7.オンライン・コミュニティ成立の可能性
昔は国家対市民という構図があった。この場合には、国家が悪く、市民は良いとするものである。だから、市民である自分のすることはすべて良い、という図式があった。しかし、官庁にハッカーが侵入したときに、被害を受けるのは市民であるということもあり、物事は複雑な関係になっている。ヒッピーがコンピュータを批判した当時には、大組織だけがコンピュータを抱え込んでいた。それはおかしいので、個人がパワーを持ちたいということで、今では昔の大型コンピュータをはるかに凌ぐパソコンを持つようになっている。ということは、政府対市民ではなくて、市民同士がやりあうことがあることも考えていかなければならない、ということである。 皆がオンラインで情報交換することにはすごく意味があるし、良いことはたくさんある。つまり、従来の共同体はうっとうしいもので、逃げられず、また、人間関係もやっかいだ。国家は死ねと命令することもある。会社もきつい。共同体の良いところは救ってくれることだと思う。怪我したり病気になっても、そう簡単には放り出さない。人間は弱いので、それはとても良いことだ。その反面、忠誠を尽くさなければいけないし、簡単に離脱できない。 だから、簡単に入れるいわゆるオンライン・コミュニティというのは、電脳広場というべきものだ。これには、良いところはたくさんあるが、共同体とは違う。昔は、無理に共同体に押し込められていたが、今は外れている。その代わりに、個人がバラバラになっている。 人間は共同体の桎梏が強いと、自由になりたい、はばたきたいと考える。それはよく分かるが、自分自身の問題として、皆一人で生きているわけではないことを、よく考えなければいけない。一部、要領が悪く、まじめな若い人が、過激な宗教団体に走ったりする。 今の若い人たちが何で苦しんでいるかといえば、過激な競争社会だからだ。食べるものはたくさんある。でも、威信、名誉、つまり、友達とやって尊敬されればよい。何かできればよい。足が速いとか、顔がよいとか、勉強ができるとか。けれども、ほとんどの人は特に際立ったものを持っていない。持っていなくても、それなりにその人はいいんだと認めてくれる価値観がなければうまくいかない。しかし、今のサイバー・スペースは、そういうものを与えない過度の競争社会になっていて、さらにそれを煽っている。とにかくベンチャーで一度に10億、20億というように。10億儲かるのなら、大学辞めようかなと思ってしまう。そういう中で、実際には儲からなくて、ダメージを受ける人がたくさん出てくる。 こういう中で、電脳広場がオンライン・コミュニティになっていく可能性がある。たとえば、NGOとかNPOというものもある。基本的に3つのパワーがあると思う。その一つである国家は、明らかに衰退していて、今後も衰退していくが、軍隊と立法権を持っている。多国籍企業もますます強くなっていくが、それだけではダメだ。そういう意味で、市民というものを絶対視するわけではないし、また、市民の中に悪もあるが、NGOとかNPOといった形のもので相互チェックしていくようなシステムを、なんとか作っていくことが大切ではないかと思う。