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2006年1月掲載

通信自由化20年、その評価と課題

 1985年4月に通信自由化と日本電信電話公社の民営化が実施されてから20年になる。その間、大きな節目が3つあったと思う。第1は、競争導入と電電民営化である。公正な競争条件の整備が課題とされたが、実態は「管理された競争」だった。第2は、99年に実施されたNTT再編である。:公正競争の推進にはNTTの分割は不可欠とする当時の郵政省と、それに反対するNTTの妥協の産物だったNTT再編成は、電話時代の発想をベースにしており、移行当初から市場の環境変化に適応不全を起こしていた。第3は融合の時代を迎えた現在である。有線と無線、固定通信と移動通信、放送と通信などがブロードバンド上で融合し、通信市場の競争環境が大きく変ろうとしている。融合の時代を見据えたさらなる規制緩和とNTTの組織改革が急務だ。視点を3つに絞って考えてみたい。

■スタートは「管理された競争」から

 自由化以前、国内通信は電電公社、国際通信は国際電信電話株式会社(KDD)の2社による独占だったが、現在では多くの企業が通信市場に参入し競争している。一般的に、民営化とそれにともなう競争導入は、料金の低下およびサービスの質の向上と多様化をもたらすと期待されているが、通信自由化はその点に関しては優等生といえるだろう。
85年に始まったわが国における電気通信改革の第1の特徴は、第1種、第2種の事業者区分である。自ら設備を設置してサービスを提供する第1種と、他者から設備を賃借して事業を行なう第2種とに区分し、前者を規制の対象とし後者は原則非規制にした。
問題はこの区分を厳密に解釈したことから、第1種事業者間の設備の賃貸借が認められなかったことである。例えば、新規参入事業者(NCC)が需要の多い東名阪には自前の設備を建設し、それ以外の地域ではNTTの設備を借りて事業を展開し、徐々に自前の設備を増やしていくといった柔軟な事業展開ができなかった。また、市場支配力のないNCCまで第1種事業者であることを理由に、一律に規制の対象(例えば公正報酬率による料金規制)としたことで横並び意識を助長し、革新的な新サービスや料金が登場しにくくなった。

 第2は、NCCは細分化された市場の「垣根」の中での競争に終始したことである。国際系、長距離系、地域系、衛星系、移動体系などの事業区分(時にはさらに地域別)ごとに「需給調整」を行い、新規参入者の数をコントロールした。例えば、地域通信事業者に区分された東京電力系の東京通信ネットワークは、自営業区域内における長距離(県間)通信事業進出を強く要望したが認められなかった。

 第3は、相互接続に関するルールの整備が遅れたことである。NCCの料金はNTTとの相互接続点間の自社料金に、NTTの足回り料金を加算して決めていた。NCCがNTTと同じようにエンド・エンドで料金を決められようになり、県内均一の相互接続料金が決まったのは94年4月だった。その新ルールにしても、NTTの相互接続点は1県1ヶ所(市外交換機接続)に統一されたため、NCCの県内市外通話は事実上競争力を失った。相互接続ルールが改定され、市内交換機接続ができるようになったのは99年である。

 第4は、NTTの市内外料金のリバランシングが先送りされたことである。独占時代には市外通話の利益で市内通信の赤字を補填する「内部相互補助」のシステムが確立していた。これは世界共通に行われていたことで、米国や英国では競争導入前後に、コストを反映した市内外料金のリバランシングを実施して競争条件を整備した。NTTも市外通話料金を引き下げ、基本料を引き上げる料金リバランシングを早期に認めるよう強く要望したが、ようやく実現したのは95年2月だった。
NTTの94年度「電話役務損益」によれば市外通話の売上高経常利益率は50%だったから、NCCはNTTより1〜2割程度安い料金で市外通話サービスを提供しても、かなりの利益を上げることができた。その一方で、地域系NCCはコスト以下で提供するNTTの市内サービスとの競争に疲弊し、経営を軌道に乗せることができなかった。

 長距離系NCCが東京と大阪間で市外電話サービス開始したのは87年9月だったが、翌88年度にはDDIと日本テレコムは早くも単年度黒字を計上した。両社は90年度には累積損失を解消し、DDIは91年3月期には配当を始めている。予想を遥かに上回る好調な経営成果をあげた。もっとも、ネットワークの全国展開に遅れをとったトヨタ系の日本高速通信は,その後も浮上できず98年にKDD(当時)に吸収合併された。

結局、通信自由化直後の規制の枠組みは、透明で公正な競争のルールとしては不十分だったが、既存事業者を競争による財務の毀損から守り、認可したNCCを存続させるために「競争を管理」することにはある程度成功したように思われる。しかし、その後規制緩和が進み競争が激しくなるにつれて、NCCの事業再編が進んだのはご承知の通りである。

民営化されたNTTに期待し株式を購入した投資家(多くは一般の国民)はどうだったか。05年9月に、保有義務のある3分の1の株式を除き、国はNTT株の売却を完了した。これまでにNTT株の売却で国が得た収入は14.5兆円だった。ほかに04年度までの配当や租税収入を合計すると22.3兆円になる。国の財政への寄与という点では大成功だった。

しかし、日本経済新聞(05.9.25)によると、NTT株の上場以来の投資収益率(株価と配当の総合収支)はマイナス60%で、同期間の日経平均株価銘柄の平均30%台を大幅に下回り、最悪に近い投資成績だという。電電公社の民営化では株式売却益を当て込む「財政の論理」が優先し、その後のNTT株価低迷の一因になったという指摘もある。

■電話時代の発想だったNTT再編成

 公正競争確保の観点からNTTの分割を主張する旧郵政省と、これに反対するNTTとの対立が続いていたが、NTTを純粋持株会社のもとで東西の地域会社と長距離会社(純粋民間会社)に再編し、長距離会社に国際通信の参入を認めることで決着し、97年6月にはNTT法が改正され、99年7月から新体制に移行した。
同時に、規制緩和も進んだ。業務別(地域、長距離、国際など)参入規制が存在しないことが確認され、過剰設備防止条項(いわゆる需給調整条項)が撤廃され、通信市場への参入が容易になった。このほか、国際専用線の「公専公」接続の自由化、第1種事業者に対する料金規制が認可から届出(NTT東西会社を除く)への変更、外資規制(NTTを除く)の撤廃やKDD法の廃止なども行なわれ、「管理された競争」からの脱却が進んだ。

NTTの再編成に至るまでには長い間の経緯があった。85年の通信自由化、電電公社の民営化の契機になったのは第二次臨時行政調査会の答申(82年)である。ここでの論議は、主として巨大・独占国営事業の弊害を如何に除去するかだった。電電公社を外部的制約と関与から開放し、経営の自主責任体制を確立し、労働の自覚を促し、効率化と事業の新しい展開を如何に促進するかが課題とされた。具体的には電電公社の民営化、基幹回線分野への競争導入、5年以内に基幹回線部分を運営する中央会社と複数の地方会社への再編成、宅内機器、データ通信および保守部門の一部の分離などが提起された。

しかし、政府は国会に電電公社の民営化を提案したものの分離・分割を提案せず、電気通信事業法の3年以内、NTT法の5年以内の見直しで含みを持たせた。技術的統一性とネットワーク品質の維持という観点から、現時点では検討不足というのがその理由だった。その後、電気通信事業法の3年以内の見直しは時機尚早ということで見送られ、NTT法の5年後見直しについては90年3月に電気通信審議会が答申を行なっている。その趣旨は、市内通信網を独占的に運営する事業者が、同時に長距離通信分野などの競争的分野でサービスを提供することは、市場を歪め利用者の利益を阻害する恐れが強いというもので、両者の構造的分離を求めるものだった。しかし、NTT分割の結論はさらに先送りされ、5年後の95年に検討し結論を得ることになった。

持株会社のもとでの東西地域会社と長距離会社への再編を決めた97年6月のNTT法改正は、分割を求める旧郵政省とそれに反対するNTTの妥協の産物だったといわれている。当時の郵政省は事業会社相互の競争に期待したようだが、各事業会社は持株会社の100%出資子会社で、実質的に一社体制であることは従来と変らず、競争政策の観点からは余り意味のない再編だった。

NTTの再編成に関する議論が行なわれたのは94〜95年頃だった。携帯電話は430万(95年3月末)、インターネット利用者は260万人(94年末)、ISDN加入者は34万(95年3月末)しかなく、ブロードバンドは登場していなかった。売上高でみた市外通話市場の規模は値下げですでに縮小に転じていた(90年度のピークに対し94年度は30%減)が、電話加入数は5,990万(95年3月末)で年間100万加入程度伸びていた。この時期の電気通信は電話が主流の時代で、電気通信審議会が電話の時代が今後も続くという前提で議論を行ったとしてもやむを得ない情況だった。

 しかし、NTT再編が実施された99年頃には、電気通信市場は大きく変化していた。携帯電話、インターネットおよびブロードバンドの急激な普及である。携帯電話(PHSを含む)の加入数は2000年度に固定電話(ISDNを含む)を超え、インターネットの利用人口も99年末に,2000万人に達した。なかでも、定額料金で無制限に利用できるインターネットは、世界中の何処とでもメールの交換とウェブへのアクセスを瞬時に可能にし、ビジネスと家庭の両方で不可欠な通信手段として定着し、その存在感を急激に高めていった。

これに対し、通信サービスを地域、長距離・国際に区分し、組織もそれに対応させなければ公正競争が確保できないとする考え方は、距離と時間によって課金する電話の時代の発想で、適切な解決でないことは誰の目にも明らかだった。再編後のNTTは、モビリティとブロードバンドの時代を迎え、適合不全が益々深刻になっている。

■融合の時代の到来

 ブロードバンドの普及によって、インターネット上で種々のアプリケーションを利用できるようになった。eメール、ウェブ・ブラウジング、動画の配信やインターネット電話(VoIP)などである。スカイプなどに登録すれば、ブロードバンド加入者相互はタダでVoIPを利用できる。割安料金で加入電話や携帯電話への着信も可能である。5年後には音声電話はスタンド・アロンのビジネスとしては成り立たなくなる予測するアナリストもいる。携帯電話でもVoIPの導入は避けられないだろうという。

携帯電話は加入電話を超えて急激に市場を拡大しているだけでなく、加入数シェア56%のNTTドコモの優位が揺らいでいる。以前はドコモの優位は、固定通信での支配的事業者であるNTTとの一体性にあるとされ、資本分離を求める意見やNTTの出資比率の引き下げを求める声が強かった。しかし、最近ではほとんど聞かなくなった。

ボトルネック独占の存在しない携帯電話市場では、サービスと料金が顧客に受け入れられれば、シェアは大きく変ることがKDDIのauの躍進で明らかになったからで、「着うたフル」やナビゲーション機能などで顧客の支持を集めたauは、05年度上半期の純増加入数と1加入あたり月額収入でドコモを上回った。06年10月に予定されているナンバー・ポータビリティの実施によって、顧客の流動化はさらに進むだろうとみられている。

通信事業は融合の時代を迎えようとしている。有線と無線、固定通信と移動通信、通信と放送の融合が現実の問題となってきた。英国のBTは1台の端末で屋内外を同一番号で使え、その間をシームレスにハンドオーバーできるサービス「BTフュージョン」を開始している。携帯電話サービスはボーダフォンから卸売で購入し、料金請求も両方を一緒に行なう。

このサービスの利点は、自宅から外の固定電話にかける場合、固定網を経由するため携帯電話より安く利用できるという点だ。NTTドコモも、構内では無線LANを使ったVoIPとして、外出時には携帯電話として利用できるワンナンバー・サービ「パッセージ・デュプレ」を提供している。ソフトバンクは第3世代携帯電話、無線LANおよびWiMAX(次世代無線ブロードバンド)をシームレスにハンドオーバーする実験に成功した。

米国では、音声、ブロードバンドおよび放送をパッケージ化して割安で提供する「トリプル・プレー・バンドル」による競争が広がっている。ブロードバンドで劣勢に立たされた電話会社が、ケーブルテレビ陣営に対して巻き返しにでたものだ。これに対してケーブルテレビ陣営は、コンソーシアムを結成して携帯電話の再販事業に参入して対抗しようとしている。サービスのパッケージ化は顧客の要望が強く、解約率を低下させるからだ。

日本は韓国と並んでブロードバンド大国である。日本のブロードバンドの普及は、持ち株会社制でNTTグループの求心力を維持したことが、結果的にブロードバンドの継続投資に寄与し、透明性の高い相互接続制度は新規参入と競争を促したこと、タイミングよく多様な個性を持った競争者に恵まれ、NTTも不承不承ながら経営努力を進めたことが安定性と効率性を兼ね備えた競争が実現した理由だ、と京都大学の依田助教授は指摘している。

NTTの地域会社が分割されていれば、経営の悪化によってブロードバンドへの継続投資は困難だったろう。また、ブロードバンドの成功は、NTTがボトルネック設備を保有していても、適切な回線共用や相互接続制度が存在すれば、競争の促進は可能であることを示している。現にADSLのトップシェアはソフトバンクBBが握っている。

■組織は戦略に従う

 通信自由化20年を改めて振り返ってみると、通信政策の議論のほとんどを「NTTの在り方」が占めた感がある。NTTの競争力を弱めることで公正競争が実現するような錯覚に陥っていたのではないか。ブロードバンドの成功は、分割を避け求心力を維持したNTTが、インフラへ投資を継続したからだという事実に思いを致すべきだ。

融合の時代にはグループの一体的経営は不可欠であり、そのためのグループである。また、融合によって競争の外延が通信からネット・ビジネス、放送やコンテントまで広がることを考えれば、一体的経営が独占回帰につながるという批判はあたらない。もちろん、ボトルネック設備があれば透明性の高い手続きによって開放するのは当然だが、競争者がリスク・テイクを避けた結果市場シェアが高まった設備まで対象にすべきではない。融合の時代には電話の時代と異なる競争政策の理念が必要である。

 英国のBTはオールIPベースの「21世紀ネットワーク(21CN)」の構築を進めている(表1)。21CNのコンセプトは、様々なデバイスを使って統合されるサービスを、シームレスに顧客に提供できるシンプルな一つの融合ネットワークである。そのアーキテクチャーに採用されたIMS(IP Multimedia Subsystem)は、移動通信網が持っている利用者の位置情報を把握する機能をIP網上で可能にするプラットフォームで、固定通信と移動通信の融合サービスを提供するのに適している。また、21CNはシンプルな構成あるため、レガシー・ネットワークに比べ運営費を約半分、設備投資を3分の2に削減できるという。

BTの21CNの概要
電話加入数 2,200万
着手時期 2004年
移行スケジュール 2006年移行開始
2009年ほぼ完了
コア・ネットワーク技術  IP MPLS
アーキテクチャー IMS
21CNのアクセス ADSLと既存の電話
21CN投資額 4000億円/年
コスト削減額 2008年以降2000億円/年

 NTTもオールIPベースの次世代通信網の構築を計画している。しかし、地域通信、長距離通信、携帯電話など複数の会社が別々にコア・ネッワークを整備したのでは、融合サービスに適合した効率的なネットワークを構築することは困難だ。融合の時代におけるコア・ネットワークは「One Converged Network」であり、通信基盤のグループ一体化は不可欠である。

また、NTTの経営形態も、融合の時代に適合できるよう見直しが必要である。「組織は戦略に従う」べきで、そうでなければNTTグループは求心力を維持することも、従業員の活動のベクトルを揃えることも難しい。電話の時代の枠組みから脱却し、融合の時代に向けた自らの戦略に沿って、思い切った経営形態の見直しを行なうべきだ。その結果がNTT再再編成となっても避けるべきではない。

本稿は「電気通信 2005年12月号」(社団法人 電気通信協会発行)の特集「通信自由化20周年にあたって」に掲載されたものです。「電気通信」編集部のご了解を頂きインフォコム・ニューズレターに転載させていただきました。ご好意に感謝致します。

特別研究員 本間 雅雄
編集室宛>nl@icr.co.jp
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