トレンド情報-シリーズ[1999年]

[メガコンペティションは今?]
[第21回]99年4月からメガコンペティションは新段階

(1999.5)

 通信業界で99年4月に起きた三つのイベントは、メガコンペティションが新段階に入ったことを示す。その第一は99年2月以来のオリベッティによるテレコムイタリア株式公開買い付けをめぐる攻防戦が、ドイツテレコム/テレコムイタリア合併合意で終結したこと、第二はAT&T/BTの日本テレコム出資合意により国際通信ベンチャーの日本市場への橋頭堡が築かれたこと、第三は政府間国際機構インマルサットが民間株式会社に移行したことであり、すべて既存キャリアーの防衛的アクションと言う特徴がある。

●ドイツテレコムとテレコムイタリアの合併ー防衛的国際提携
 世界の通信自由化の枠組みがWTOで成立した1997年2月15日以来、WorldComとMCIの合併(97年11月合意、98年10月完了)、SBC Communi cationsのAmeritech買収(98年5月合意、未完)、Bell AtlanticのGTE買収(98年7月合意、未完)、AT&T-BT国際通信ベンチャー(98年7月合意、未完)などの超大型M&Aが展開されてきた。最近のコンセンサスとして、世界の通信業界は2002年までにグローバル・スーパーキャリアー4~5社と地域別・国別ニッチ・プロバイダー約4000社が共存する見通しと言われる(Global Telecom Business Mach/April 1999 52頁)が、その構図の要素となりそうな大型M&Aが99年4月22日に発表された。ドイツテレコム(Deutsche Telekom:DT)とテレコムイタリア(Telecom Italia:TelItal)の株式交換による合併である。

 この起こりはイタリアのOA機器メーカー、オリベッティ(Olivetti:OL)が99年2月にTelItalに526ユーロ(590億ドル)の株式公開買い付け(Take Over Bid:TOB)を仕掛けたことに始まる。92年以来5年連続の赤字を97年に黒字化したOLが時価総額で20倍のTelItalを買収するための資金源としてドイツの鉄鋼財閥マンネスマンが蔭にあり、その通信子会社アルコア(Mannesmann Arcor:MA)が第2キャリアーであるため、TOB攻防戦の最初からTelItalを救う白馬の騎士としてDTが噂されていた。一方、94年8月の統合で誕生したTelItalはSTETの傘下にあり、政府保有株式は44.7%だったが、STETとTelItalの97年10月合併で生まれた新TelItal株式は、発行済の90%を約900万名の個人株主が保有し、政府保有はわずか3.4%に過ぎない。しかし、いわゆる黄金株としてイタリア政府が合併・買収への拒否権を持つと言う複雑な構造であった。そこでOLの仕掛けにTelItalが応戦するTOB攻防戦は個人株主の争奪と政財界を二分する政治的な争いになり、企業防衛策を決めるTelItal臨時株主総会が定足数不足で成立しないと言う土壇場で、実は前からTelItalと交渉していたと言うDTが表舞台に登場した。99年4月21日のTelItal取締役会はOL提案額を50億ドル上回る700億ドルをイタリア側にもたらすDTの合併提案を承認した。

 株式時価総額1750億ドル、従業員数30万名の巨大キャリアーが誕生するまでには、ドイツ、イタリア両政府とEC委員会の承認や国際通信合弁事業グローバル・ワンのパートナーFT(France Telecom、フランステレコム)、スプリントの納得など多くの課題が残されている。

 この合併の背景は98年初頭に始まったEUの通信完全自由化が既存キャリアーにもたらした市場変革の衝撃である。リスクの多い買収に踏み切ったDTは、僅か18カ月で長距離市場シェアを30%奪われ、小さなセグメントだが国際トラフィックを急速に奪われつつあり、グローバル・ワンの黒字化のメドも立たない情況にある。「DTは厳しい競争に直面すると予想はしていたが、それがこんなに早く、きたないものとは思っていなかった」(Communications International 99年3月号ー{Germany: A Time of restoration,consolidation and acceleration})のである。TelItalにしても競争の挑戦に立ち向かうべき98年を社内派閥争いや戦略の迷いに過ごし、AT&T-UnisourceやC&Wとの提携も実らなかった。「言い寄る者とは誰とでもキスしたが、病気をもらっただけ」(The Economist 99.4.24-30.{European telecom in a tangle})と言う始末である。DT-TelItal合併の本質は、競争の強風が吹き始めて心許なくなった既存キャリアーの防衛的M&Aなのだ。

 この両社を、市場が平穏だった時に早くから漸進的に自由化を進めてきたBTと比べると歴然としている。BTの従業員数は両社の半分以下だが、時価総額は半分以上である。

区別DTTelItalBT
従業員数(98末) 179,000127,000124,700
株式時価総額($B)(99.4.20現在)106.167.0102.7
売上高($B)41.827.325.7
利益($B)2.52.22.8

 DT-TelItal合併は固定系に強いDTと移動系に強いTelItalの相互補完的合併だから大いにメリットがあるとする見方はある。問題は怒るFTの出方とスプリントの動きである。当面は、信頼感が損なわれたからにはもはやグローバル・ワンは維持できないとの見方が強い

●AT&TーBT国際通信ベンチャーの日本戦略
 AT&TのJ.D.ジグリス社長、BTのP.ボンフィールド社長、日本テレコム(JT)の坂田会長は、99年4月25日に東京で資本提携の基本合意書に調印し、共同記者会見を行った。「通信大連合、アジアに波及」の観測記事が出てからほぼ1ヶ月後だった。
 基本合意の主な内容は、(1)AT&TとBTはそれぞれJT株式の15%を取得する、(2)AT&TとBTはそれぞれJTに常務級常勤役員を派遣する、(3)JTにAT&TとBTの在日通信子会社を統合する、(4)JTはAT&TーBT国際通信ベンチャーに参加し、その提供サービスを日本で独占的に販売する、の4点である。
 資本提携の具体化は、AT&TとBTが新たに設立する信託子会社を通じてJTの第三者割当増資を引き受けることとし、AT&TとBTは増資後発行済株式639,047の15%づつを保有し、所用資金の分担割合はAT&T2対BT1とする。増資とAT&T、BTの参加に伴い既存株主の出資比率は下がるが、JR東日本は15.1%で筆頭株主を続け、JRグループ合計では33.9%でAT&T-BTを超える。

AT&T/BTの日本での事業体制

 JTは97年10月にITJ(日本国際通信)を統合して国内・国際一体サービスを指向し、日本の通信事業者のなかでいち早くIPネットワーク構築に踏み切っており、グローバルな新IP網の開発・構築を目指すAT&T-BT国際通信ベンチャーにとって恰好のパートナーである。JTは増資資金2,200億円をAT&T、BTの子会社統合、インフラ整備、移動通信事業に使うとしているが、果たして対等の立場でグローバル・オープン・プラットフォーム提供のアジア地域パートナーになり得るのか、また、AT&TとBTがこれまで築いてきた日本の通信事業者との協力関係をどう維持するのか、特にBTとNTTとパートナーシップをどうするのか、今後の展開が注目される。

●インマルサットー政府間国際機構民営化第一号
 インマルサット(Inmarsat:International Maritime Organization)は、1979 年に創設された国際海事衛星機構で、初期にはマリサットによる米国が加わっていなかったが、1982年に米国システムを統合し、世界の対船舶通信と海難救助業務(Global Maritime Distress and Safety Service: GMDSS)を行ってきた。
 海事衛星通信市場成熟につれ航空・陸上に進出し、またグローバル移動衛星通信イリジウム計画に対抗して、中高度移動衛星を計画する子会社ICO Global Communicationsを設立(95年2月)したが、民間ベースの低軌道(Low Earth Orbit: LEC)衛星計画が盛んになるにつれ、公正競争条件として本体の民営化を迫られるようになって、98年9月の臨時総会で民営化計画を決定した。移行計画は、(1)99年4月目途に英国籍株式会社(public limited company)を設立して一般通信業務を商業ベースで行い、2年後に上場・公開する、(2)新Inmarsatは現締約国総会を継承するInmarsat IGO(Inter Governmental Organization)との公的サービス協定に基づき海難救助業務も継続する、(3)Inmarsat IGOは黄金株(合併・買収など組織変更の拒否権を持つ株式)を保有する、(4)ICO Global への出資は新Inmarsatが引き継ぐものである。

 99年4月15日に新Inmarsatが発足して12名の取締役が選任され、同19 日に会長にR.ヴォス(英国)、副会長にG.ロリス(ギリシャ)が選任された。86カ国が参加し14万移動通信端末にサービスする民間会社は円滑に始動した。

 ところでInmarsat民営化を迫ったイリジウムは、当初予定の98年9月サービス開始を11月に延期(日本では99年1月)したが、営業活動の不調や資金調達の遅れなどの責任をとって、99年4月23日にE.スタイアノ副会長兼CEOが辞任した。4月26日に発表された99年第1四半期の業績は、売上高145万ドル、損失5.1億ドル、加入数10,294であった。新技術に基づくシステムが円滑に運行されるまでは多くの問題が起きるものだし、この3~4年間の地上移動電話の伸び、機器軽量化と料金引き下げは予測を超えたものではある.
 それにしてもイリジウムとInmarsatの成り行きは対蹠的であり、99年4月は移動衛星通信の歴史的イベントを記録したのであった。

(関西大学総合情報学部教授 高橋洋文)

(入稿:1999.4)

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