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マンスリーフォーカス
No.83 June 2006

世界の通信企業の戦略提携図(2006年6月8日現在)

246. ボーダフォン経営の転換(概要)

ボーダフォン・グループの2006年3月期決算

 ボーダフォング・ループ( VOD)の概計2006年3月期連結決算が発表された。国際会計基準(IFRS)に基づく正規の決算書は株主総会(2006.7.25予定)に向け数週間後に用意される。

2006年3月期決算は総売上高(継続事業ベース)が前期比7.5%増の293億5,000万ポンドで、前期の最終利益65億1,800万ポンドが最終赤字218億2,100万ポンドになった。過去のドイツ・イタリーでの買収事業が期待ほど伸びず特別償却230億ポンドを行ったからである。ソフトバンクに売却したボーダフォン旧日本法人の2005年度決算は、売上高が前年度比1.8%減の70.2億ポンド、最終利益が前年度32%減の4.55億ポンドと加入者が伸び悩んだうえサービス維持コストが嵩んだため不調で、別枠で特別償却49億ポンドを行った。但しボーダフォン日本は89億ポンドで売却したので、ボーダフォン株主への特別配当90億ポンドの資金繰りに社債発行も含め60億ポンド貢献した。

 アルン・サリンCEOは先に従来移動電話中心できた経営(総売上高に占める携帯電話比率95%)を移動網・固定網融合に向けた新戦略に転換すると発表した(2006.4.7記者会見)。この予告は2005年上半期中間決算発表以来次第に高ってきた機関投資家中心の株主批判に応えたものと見られ、既に移動体通信事業を(1)成熟市場のヨーロッパと(2)新興市場(中欧・中東・アジア太平洋)に分割、新部門(3)「新事業とイノベーション」を起こすことにして(1)ヨーロッパCEOに元VOD 日本法人のビル・モローを任命、(2)中東欧アジア太平洋・関連会社CEO にポール・ドノバン取締役を充て、(3)新事業とイノベーション CEOに元独アルコア社長のトマス・ガイトナー取締役を充てた。

 2006年3月期決算発表時のA.サリンCEO声明書は「・・・新興市場でのM&A・買収については昨年チェコ、ルーマニア、インド・南アフリカ・トルコについて発表した。環境変化に対応する新戦略は5本柱、第一に成熟したヨーロッパ市場ではコスト節減と収入増進、第二に新興市場では高成長確保、第三に顧客ニーズに応えてモバイル中心のサービス提供をトータル・ソリューションに発展さぜる、第四に手持ち資産の活発な管理により利益を極大化する、第五に資本構成と株主収益にかかる財務方針を戦略的に同調させる。我々は"ボーダフォン一体計画により規模の経済の追求を続ける。ブロードバンド・サービスの取組みにより企業ユーザ向け”モバイル・プラスも開始する。・・」と盛り沢山である。7月人事でA.サリンCEOに批判的なP.ヒューCEO代理は退職するが、会長・会長代理の交代に合わせてA.サリンCEOも更迭とのマスコミ情報も流れるようになった。
決算発表時サリンCEOがWeb TVでも熱弁を振るったので6月に入ってVOD株価は欧州他社より早く上昇した。しかし次表の通り、世界の情報通信サービスプロバイダー上位30社番付の大勢に変わりはない。

世界の情報通信サービスプロバイダーTOP30社(2006.5.31現在)

ボーダフォン、トルコのテルシム買収

 ボーダフォンは2005年末にトルコ政府の競売で落札したトルコ第2位の携帯電話会社テルシムの買収を完了した(2006.5.25IHA報道)。国立トルコ貯蓄預託保険基金(TMSF)のA.エルトゥルク会長が$45.5億の入金を発表した。

 ボーダフォンは前日(2006.5.24)トルコ電気通信庁のGSM免許契約に署名し、TSMFから競売の説明を聞いた2005年8月末以来の手続を完了した。テルシム自身は最初の所有者ウザン財閥とともに1994年GSM免許を申請し、建設事業者モトローラ(MOT)機器納入業者ノキア(NOK)と建設・移転・運営契約( BTO)を結び、1998年に両社がウザン財閥と$27億のベンダー契約を結んで工事に着手したがウザン側がカネを支払わないので、ファミリーの何名かに対して2000年i月債務不履行・支払い意思無しでテルシム株を担保にとる訴えを起こし、ウザンの反訴及びテルシムの対モトローラ品質不良損害賠償なども重なり、長らく錯綜した訴訟が続いた末であった。2004年2月にトルコ銀行監督局がテルシムとウザン系218社を総額$58億の不法資金流用の廉で差し押さえ、テルシムをTMSFの管理下において新しい所有者を探し始め、ボーダフォンは実際2005年7月に名乗りを上げた。BTO契約はMOT$20億・NOK$7億だったが、MOTは$25億の回復を求めて米英仲裁機関にテルシムの国際ローミング収入・接続料年額$1億で2030年まで支払うこと認めさせる一幕もあった。結局TMSFがテルシムを国際競争入札にかけ2005年12月13日に開いたところ、ボーダフォンのオファー$45.5億がクウェイトのMTC、エジプトのオラスコムなどを抑え選ばれた。
その間モトローラはテルシムから現金$5億を受取り(2005年10月)、さらに今回$4.1億を受取る。ウザン財閥は資産価値$50億のテルシムを失いMOT/NOK債務$42億を負って自家用ジェット機とニューヨークのアパートをを差し押さえられ,ビリオネアーの地位を失ってカリフォルニアに隠遁したと言われる。

 テルシムの携帯電話加入数は2005年末950万でトルコ第1位トゥルクセルの2,790万加入に次いで第2位、なお第3位はアベアの610万である。テルシム2005年業績は売上高が前年比47.8%増の$10.51億、前年の営業損失$1,424万を改善して営業利益(償却前)$1億5,586万であり、ボーダフォンは向う3年間に設備改善投資$15億を投じて市場シェア22%を引上げると発表した。米欧市場でのM&Aよりも新興市場での拡大は手間と時間がかかるものである。

247. 新興国経済と株式市場(概要)

先進国マスコミ報道から

 世界の主要な株式市場の動きを反映する株価指数に「モルガン・スタンレー・キャピタル・インターナショナル( MSCI)世界株価指数」という主要国・中東欧・中南米等49カ国を網羅したのがあり、国際分散投資の運用の目安にされている。そのMSCI世界株価指数が349.28と2000年3月の最高値349.04を上回り「世界の株価最高値」と報道されたが(2006.5.8日経)、10日後には「マネー、安全志向強めるー新興国株・金相場が急落 米債券などに逆流(米欧利上げ観測受け)」(2006.5.28日経)と変わった。「株式、商品相場が急落に転じる引き金になったのは、米国で高まった利上げ継続観測。5月10日発表の米消費者物価指数が予想を上回り、インフレ抑制のため利上げが長期化、世界経済に水を差すリスクがあるとの懸念から投資家が安全志向を強め株式・商品市場から資金を引上げた」との解説で、最も影響を受けた新興国についてMSCI新興国株式指数のグラフが示された。また「相場変動を増幅するのがヘッジファンドの動き。世界の運用残高$1兆と言われるヘッジファンドの多くが、低金利の円などで資金を調達して新興市場で運用、利ざやを稼いできたが、米連邦準備理事会(FRB)新理事長と市場との対話の問題や日銀も超金融緩和解除に動き始めたことで従来手法が難しくなるとの見方が浮上、市場の波乱要因になっている」と解説。

 メモリアルデー3連休明けの5月31日は株式の反発上げで始まったが、米連邦公開市場委員会(FOMC)議事録発表後再下落となり、6月に入ると「マネー余剰の是正期に世界同時株安が進んでいる。8日の東京・アジア株式市場では主要な株価指数が全面安になったほか、ロンドン株も急反落。ニューヨーク株式市場も大幅続落。米国景気の減速と世界的な金融引締めへの警戒感が広がり、リスク資産から投資資金を引き揚げる動きが世界規模で起こり始めた」(2006.6.9日経)と報道された。「不思議な感じの株安だ。日米や新興成長諸国の企業業績は最高益。これまでの原油高も何とか乗り切り、2006年の世界経済は5%近く成長する見通し・・・市場を取り巻く環境は良好なはずなのに世界の株価は5月以降軒並み下がっている。・・・日米欧で余剰マネーの引揚げに直面し、グローバルな投資家はリスクの自覚を促され始め。・・・」日経編集委員)という。

 「危機の歴史繰り返すか」と題する日経けいざい解説(2006.6.11藤井彰夫編集委員)は「世界の金融・株式市場が揺れ動いている。市場関係者の間では1987年のブラックマンデーや98年の大手ヘッジファンド危機などと類似点を指摘する声もあるが、果たして歴史は繰り返すのだろうか。・・・市場では87年よりも98年に似ているとの声もある。98年夏、ロシアや中南米の新興市場の危機が米大手ヘッジファンドLTCMの破綻に波及した。市場のグローバル化の進展で、新興市場の危機が瞬時に先進国の金融機関を直撃した。当時は危機のコンテージョン(伝染)という言葉が流行した。確かに最近もインド、トルコ、ブラジルなど新興市場に動揺が広がり、5月末に決算を迎えた欧米ヘッジファンドに損失が発生したもようだ。最近の世界株安の背景にはファンドのリスク許容力の低下もある。だが似て非なる面もある。まずヘッジファンド業界の変化だ。98年当時はわずか五社程度のファンドが市場を寡占しリスクも集中していたが、現在は四千社に分散している。・・・新興市場の事情もかなり違う。97-98年通貨危機当時はアジアなど新興市場国の経常収支は軒並み赤字で外貨準備も乏しかった。今は外貨準備も積み上げ対外債務も圧縮していいる。・・・過去二回の危機に比べ世界経済や市場の耐久度は増しているようにみえる。・・・だが危機は常に想定外のリスク発生がきっかけになる…。

7月開催サンクトペテルブルグ・サミットに向けたG8財務相会合(2006.6.9-10)は中央銀行トップ不参加という事情、エネルギー安保優先のプーチン方針などの事情から原油以外のリスク要因について踏み込んだ討議を避け、共同声明で株安・為替に言及しなかった。

エコノミストの分析

 世界銀行(WB)に4組織(1)国際復興開発銀行(IBRD)(2)国際開発協会(IDA)(3)国際金融会社(IFC)(4))多数国投資保証機関(MIGA)があり、国際金融会社(IFC)の最近の世界開発金融報告書(2006年5月発表)によれば、2005年の対新興国外資純流入額は、図1の通り、$614億で加えて直接投資$2,375億が投入された。2005年末現在新興国証券取引所の株価総額は3年前$17兆の2.5倍の$44兆で、アジア市場の規模は3倍になっていた。しかし、2006年5月第2週以降新興国証券取引所の米ドルベース株価は、図2の通り、MSCI新興国株式指数で見て16%下がった。トルコは1/3減り、ブラジルとインドは1/5減った。新興市場専属の資金プールは2006年1-4月に2005年一年分以上のマネーを集めたが5月第3週に$50億吹っ飛んだ。海外マネーへの依存度の高い高リスク市場ほど相場の下げがきつく、過熱したイスタンブール市場ではGDPの6.3%に達する経常収支赤字を埋める海外マネーを集めるため株価が5月までに9.9%上がったと思ったらトルコ・リラの対ドルレートが16%下がり、中央銀行の緊急理事会で1.75%利上げを決めた(2006.6.7)。

図1:一括か3分割か

図2:壊れた陶器

<出所>エコノミスト(Economist2006.6.10刊"A nasty spillage)

 しかし、株式市場が暗示するものを見分けるのは難しい。新興国経済の物価上昇率は比較的弱く(平均5%未満)、成長率は底堅い。政府に支払い能力あり、債権者はリスク・プレミアが低くても承知する。政府の資金調達を海外マネーに依存する国はそう多くない。新興国株式市場が動揺する時、経済よりも株式市場自体が疑わしい。

 新興国経済では新株発行を伴う資金調達(エクィティ・ファイナンス)が外資を得る最も自然な手段である。企業は株式発行で対価を払わずに外国人からカネを得ることが出来る。ローンや社債と違って株式払込証明書に書かれた約束を発行者は果たせないかも知れないが、外国人が信用しなくなっても株価が下がるだけで事重大なデフォルトにはならない。臆病な外人投資家が株式を買い取る国内の買手を見つけられなくとも、市場調整が行われてマネーは当該国から出て行かない。

 新興国経済は外国の直接投資の形のエクィティ・ファイナンスにたけており2005年に導入した外資の半分が直接投資だった。近年未公開株投資企業も新興国経済に注目するようになったが、会社でなく株式を買いたい安定運用企業を魅了した記録にはむらがある。1997-8年アジア通貨危機前に途上国市場をもてあそんだ投資企業は損失を蒙り「深く突っ込まず長くとどまらず」になった。

 外資エクィティ・ファンドをとどめたものは、外資の動かすマネーが余りにも多くローカル企業の知識・力関係を知らなさ過ぎたからである。多くの新興国では経営に関心のないインサイダー取引に対する少数株主の法的保護が十分でない。融資契約違反を見つけて取締ることは容易でも、株主のクレームは巧妙に消されてしまう。でもIFCのS.ジャンコフによれば事態は改善されつつある。企業内お手盛り取引禁止条項・罰則を厳しくするメキシコ証券取引法改正が近く(2006.7.28)発効する。かつて「蛇の穴」と呼ばれたインドの証券取引所が最近規制当局の努力で毒気の少ない所になった。制定されて25年お蔵入りで朽ちたエジプト会社法が図太い金融相により施行された。

 S.ジャンコフはこの数週間の無差別な新興国株式の売却(sell-off)はこうした改革者の落胆を招くと心配する。"狩人"の識別力が落ちれば市場の流動性も失われる。米国の機関投資家は支配下の資産で全新興国株式市場を四つも買える。WBによれば新興国の株式売買はなお比較的軽やかで回転率は年40%以下とNASDAQの250%より遙かに低い(トルコ、タイ、インドは重く100%を超える)。
しかし、IFCトップのM.クライン(Michael Klein)は楽観的である。未公開株投資企業は短期的には上場企業(the pack)に賭けるのを好まず機会を求めてうろつくつくかも知れないが、長期的には先進国が成熟するにつれ途上国の若い労働力によりもたらされる実りと利益を共有することを望むと見るのである。それにどれだけの苦労と努力が必要かはまだ分らない。

248. 電子証券取引のグローバル化(概要)

 米国最大のニューヨーク証取グループ( NYX)と欧州多国籍取引所ユーロネクスト(Euronext N.V.)が対等合併することで合意した(2006.6.1署名、翌日発表)。「ニューヨーク証取ユーロネクスト(NYSE Euronext)」という新組織(統合完了2006年末)は2009年末までに株式・金融派生商品の売買システムをそれぞれ一本化し、これにより現物・デリバティブ取引市場をグローバルに再定義し、株主・発行者・利用者に多大の利益を生み出す。以下発表資料に基づき新組織の概要、沿革、影響について述べる。

ニューヨーク証取+ユーロネクストの誕生

 「ニューヨーク証取ユーロネクスト(NYSE Euronext)」は米国登記の持株会社とし、その株式はニューヨーク証取(NYSE)に上場して米ドルで取引するとともにパリ証取(Euronext Paris: Eurolist)に上場してユーロで取引する。米国本社はニューヨークに所在し、パリに国際本部を置くほかアムステルダム国際業務センターとデリバティブ業務センターのロンドンに国際本部を置く。
合併合意に基づきニューヨーク証取株式(NYSE)1株はNYSE Euronext普通株1株に交換され、ユーロネクスト株主には保有する株式1株をNYSE Euronext0.980株及び現金21.32ユーロと交換する権利または按分比例で全て現金で受取る権利が与えられる。株式交換は規制当局と株主総会の承認を得て6ヶ月以内に開始されるものと期待される。ユーロネクスト株主には既報の1株3ユーロ特別配当も交付される。

 ニューヨーク証取ユーロネクスト(NYSE Euronext)はバランスのとれた組織運営体制をとる。NYSE Euronextの第一層取締役会会長にはヤン・ミシェル・ヘッセルス現Euronext監査役会長が就任し、ニューヨーク証取のマーシャルN.カーター会長は会長代理に就任する。ジョンA.セイン現ニューヨーク証取最高経営者がNYSE Euronext CEOとなり、ジャン-フランソア・テオドール現ユーロネクストCEOはCEO代理兼国際業務センター長に就任する。テオドール/セイン両氏はニューヨーク証取ユーロネクスト取締役会に出席する。取締役会定数は当初20名とし、ニューヨーク証取が11名、ユーロネクストが9名をそれぞれ指名する。バランスのとれた体制は内規に明記する。諸条件の変更並びに中核的戦略決定は優先多数票決による。執行委員会はニューヨーク証取/ユーロネクスト出身同数で構成する。

 ニューヨーク証取とユーロネクストの戦略的提携により市場価値約150億ユーロ(約$200億)の世界最大かつ最も躍動的な証券取引所が創造される。ニューヨーク証取が強みを持つ現物株にユーロネクストの得意とする先物やオプション取引などデリバティブ)が加わり、ともに指導的地位にある市場データと技術を駆使することにより幅広い金融商品を扱うグローバル市場が実現する。「ニューヨーク証取ユーロネクスト」は日々約800億ユーロ($1,000億)の取引を行う流通市場と上場企業時価総額21兆ユーロ($27兆)の発行市場の任に当たる。

ユーロネクストとニューヨーク証取の生い立ち

 統合戦略を立てたニューヨーク証取とユーロネクストの力量は2000年以来のそれぞれの競争的発展のなかで培われたものである。

 証券取引所の歴史上始めての越境統合はユーロネクストで、アムステルダム証券取引所・ブラッセル証券取引所・パリ証券取引所を所有する持株会社(2000.9.22設立)により発足した。統合を主導したのはフランスで本部をパリに置いたが、アムステルダム証取が東印度会社(VOC)により1602年に設立されプリント株券・社債を扱う世界最古の取引所であり、先物取引も他に先んじて開始した(1978年)ことから持株会社をオランダ法人としたと思われる。3証取はそれぞれEuronext Amsterdam、Euronext Brussels、Euronext Parisに改称された。

 ユーロネクストの動きを見てフランクフルトのドイツ取引所(Deusche Boerse)も、越境統合の準備として銀行が取引する際の処理作業の受託戦略を立て身軽になるため2001年に株式会社化した。そこでユーロネクストは英国ロンドン国際金融先物オプション取引所( LIFFE)を子会社(2002年1月)、続いてポルトガル証取を翌月買収しEuronext Lisbonとした。

 米国の証券取引の歴史も古い。ニューヨーク証取の設立は1817年で会員組織にしたのが1892年、相場を投資家に伝える電信テープの発明が1867年で、草創期の電話のお得意は仲買人だった。以来二次の世界大戦を通じて米国は証券システムの機械化・自動化・電子化で世界の先頭に立ってきた。

 データ処理サービス推進のため1972年にNYSEその他の証取合弁で証券産業自動化協会(SIAC)が設立されたが、産業の枠組みを変えたのはナスダックである。
ナスダックは全国証券仲買人協会( NASD)が1971年に開設した全国証券仲買人協会自動化相場づけ(NASDAQ)を指し、当初は単なる電子掲示版で相場の上乗せ幅引き下げを意図したためかディーラーに嫌われて利用が伸びず、NASDAQは遠い未来の市場と囃された。証券売買は従来通り電話注文だったが、1987年秋のクラッシュで仲買人が電話に応答しないのを代替して電子証券処理システムが立ち上がった。NASDAQは2002年に自らを「ナスダック・ストック・マーケット(NDAQ)」として上場した。NASDAQは今や上場企業数3,300社で他のどの市場よりも利用される米国最大の電子株式市場となり、NDAQは2006年第1四半期に黒字化した。

 NASDAQはIT企業の市場として定着したものの、マイクロソフトのような超大企業は例外で大多数は新興ベンチャーなので、NDAQの希望は1990年代から努めて実らない海外進出で稼ぐことである。NDAQはロンドン証取(LSE)に狙いを定め株式取得に努めてきたが、ドイツ取引所やオーストラリアのマカリー銀行と競合いになり、最近(2006年3月)にLSE1株9.5ポンドの買収提案をした後撤回した。

 同じ頃ニューヨーク証取(NYSE)は小型銘柄に強いアーキペラゴ証取の買収を完了してニューヨーク・エリアと改称し、上場会社の監督機能を規制ユニットとして分離の上、自らと2組織を所有する持株会社ニューヨーク証取グループ(NYX)を設立すると同時に自らを上場した(2006.3.7)。213年続いた非営利会員組織を株式会社に改めた結果、上場初値$67で計算した時価総額が$100億を超える取引所が誕生した。正に自由な金融市場では、「厳格な証券取引ルールさえ守れば何でもあり」が事実になる。

取引所規制は強化すべきか?

 「世界約100カ国の証券監督機関で構成する証券監督者国債機構(IOSCO)は、世界各国で相次ぐ証券取引所の上場や国境を越えた市場再編に鑑み加盟国の監視機能の充実など取引所規制の強化に動き出した。日本の金融庁も主要メンバーとして参加しており、東京市場の規制にも影響しそうだ。・・・」(日経夕刊2006.3.25) 
確かにIOSCOという組織があり1998年次総会で規制原則30項目を定め、自己点検を始めてから証券取引所の上場が6件あり、ミラノのイタリア取引所やスペインの取引所も検討中である。しかし、上場に相応しい企業を「選ぶ」側だった取引所が自ら株式を上場し収益向上のため企業誘致に必死になってる時IOSCOは眼中にない。むしろエンロン事件に伴う企業改革法(サベナス・オックスレー法)が求める厳格な内部管理による高コストから米国が敬遠される実態があり、危機感が再編の原動力になっている一方取引所規制の国際協議には時間がかかる。ニューヨーク証取・ユーロネクスト合併にしても各傘下の取引所は各国規制の下で運営しつつ業務単位に統合する漸進的アプローチととる。

 ニューヨーク証取・ユーロネクスト合併合意(2006.1)とNDAQがロンドン証取の筆頭株主(株式保有率25.1%)となった時点(2006.6.5)の主要証取市場規模は、次図の通り、NYSE+EuronextがNo.1、売買システムの未熟な東証は別として、NASDAQがNo.2、Deusche Boerse No.4となる。ユーロネクストを上回るNYSE買収提案をして敗れたドイツ取引所は諦めてないとの声明を出した(2006.6.3)。統合戦略は各取引所のトップの判断、相手方との折衝・合意、そして株主である機関投資家の承認を経て実現する。2006年は取引所再編のうねりが錯綜する年となろう。

世界の主要証取市場規模

<寄稿> 高橋 洋文(元関西大学教授)
編集室宛 nl@icr.co.jp
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