ホーム > InfoCom World Trend Report >
InfoCom World Trend Report
2014年8月26日掲載

2014年7月号(No.304)

「ア、秋だ!誰れだか禿山の向こうを通るとみえて、から車の音が虚空に響きわたッた・・・」 (ツルゲーネフ「あいびき」/二葉亭四迷訳)

ダリのロブスター電話機 〜なぜTV電話は普及しなかったのか〜
電話の浸襲性

かつて電話の全国「自動即時化」(1979年)が終わり、ISDNによる消費者向け固定データ通信サービスが始まったころ、やがて来るブロードバンド通信時代のポスト「電話」は「TV電話」であると通信事業者の間では言われていた。これは携帯電話で3Gサービスが始まった時(2001年)も同様である。しかしながら固定移動いずれの消費者市場でもTV電話の利用はあまり普及せず、かわりに主流となったのはSMSやEメールといった「メール」であった。

この予想が外れた原因は、テキストと映像という伝送内容の違いにあるのではなく、伝送の「同期」性にある。電話は「即時性」で手紙に勝るが、「同期性」ゆえの「受け手の私時間への乱入」(「浸襲性」)という欠点を持つ。忙しい時あるいは思考を集中している時の突然の電話で、思考の流れを中断され、やりかけていたことが振り出しにもどって気分を害した経験は多くの人がもっているだろう。サルバドール・ダリが、触れば噛みつかれそうな大きなハサミをもつロブスター(エビ)の形をした受話器を備えた電話機のオブジェで表現しようとしたことは、電話の持つこの凶器のような性格ではなかったか。

その意味でTV電話は映像も送れるという点で技術進歩であったが、それは同時にこの「浸襲性」を拡大、言わば私時間に加え私空間へも乱入するものであった。ゆえに「インターネット」(1995年)利用端末であるパソコンや携帯電話の普及とともに、「即時性」に加え「非同期性」(受け手の好きな時に読めるという意味で非浸襲的)を兼ね備えた「メール」がポスト「電話」となったのである。

やがて固定ブロードバンド(2000年代前半)の普及とともにメールの内容は、テキストから画像・映像へと進化する一方、家庭内LANの普及による住宅通信市場の個人市場化ともに、実際の愛情や友情、義理人情など「情」で結び付いた私的「人間関係(「ソーシャルグラフ」)を基礎とした複数のコミュニティメンバーの間で、ブログ(日々更新されるWeb上の掲示板)によって「情報共有」する「SNS(ソーシャルネットワークサービス)」(2004年)が生まれた。さらに携帯パソコンとでもいうべきスマートフォンの登場(2008年)でモバイルBBが可能となると、Facebookに代表されるSNSは固定通信のみならずモバイルの世界にも広まり、今や全世界で十数億人が利用するまでになっている。

しかしここ近年、電話番号をアドレスとしたLINEやWhatsUpにみられるように、1対1通信の無料通話・メールサービスが急成長している。これらサービスの成長は従量制料金をとる通話・SMSと定額制のデータ通信の料金格差を突いたものとも言えるが、逆にいえば同期的1対1通信、メールチャットのみならず電話にも根強い需要があることを示している。これは電話の同期性のもつ「浸襲性」は、家族や恋人など愛情をはじめとする親密な「情」関係にある人々の間では問題にならないからである(注1)。

バレンボイムの転がるタクト 〜ー聞は百文・百見にしかず〜 
情感コミュニケーションツールとしては音声通話が最優位

またメールよりも電話(音声通話)が選好されるもう一つの理由として、人は言葉というよりも、語調や表情から相手の感情を認識することが挙げられる。人間のコミュニケーションにおいて相手に影響を与える3つの要素の力の割合は「メラビアンの法則」と言われ、「表情・態度」が55%、「抑揚・口調」が38%、「言葉」自体はわずか7%という(注2)。従って「感情」や「本人性」の再現性(識別性)という「情感コミュニケーション」の点では、電話はメール(テキスト)よりも、はるかに優れている(一方、メールでの感情伝達を補う工夫が絵文字やスタンプである)。

更に感情や本人性の「情感コミュニケーション」の品質、つまり表情や語調、本人の肉体や肉声の再現性(臨場感)は、伝送される画質や音質に依存する。この点においても現時点では音声伝送は映像伝送に一日の長がある。 

2010年5月、英オックスフォード大学のシェルドニアン・ホールでのバレンボイム指揮ベルリンフィルの演奏会の模様を、NHKが5.1chサラウンド、ハイビジョンTV放送で生中継したことがあった。5.1chということで2chステレオで聞くよりも臨場感が高まることを期待していたが、曲の演奏の臨場感についてはCDの場合とさして変わらず期待したほどではなかった(もちろん演奏そのものは良かったのではあるが)。ところが途中で指揮者がタクトを床に落としたとみえて(その場面は映っていない)、タクトが床を転がる音がホールに響き渡った。その音の広がりがもたらしたまるでホールに自分が座っているかのような臨場感は、おもわず「ア!」と声をあげたほどであった。

一方映像伝送はHDはいうに及ばず、3D映画でもまだ専用メガネを要し、特に実写映像の立体性表現はまだ不十分で、音響に比べ自然な臨場感に欠ける。

今年6月試験放送の始まった4Kテレビは、店頭の大型TVの画面サイズ程度で見る限りメガネなしでも結構立体的に見え、次の8Kになるともっと立体性が高まるという。ただそうなってもモバイル端末の小さな画面や親近者間の密室向き通信内容を考えれば、やはりTV電話の普及は三度目の正直ということにはならないのではないか。

いずれにせよ情感コミュニケーションの観点からは、現在の技術水準ではメール・映像伝送に比べ音声通話が最も優れていると言えよう。

通信キャリアのHD音声サービスは、
「SNSの通話アプリ」への対抗策になるか

日本でもこの6月NTTドコモのVoLTE (Voice over LTE) の開始に伴い、世界に遅れること5年近くいよいよHD音声 (High Definition Voice) サービスが始まった(注3)。HD音声の伝送周波数範囲は、従来の固定であれ移動であれアナログ電話サービスの伝送周波数範囲は300Hz〜3.4kHzであったのに対し、その2倍 (50Hz〜7kHz)となり、人間の通常の発声周波数範囲(75Hz〜7kHz程度)の大半をカバーするから、通話の情感伝送性は大幅に向上する(注4)。
従ってVoLTEの HD音声通話サービスの意義は、単に一般的用途における音声通話の音質向上ということではなくて、親しい関係にある人々向けの「情感コミュニケーション」(情感伝送)サービスの品質向上にあると言えよう。

そしてそうであるならばHD音声サービスは、SNS的機能を強めるLINEやFacebookのWhatsUp買収にみられるごとく、親しい人間関係を交流単位とするSNSのコミュニケーション機能の一つとして利用される通話アプリ(注5)に対し、需要は親近者に限定されるかも知れないが、通信キャリアのモバイル音声サービスの情感伝送の品質面での付加価値(強み)となることが期待されるのである(注6)。
(すでに3GによるモバイルHD音声通話サービスが導入 (2009〜) されている欧州などでは、多くの需要を集めているという(注7))。

※1 対人の距離関係とコミュニケーションメディアの間の整理は、「デジタルネイティブの時代」 (木村忠正/2012年)に詳しい。

※2 「ヘルス この一手 メールで伝わる?」高野知樹(日経新聞 2014年2月8日)
また通信キャリアのソフトバンクが6月に発表した、世界で初めて感情認識機能を搭載するクラウド接続の人型ロボット「Peper」は、カメラやマイク等で人の表情や声のトーンから相手の感情を認識するという。

※3 HD音声サービスについては、以下を参照
「立ち上がるかモバイルHD音声サービス」ITpro 2011年11月11日 松本祐一
情報通信総合研究所 副主任研究員(当時)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111109/373587/

※4 ちなみに人間の可聴音域は20kz〜20kHzであり、これは音楽CDの再現音域の規格となっている。

※5 「(Facebookの既存サービスとは違って)1対1や、親しい友人や家族といった少人数のグループで、シンプルで素早いコミュニケーションをできるところがWhatsUpの特徴だ」ハビエル・オリバン、フェイスブック副社長(「フェイスブック、「1.9兆円買収」を語る」日経ビジネス ONLINE 2014年5月26日)

※6 「もう一度「音声通話」をコミュニケーションの基本として見直してもらいたいという気持ちを込めている。よりクリアな音声品質で通話ができる点がキー。確かに利用数は減少し続けているが、VoLTEのクリアな音質を体験していただければ、音声通話がもう一度魅力的に感じられると思う」(加藤NTTドコモ社長 2014年5月14日)

※7 「LTE時代の音声通信サービス(VoLTE)」(谷田敏一、本誌2014年3月号P100)

※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部無料で公開しているものです。

「InfoCom World Trend Report」年間購読のご案内
(サービス概要、サンプル請求等の方はこちら)
このエントリーをはてなブックマークに追加
▲このページのトップへ
InfoComニューズレター
Copyright© 情報通信総合研究所. 当サイト内に掲載されたすべての内容について、無断転載、複製、複写、盗用を禁じます。
InfoComニューズレターを書籍・雑誌等でご紹介いただく場合は、あらかじめ編集室へご連絡ください。