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2011年9月8日掲載

映画『アンノウン』と本人認証

法制度研究グループ
グループリーダー 小向 太郎
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 リーアム・ニーソン主演のサスペンス映画『アンノウン』が、日本では今年の春に公開された。当初、『身元不明』という邦題が予定されていたが、東日本大震災の直後に不適切だと変更されたようだ。

 映画は、植物学者のマーティンが、学会出席のために妻とベルリンにやってくるところから始まる。パスポートを空港に忘れたことに気づき、あわててタクシーで引き返す。しかし、途中で交通事故に遭って意識を失ってしまう。病院で目覚めた彼には記憶障害が出ているが、ようやく思い出してホテルに向かう。ホテルにいた妻は自分を知らないといい、その傍らには自分がマーティンだと名乗る別の男がいる。

 気がつくと自分を見る周りの目が変わってしまっているというシチュエーションは、サスペンスの発端としてよく使われる。この手の話は、どのようにオチを付けるかで、鑑賞後の印象や評価が大きく変わってしまう。正直なところ、実は夢だったとか宇宙人の陰謀だったという話は勘弁して欲しい。その点、この映画のプロットはかなり頑張ったのではないか。不法滞在中の女性タクシー運転手(ダイアン・クルーガー)や元東ドイツ秘密警察の探偵(ブルーノ・ガンツ)などをうまく絡ませて、最後まで楽しめる映画に仕上げている。

 主人公は、自分が「マーティン・ハリス博士」だということを必死で証明しようとするが、パスポートも身分証明書もない。大学サイトの自分の紹介ページを見せて本物だと分からせようとしても、そのページの写真も自分を名乗る別の男に替えられている(検索サイトのキャッシュを見れば、古い情報が残っているかもと思ったのは、私だけではあるまい)。

 外国でパスポートをなくしてしまったような場合でなくても、自分が自分であることを証明することは意外に難しい。身元確認には、公的な機関が発効する写真付きの身分証明書を用いるのが一般的である。しかし、それらの証明書を発行するときの身元確認はどうするのか。さらにその身元確認手段を発効するときの身元確認はどうするのか。疑い出すとキリがない。例えば、わが国で本人確認の手段としてよく使われている運転免許証は、発行する際に、住民基本台帳で政府が把握している住民情報等によって本人を特定することで、本人性を担保しようとしている。本人以外が申請することがあっても、すぐばれるし長続きしないという前提で制度が成り立っている。

 突き詰めて考えれば、本人かどうかということは、他の人との関係において確認するしかない。住民基本台帳の情報も、通常は親が出生届を出すことが起点となっている。いつも一緒に過ごしている家族や親しい友人については、今までの記憶から、その人が本人であることを確信している。本人が過去を偽っていたということはあるかも知れないが、通常は本人確認そのものが問題にならない。

 しかし、現代社会に生きている我々は、身近に知っている人だけを相手にして生きていけるわけではない。次のような理由で本人認証の必要が頻繁に生じる。

  1. 何か問題が起きたときに責任を追及したい
  2. 経緯を正確に把握できるようにしたい

 特に、公平性が求められる公的分野や、長期的な信用が重要になる金融等の分野では、「(2)経緯を正確に把握できるようにしたい」というニーズが強くなる。これに応えるためには、例えば、全ての国民に対して一人一人ユニークなコード(統一コード)を付与することが、強力なソリューションになる。

 一方で、統一コードは、通常の個人情報やプライバシーとは異なった問題を生じる可能性がある。まず、政府が統一コードを発行・管理すると、国民に関する情報が過度に集中管理されるのではないかという懸念を生じる。また、統一コードの利用が民間に広く開放された場合には、実質的に唯一の本人認証手段になってしまう可能性が高くなる。何らかの取引関係に入る場合に、必ず統一コードの提示が求められることになりかねない。官民を問わず個人情報が取り扱われる際に、常に統一コードと紐付けられているということになれば、これは悪用のしがいがある。個人ごとに情報を名寄せすることも容易になり、思いもかけない形で、新たな個人情報が作られたり、個人の選別が行われたりすることになりかねない(小向太郎『情報法入門(第2版)デジタル・ネットワークの法律』NTT出版(2011)第6章参照)。

 住基ネットシステムの導入に際しては、国家管理の強化やプライバシー侵害に対する懸念から強い反発があった。反対意見も踏まえ、住基ネットで利用される住民票コードは、原則として収集自体が禁止されている(住民基本台帳法30条の43)。許される利用目的の範囲も法律によって限定されており、制度の一環として発行される住基カード(身分証明書)の券面にも住民票コードは記載されていない。全体として、統一コードの危険をかなり意識した制度になっている。

 しかし、住民を統一的に把握する基盤がないことは、管理の不備を生み出す場合がある。社会保険庁において、年金記録の不備が露呈して国民の非難を浴びたことは、まだ記憶に新しい。現在導入に向けて検討されている社会保障・税に関わる番号制度は、過去の経緯を正確に把握することで、適正かつ公平な徴収・給付を確保しようとするものである。「見える番号」を券面に記載したものを国民に支給し、その番号を基に社会保障・税の事務を行うという方針が示されている。悩ましいのは、「見える番号」を導入しながら、統一コードとして広く拡散することを防ぎたいという要望があることだ。

 券面に記載されている以上、その利用を技術的に制限することは難しい。制度的に制限することが必要になる。利用や情報連携の範囲を限定する。番号利用を監督する第三者機関も設立する。技術的にも情報集約がしにくいシステムにする。直接番号を用いずに情報の連携ができる情報連携基盤を構築する。こういった、さまざまな対応手段の導入が予定されている(政府・与党社会保障改革検討本部「社会保障・税番号大綱—主権者たる国民の視点に立った番号制度の構築—」2011年6月30日)。

 一方で、巨額の公費を用いて導入する番号制度を、民間利用も含めて有効活用すべきだという意見も強い。しかし、統一コードに対して強い懸念が実際に存在することを考えれば、共通番号の利用や連携の範囲は限定すべきである。そもそも、他企業や機関との汎用的な連携がどれくらい必要なのかどうかについても、具体的な議論をする必要がある。一般的な民間利用では、「(1)何か問題が起きたときに責任を追及したい」という要望に応えられればよいという場合も多いかもしれない。構築が予定されている情報連携基盤を使えば、共通番号以外の新しいIDを発行できるようになる可能性がある。多様なIDが使えるようにすることで、少なくとも懸念の一部は払拭される。番号制度の設計に関する議論にもトレードオフの部分があり、唯一無二の正解があるわけではない。しかし、本人認証手段に選択肢を設けることは、結構重要なポイントである。

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