に伴い、異なる技術、ネットワーク間の相互接続性を確保するための標準化がますます重要になってきている。しかしながら次世代ネットワークについてのコンセンサスはどこにもなく、どの標準を用いるか、誰がそれを決定するのかについては何も決まってはいない。

 回線交換網のITUに対し、インターネットに関してはIETF( Internet Engineering Task Force )という異なる標準化グループが存在するかりでなく、その他多くのベンダーコンソーシアムによって個々の標準化が進められている。そのためインターオペラブルでないネットワークがばらばらに構築されていく恐れがある。
 そのひとつの現われが日経コミュニケーション誌にも紹介されたSprintに代表されるATM統合網派とLevel3に代表されるIP統合網派の対立であり、ネットワークのコアにATMを使うべきか、IP交換にすべきかの議論である。それはまたITU標準のATM対IETF標準のMPLS( Multiple Protocol Label Switching )という構図でもある。
 AT&T、Sprint等大半の既存電気通信事業者はATMの下に結集し、ATMこそは高品質サービス(QoS)を提供できるものであると主張するのに対し、Qwest、Level3等の熱心なIP提唱者たちはATMの伝送オーバヘッドの非効率性を指摘する。
 次世代ネットワークをめぐるもうひとつの問題はIP網と回線交換網のゲートウェイ間のインターオペラビリティにある。ITU派はこの問題解決のためにH.323を支持しており、一方IETFは独自のSIP( Session Initiation Protocol)を開発しており双方に妥協の図れる見通しはない。

3.ネットワークアーキテクチャーも統一されてはいない

 NTTを初め優秀な技術者を多くかかえる既存通信事業者は利益を生みだすアプリケーションの多くはこれまでユーザ主導により端末機能の高度化という形で実現されてきた事実をみないで未だに彼らの優秀な頭脳をネットワークに移植させたいという夢を断ち切れないでいる。 新しいタイプのミドルウェアをネットワークに導入し、それをエンドユーザ機器、アプリケーション、ネットワークアクセス、伝送レイヤーのゲートウェイにするというAT&Tのスマートネットワークビジョン、光アクセスとATM技術の広帯域ISDNを基盤とした高度マルチメディアサービスと高速コンピュータ通信を目指すNTTのVI&P、ともに現在の公衆回線交換網を進化させたネットワークアーキテクチャーの概念である。
 こうしたネットワークアーキテクチャーに対して、インターネットが革新的なのはそれが通信事業者の複雑なコントロールを排除している点にあるとして、高速で知能をもたない(dumb)ネットワークアーキテクチャーが提唱されてきている。Level3、IXC、Qwest等の提供しようとしているIP中心のアーキテクチャーであり、これら新興通信事業者の多くは大きな知能をもたないバックボーンあるいはエンド装置への知能の分散が好ましいと主張している。
これら2つのコンセプトの違いはコンピューティングの世界におけるNCモデルをめぐる対立を思い起こさせるが、優秀ではあるがビジネス とは無縁な研究者を豊富に抱えるかつての国営通信事業者がdumbネットワークの流れを容認し、追随するとはとても考えられそうにない。

4.ひとつだけ確実なこと

 回線交換網とインターネットの融合によってもたらされる21世紀のネットワークの最適解が何か、誰も知らない。考えられる戦略は2つ、他に先んじてリスクを背負うか、事態の成り行きを見極めてから行動するか。先んじて莫大な投資を行った挙げ句、間違った解を出す危険をおかすよりは最適解を見極めたうえで既存ネットワークを段階的にフェーズアウトさせ最適解への移行を効率的に行うべきであるというのが日本の通信事業者の考えであり、当然ノーリスク、ノーリターンは承知のうえである。
 以上、日本の通信事業者になり代わって日経コミュニケーション誌に反論を試みたものの、何やら昨今の国会答弁か、解答のない問題を苦手とする頭のいい学生の言い訳のようではないか。

 ネットワークビジョン、アーキテクチャーともに混沌とした状況のなかでひとつだけ確実なことは、これまで既存通信事業者が100年かけて築きあげてきた回線交換網が移行しつつあるということであり、今後数年間は電気通信業界がこれまで経験したことのないような激動期を迎えるということである。

グローバルシステム研究部長 平川 照英
e-mail:hirakawa@icr.co.jp
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