●グローバル化の枠組みを再考する
近着のテレコミュニケーションズ・ポリシー1998年第8号に「電気通信事業者の提携の将来」と言うコメントが載っている。著者ジョゼフ・モンルイ(Joseph Monlouis)はフランス・テレコムの課長さんのようだが、同質化と均整と題して最近のグローバル・アライアンスに理論物理学の法則を当てはめた序論から、米国の電気通信グローバル化:新世界の不協和音、ヨーロッパの電気通信グローバル化、日本の電気通信グローバル化と題した比較論が面白い。
なんでも理論物理学では、空間と時間の等方性から角運動量保存の法則が導かれ、空間や時間の起原の不存在から運動量/エネルギー保存の法則が演繹されるそうで、彼はそれを生のまま現代社会に当てはめて「社会経済の同質化」法則とし、世界中の社会構造、文化や経済などの生活様式は同じ方向に融合するとの仮説をつくる。それに基づく説明は以下のとおりである。
「社会経済の同質化の法則で見ると、1984年AT&T分割は、AT&Tのユニバーサルサービスの世界がMCIの登場で破壊されたが、電気通信産業は産業界のマーケティング/管理手法に学んで革新し、産業界は料金値下げや新製品・サービスの利益を得る形で、均衡が回復された。しかし電気通信グローバル化とグローバル同質化を同期させることには失敗した。1996年通信法は米国電気通信業界の利害の精緻な妥協の産物だが、ケーブル・メディアやデータ処理・娯楽余暇産業との境界をうまく乗り越えられない限り、社会経済の同質化のインパクトはない。
米国と違って、もともとドイツを西側世界に迎え入れるためにできたECの延長であるEUでは、電気通信の同質化は全体経済の同質化の副産物であり、加盟国の調整に配慮して時間はかかったが、たゆまぬ努力で1987年のグリーンペーパーから1998年1月の全面的自由化まで来た。1997年12月の情報通信産業界の融合化に関するグリーンペーパーはCATV、電気通信、テレビに対し共通の規制の枠組みを設けるもので、米国の1996年通信法を超えている。しかし、サービス産業は米国より弱体である。
日本の通信自由化は1972年に始まり、1986年に前進したもののかなり時間がかかっており、排他主義によるとする見方があるが、そうではない。日本はアメリカ型ではなくヨーロッパ型で、非規制化は米国に遅れ、サービス産業は弱体である。日本は同質的な社会を西洋化することに成功し、電気通信の同質化は経済全体の同質化の副産物である。今金融・経済の危機に陥っているが、新しい社会経済のパラダイムを模索しているのだろう。
彼のグローバル化の枠組みは、電気通信企業のグローバルな進出が社会的、経済的な同質化に裏付けられていれば、積極的にM&Aを展開すべきであり、そうでない場合は自重してあいまいな提携は避けた方が良いというものである。
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