ホーム > InfoComアイ2004 >
InfoComアイ
2004年3月掲載

シンギュラーのAT&Tワイヤレス買収とその余波

 シンギュラーとボーダフォンが競ったAT&Tワイヤレスを巡る買収劇は、去る2月17日の早朝(米国東海岸時間)にシンギュラーが410億ドルの現金で買収(1株15ドル、ほかに60億ドルの負債を引き継ぐ)することで両社が合意(取締役会の了承)し決着した。バブル崩壊後久々の通信産業における大型買収劇とあってマスコミも派手に取り上げたが、その結果は通信業界に衝撃を与えるものだった。米国では全國を営業区域とする携帯電話6社が熾烈な競争を展開しており、料金の値下りに歯止めが掛からず、第3世代の携帯電話導入も遅れていた。企業統合は早晩不可避とみられていたため、そのこと自体に意外感はないが問題は買収金額である。AT&Tワイヤレスの身売りの噂が流れる2ヶ月前の株価のほぼ2倍にあたる買収金額は、1990年代のバブル期の再来を思わせる、とウオール・ストリート・ジャーナル紙は書き(注)、シンギュラーの「高過ぎる買収金額」に対する危惧が広がっている。AT&Tワイヤレスの買収を巡る問題点と、その後の携帯電話会社の戦略について考えて見たい。

(注)Cingular deal will reshape industry(The Wall Street Journal / Febuary 17,2004)同紙は16日深夜の電話による“surprise assault”と“bold offer”が合意の決め手となったと書いている。

■追いつめられたAT&Tワイヤレス

 米国第3位の携帯電話会社AT&Tワイヤレス(2003年末加入数2,200万)は2003年第4四半期に8,400万ドルの赤字を計上した。(通年では4.4億ドルの黒字) 同期の売上高42.2億ドルは前年同期比4.1%増で、通年の増加率8.1%を大きく下回った。これは、第4四半期の加入者の純増数が12.8万にとどまったことによる。一方、営業費用は8.8%の増加となった。第4四半期の月平均顧客解約率が3.3%(前年同期2.4%、前期2.7%)に急増し、新規顧客の確保に多額の販売奨励金を出さざるを得なくなったからだ。

 その理由は第1に、同社が昨年11月に導入した新顧客管理システムのソフトのバグを修正するのに手間取り、3〜4週間にわたって新規加入者の開通や料金プランの変更ができなくなったことである。第2に、昨年11月24日から実施されたワイヤレス・ナンバー・ポータビリティ(WNP)の運用でもたついたことである。同社の移動処理に遅れが目立ち、FCCから状況報告を求められる事態となった。これらのトラブルは昨年中に解決したが、顧客の信用を大きく損ね、新規加入者の純増数の減少を招く結果となった。

 AT&Tワイヤレスは、これらのトラブルの余波が2004年中は続き、業績への影響は避けられないとする見通しを明らかにする一方、第3世代携帯電話への投資など同社を巡る経営上の問題にいて精査した結果、単独路線を継続することを断念し、他社との合併・買収交渉に応じることを決断した。1月22日の同社の取締役会で、同社を合併・買収する際の条件について2月13日を期限に広く提案を募ることを決定して発表した。

 米国2位のシンギュラー・ワイヤレス(加入数2,400万、地域電話会社のSBCとベルサウスの共同子会社、出資比率は夫々60%と40%、未上場)とボーダフォン(世界最大の携帯電話会社でグローバルに事業を展開、米国1位のベライゾン・ワイヤレスに45%を出資)のほか、最近業績好調な米国5位のネクステル、AT&Tワイヤレスの最大の株主(出資比率16%)であるNTTドコモなどが取り沙汰されたが、結局2月13日時点で提案したのはシンギュラーとボーダフォンの2社だけだった。この時点での提案は両社同額の350億ドルだったとみられ、延長戦にもつれ込むことになった。結局、2月25日の早朝、410億ドルの全額現金による買収と60億ドルの債務の肩代わりを提案したシンギュラーがAT&Tワイヤレスと合意して決着した。なお、合併には株主総会の承認、司法省やFCCの審査(合併両社のシェアが50%超の市場、例えばダラスやマイアミでは一部資産の売却を求められる可能性がある)が必要で、実際に合併する時期は順調に推移しても今年末と見られている。

■シンギュラー・ワイヤレスの成算

 多くのエコノミストが「高過ぎる買収価額」と批判し、親会社のSBCとベルサウスの株式や債券の格付けを「監視対象」とする(S&P)としているが、(シンギュラーは非上場のため)親会社を含めシンギュラー側にどのような成算があったのだろうか。各社のニュース・リリースなどを読んだ限りでは、およそ以下の通りである。

 まず技術基盤が同じ(GSMとTDMA)である両社の統合がもたらす規模の利益である。新シンギュラーの携帯電話加入数4,600万(2003年末)、売上高は320億ドル(2003年)を超える。現在1位のベライゾン・ワイヤレスの夫々3,750万、225億ドルを大きく上回る。統合による利点の第1は、ネットワークの統合によるサービス・カバレッジの拡大とサービス品質の向上である。夫々の会社が持つ周波数を一元的に活用できるというメリットも大きい。さらに、統合による規模の利益によって投資の効率化を実現し、高速ワイヤレス・データなどのサービスや第3世代携帯電話システムの導入を積極的に推進できる。

 利点の第2は統合による運営経費および設備投資の節減である。シンギュラーによると、統合完了後2年目の2006年には10億ドル、2007年以降には年20億ドルの節減効果を期待できるという。利点の第3は競争圧力の緩和である。両社の合併で全米を営業区域にする大手携帯電話会社は6社から5社に減少するが、これが引き金になってさらに統合が進んで、3〜4社になるとみられており、念願の市場の正常化に一歩近づくすると期待されている。しかし、第3の利点はシンギュラーにだけ有利に働く保証はない。

 買収資金410億ドルの調達はどうするのか。ウオール・ストリート・ジャーナル紙(注)によると大要以下の通りである。まず、合併が見込まれる2004年第4四半期におけるAT&Tワイヤレスが保有する現金から50億ドルを充当する。差し引き360億ドルを親会社の出資比率に応じて負担するとしてSBC(60%)は210億ドル、ベルサウス(40%)は150億ドルとなる。現時点においてSBCが充当可能な現金は50億ドルで、今後2004年末までに見込まれるフリー・キャッシュ・フロー20億ドルのほかに資産の売却を10〜30億ドルと見込むと、外部から調達が必要な資金は100〜130億ドルの規模となるという。ベルサウスも同様に内部資金と非戦略資産の売却を見込むと、外部から調達が必要な資金は約100億ドルだという。SBCの財務責任者は、この資金調達には自信を持っており、信用に関する格付けも維持できる、我々の財務諸表は健全であり、これらの債務を5年以内に完済できるという期待は合理的である、と述べている。

(注)New debt lord to hurt Cingular,parents,credit ratings(The Wall Street Journal online /February 17,2004)

 SBCとベルサウスにとっては、既存固定通信ビジネスが縮退するなかで、成長が期待できるモバイル通信のウエイトを高めていくことは、経営戦略上どうしても必要な選択だったようだ。ベルサウスのモバイル通信の収入比率は、買収後には35%に高まる見込みだ。ベルサウスに助言した投資銀行のスミス・バーニーによると、合併による売上げの増加とコスト節減によって、2008年にかけてSBCは年間18.7%、ベルサウスは13.6%の利益の増加が見込まれるという(注)

(注)How the Cingyular deal helps Verizon(BusinessWeek / March 1,2004)

 しかし、収益予想にはもっと厳しい見方がある。前掲のビジネス・ウイーク(BW)誌によると、ライバルのベライゾン・ワイヤレスは新モバイル・ウェブ・サービスに重点的に投資しており、新シンギュラーが早期にこれに対抗しようとすれば、シンギュラーが投資を絞り込むのは難しい。また、昨年秋のナンバー・ポータビリティ実施にともなって起きたAT&Tワイヤレスのトラブルを再発させないためには投資を増やすことが必要だ。それに統合による債務の増加にともなう金利負担が加わる。これらはシンギュラーの親会社であるSBCとベルサウスの財務を確実に悪化させることになるという。

 とくにアナリスト達は、不確実な将来の投資のために、安定したSBCの収益基盤が損なわれるのではないかと神経質になっている。買収によってSBCの2005年の利益見込みは46億ドルから30億ドルに悪化するとみられている。AT&Tワイヤレスの買収交渉が進行中に下がった同社とベルサウスの株価は、合併の発表後もさらに下がっている。格付け会社のスタンダード&プアーズは両社の株式や債券の格付けを「監視対象」にしている模様である。買収で敗れたボーダフォンのサリーン社長は、410億ドルの買収金額について、シンギュラーはボーダフォンの「財務的規律」を欠いているのではないかと示唆し非難したという(注)

(注)Vodafone holds on in the U.S.(The Wall Street Journal / February 25,2004) ボーダフォンに助言したUBSとゴールドマン・サックスは、AT&Tワイヤレスの買収価格の上限を、ボーダフォンの利益に3年間影響を与えないこと、合併後の最初の年からフリー・キャッシュフローがプラスであることに設定したという。なお、同社の最終提案は380億ドルだったとみられる。

 そもそもシンギュラーによるAT&Tワイヤレスの買収は、「弱者連合」的なところがある。AT&Tワイヤレスの問題点は既に指摘した通り、月平均3.3%という高い解約率と最低の純増数、それに2003年第4四半期に赤字に逆戻りした弱い財務体質である。シンギュラーはこれに比べればまだましだが、前掲のビジネス・ウイーク誌が統合後の新シンギュラーの経営指標を推定しベライゾンと比較しているので紹介する(表参照)。 

  (表) ベライゾン・ワイヤレスと新シンギュラーの業績指標比較

区分 利益率 解約率(月) 1加入平均収入(月) 顧客純増数(4半期)
ベライゾン 39.7% 1.70% 49ドル 150万加入
新シンギュラー 22.8 3.05 54 77

(注)両社の2003年第4四半期の数値 利益は利子、税金、原価償却費等控除前

 ここで明らかなように、新シンギュラーが加入数規模で1位になったとしても、ベライゾンの経営効率の高さには及ばない。統合後にその差が縮まるかどうかは、新会社の販売戦略と効率化努力如何による。多額の買収資金の負担を背負い込む新シンギュラーが、規模の利益を生かして今後競争を有利に展開できるとは必ずしも言い切れない状況だ。

■携帯電話のグローバル・キャリアはどう動くか

 前掲のBW誌が面白いことを書いている。「シンギュラーの経営者がこの買収の結果に満足しいるのは当然だが、ベライゾンの経営者はそれ以上に喜んだだろう。ボーダフォンと競ったシンギュラーは最後の段階で買収金額の引き上げを余儀なくされ、最初の非公式提案300億ドルから410億ドルへと37%のプレミアムを支払うことになった。ライバルのこの結果を喜んだベライゾンは、買収金額の引き上げに貢献したボーダフォンに、恐らく“Dom Perignon”を1ケース送って感謝したのではないか。」(3月3日終値のAT&Tワイヤレスの株価は13.68億ドル、株価総額は316億ドル)

 AT&Tワイヤレスの買収にこれだけ多額のお金を支払うことによって、熾烈な競争をしている携帯電話市場における合併作業において、SBCとベルサウスは何らかの不利な状況に置かれることはないのか、それが問題だとBW誌は指摘している。買収の承認まで9ヶ月、合併によるシナジー効果が発揮されるまでさらに最低1年は必要だろう。その間ベライゾンは、その高いブランド力と顧客満足度でlame-duckとなったAT&Tワイヤレスから顧客を奪うことが出来る。これをどう切り抜けるかが新シンギュラー陣営の課題であり、逆にこの時期に新シンギュラー陣営との規模の格差を何処まで縮められるかがベライゾンの課題である。さらに、ベライゾンは同じ技術基盤を持つ全米5位のスプリントPCS(2003年末加入数1,590万)を合併・統合する可能性もある、と囁かれている。再逆転のチャンスも残っている。

 シンギュラーに敗れたことが明らかになった2月17日のボーダフォンの株価は4%上昇した。株主は、がっかりするどころか、ボーダフォンが株主価値を損なう高値買収から手を引いたことを歓迎したのだ。しかし、同社は世界第2の市場である米国市場で、トップ企業としての地位を占めたいという強い期待を諦めたわけではないようだ。新シンギュラーが経営に行き詰まるようなことになれば、直ちに買収に踏み切るとみるアナリストもいる。

 2月25日カンヌで開催されている3GSMの会場で、ボーダフォンのサリーン社長は、例え米国において我々のブランドとサービスを拡大するという目標達成が困難だとしても、我々は長期間のパートナーとしてベライゾン・ワイヤレスの株式の45%を保有していることに満足している、と語っている。さらに、AT&Tワイヤレスの買収戦争の間に出てきたオプションであるベライゾン・コミュニケーションを一括買収する案は財政的に無理だとし、ボーダフォンは今後の12ヶ月をベライゾンとベライゾン・ワイヤレスの在り方を議論するのに費やすだろう、と話したという。ボーダフォンのベライゾン・ワイヤレスに対する出資に対し年10億ドルの配当を行い優遇してきたが、この契約が2005年3月に期限切れになり、それ以降はベライゾンが配当を減額するとみられている。これに対し、サリーン社長はなんとかベライゾンから譲歩を引き出したい意向だという(注)。ボーダフォンの当面する米国戦略の最大の課題はこの問題ではないか。

(注)Vodafone holds on in the U.S.(The Wall Street Journal / February 25,2004)

 ボーダフォンは、適正な金額で買収できるのであれば、フランス、東欧、ロシアなどで買収を進めたい意向を表明している。昨年撤退したインドにも長期的な視点で関心を持っているという。フランスのビベンディ・ユニバーサル(今後は通信をコアビジネスとすると表明。子会社のセジュテルがフランス2位の携帯電話会社SFRに80%を出資、20%をボーダフォンが出資)の買収は急がないとしているが、グローバル戦略上さらに統合・合併を進める必要あるとする考え方に変わりはないと思われる。

 AT&Tワイヤレスに16%の出資を行っているNTTドコモは、AT&Tワイヤレスの買収合戦に参加すべきかどうかを取締役会で慎重に検討した結果、国内事業の充実強化を求める意見が大勢を占め結局不参加を決めた。このまま推移すれば、ドコモは66億ドルの現金を受け取り米国市場から徹底することになる。しかし、ドコモの立川社長は新聞記者に、新シンギュラーに投資することを検討していることを明らかにした(注)

(注)DoCoMo seeks a place in new US network(financiatimes.com / February 25 2004)

 報道によれば、ドコモの主たる関心は新シンギュラーがW-CDMA網およびiモードに投資するかどうかである。ドコモはAT&Tワイヤレスとの合意が新シンギュラーに引き継がれることを期待している、と語っている。立川社長によると、ドコモの投資は新シンギュラーがマルチメディア・サービスを展開するかどうかにかかっており、我々は新シンギュラーと組むかT-モバイルと組むかのフリーハンドを持っているという。また彼は、ドコモのグローバル戦略は、まずW-CDMAサービスを世界中で利用できるようにするこであり、次にマルチメディア・サービスを導入することである、と語っている。

 携帯電話事業のM&A熱は欧州に飛び火したようだ。オランダのKPNが英国の携帯電話会社mmO2の合併を提案したという報道が流れた。この合併における最大のメリットはドイツにおける事業の統合(市場シェアE-プルス12%、O2 8%)だが、KPNの提示した条件にmmO2は納得せず見送られた。しかし、20%を出資するハチソン3G UKの期待はずれの業績(2003年末加入数21万)とiモードを採用しようとしないことに不満を募らせるNTTドコモがmmO2の買収に動くのではないかという記事(注)が出るなど、通信業界にもいよいよ本格的なM&Aの季節が再来するのではないかという期待をもたせる動きだった。

(注)NTT DoCoMo signals interest in mmO2(financialtimes.com / February 24 2004)

特別研究員 本間 雅雄
編集室宛>nl@icr.co.jp
▲このページのトップへ
InfoComニューズレター
Copyright© 情報通信総合研究所. 当サイト内に掲載されたすべての内容について、無断転載、複製、複写、盗用を禁じます。
InfoComニューズレターを書籍・雑誌等でご紹介いただく場合は、あらかじめ編集室へご連絡ください。