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Global Perspective 2012
2012年3月12日掲載

大震災から1年、シューマッハー『スモール イズ ビューティフル』を読みなおす

グローバル研究グループ 佐藤 仁
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 2012年3月11日、東日本大震災から1年が経ちました。
被災された方々には改めて御見舞いを申し上げます。

エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー
『スモールイズビューティフル』

 さてシューマッハーという人をご存知であろうか?多くの日本人がF1ドライバーかと思うかもしれない。1970年代に学生時代を送られた方なら知っている人も多いのではないだろうか。1911年ドイツ生まれのイギリスの経済学者でケインズに師事したことでも知られている。

 1973年に刊行された『スモール イズ ビューティフル』(原題:”Small is Beautiful: A Study of Economics as if People mattered”)の中でエネルギー危機を予言し世界から注目を浴び日本語にも翻訳されたので、読んだ方も多いだろう。

 日本語訳が過去に3回出ている。

  1. 「人間復興の経済」斉藤志郎 訳 佑学社 1976
  2. 「スモール イズ ビューティフル:人間中心の経済学」小島慶三・酒井懋 訳 講談社学術新書 1986
  3. 「スモール イズ ビューティフル再論」酒井懋 訳 講談社学術新書 2000

 3回の訳書で内容(トピック)の構成が若干異なるので原書と読み比べてみると興味深い。シューマッハーは哲学者でもあるため、同著の中においても「仏教経済学」や「霊性と非暴力」にも注目し、開発・工業化における人間のあり方や精神についても述べている。現在の日本の状況を鑑みて、シューマッハーの警告について改めて考えさせられる箇所が多い。

 本稿では「スモール イズ ビューティフル:人間中心の経済学」(講談社学術新書 1986)および「スモール イズ ビューティフル再論」(講談社学術新書 2000)を取り上げて、シューマッハーが原子力問題について言及している箇所を中心に取り上げてみたい。

適正技術、原子力

 シューマッハーは、石炭、石油(化石燃料)に依存する産業の今後のエネルギー危機の到来を予測し警鐘を発している。その変革のために、「中間技術(適正技術)」の開発と、それらの途上国発展に向けた適用の重要性を訴えている。では、「中間技術」の目標とは何であろうか。シューマッハーは以下のように分析(※1)している。

  • 小さいこと
  • 簡素なこと
  • 安い資本でできること
  • 非暴力的であること

 そして、「非暴力的であること」の例として、原子力をあげている。以下のように述べている(※2)

歴史上もっとも暴力的な技術、原子力-「平和的」原子核エネルギー- の政治的含意を考えてみよう。今日の核開発計画が実行されるとすれば起こる、プルトニウムや放射性物質が至るところに存在するとき、どんな安全対策が必要になるかを考えていただきたい。これらの恐ろしい物質が環境にもれ出ることはなんとしても防がなくてはならないし、どんな場合にもコントロール下に置かなくてはならないし、また決して悪しき手- 強請者、テロリスト、政治的ならず者ないし自殺狂- に渡るようなことがあってはならない。(中略)
技術と自由の連関は明らかであり、自由の代価、あるいは少なくともその代価の一部が暴力的な技術を割けることであるのを見抜くのは困難である。

 現在では当たり前と思われている原子力の
「安全対策」
「漏出することの恐怖」
「悪用されないこと」
の重要性を主張している。1973年出版の本だが、39年前にすでに2011年の福島原発や1986年のチェルノブイリの姿そのものを予言していたかのようである。

 さらに、以下のようにも警告している(※3)

原子核エネルギーの、いわゆる無限の可能性が指摘されるのが常である。放射線を安全に処理する方法がないかぎり、核分裂エネルギーを大規模に発展させるのはほとんど自殺的である。(中略)
そのような大規模の開発は、増殖炉を基礎にして初めて可能だということである。

 「安全に処理する方法がないのに発展させるのは、ほとんど自殺的」とまで述べられている。現代の日本には非常に耳の痛い言葉である。以下のシューマッハーの主張(※4)には返す言葉もない。

いかに経済がそれ(原子力)で繁栄するからといって、「安全性」を確保する方法もわからず、何千年、何万年の間、ありとあらゆる生物に測り知れぬ危険をもたらすような、毒性の強い物質を大量にためこんでよいというものではない。そんなことをするのは、生命そのものに対する冒涜であり、その罪は、かつて人間のおかしたどんな罪よりも数段重い。文明がそのような罪の上に成り立つと考えるのは、倫理的にも精神的にも、また形而上学的にいっても、化け物じみている。

スモール イズ ビューティフル

 本書の冒頭で、「小さいことの素晴らしさ」について述べている(※5)。本のタイトルである「スモール イズ ビューティフル」である。エネルギー消費の「適正」基準の第一は「小規模」だと主張している。

「大きければ大きいほどよい」という考えを意図的に捨て去り、物事には適正な限度というものがあり、それを上下に越えると誤りに陥ることを理解しなくてはならない。小さいことの素晴らしさは、人間のスケールの素晴らしさと定義できよう。

 現代日本の社会を見てみよう。東日本大震災前まで、当たり前のように利用される電気に対して多くの人々は疑問を持っていなかったのではないだろうか。大震災後、関東地方を中心に節電を余技なくされて、改めて電気の大切さと全てのものが「大きく」ある必要がないことに気がついたのではないだろうか。

人間の英知

 また経済学者であり哲学者でもあるシューマッハーは開発と工業化における人間の在り方について以下のようにも述べている(※6)

いちばん大切なのは、読み物である。(中略)功利的で教訓的な読み物に限られてはならず、もっと広い範囲- 政治、歴史、芸術- の読み物を含むべきである。つまり、「精神を養うプログラム」である。
(中略)
現代文明は、「英知」の泉である心の教化に再びとりかかってはじめて生き残れる。現代人は英知なしで生き残るには今やこざかしくなりすぎている。

 本書は、もともと途上国の開発、工業化、経済発展問題について書かれた本である。しかし、現在、日本のおかれた状況を鑑みると、改めてシューマッハーの述べていることを思いかえすべき点は多々ある。さらに、今後の日本がどのようにあるべきかを示唆する内容も多く見受けられる。
もう一度日本人は「スモール イズ ビューティフル」の原点を振り返る必要があるだろう。

 本書は1973年の出版だが、あたかも2011年の日本での原子力発電所の危険性を予言していたかのような箇所が多くある。シューマッハーの鋭いコメントと着想は21世紀の現代社会を生きる我々は気が付かされる点が多い。
決して悲観的になる必要はない。シューマッハーが同著で石油危機を的中させ、日本もオイルショックの影響を受けたが、その後も日本は石油ショックをバネにして様々な製品開発を行い発展してきた。

 石油ショック当時の日本と現在の日本では、取り巻く世界経済や国際政治体制など様々な環境が異なっているが、日本では今回の大震災からも多くのことを学び、既に様々な分野の新たな製品開発に活かされている。日本人の英知にこれからも期待している。

※本情報は2012年3月11日現在のものである。

(参考)

  • “Small is Beautiful: A Study of Economics as if People mattered” E. F. Schumacher, Blond & Briggs 1973
  • 「スモール イズ ビューティフル:人間中心の経済学」小島慶三・酒井懋 訳 講談社学術新書 1986
  • 「スモール イズ ビューティフル再論」酒井懋 訳 講談社学術新書 2000

※1 スモール イズ ビューティフル再論」(講談社学術新書 2000) P155

※2 「スモール イズ ビューティフル再論」(講談社学術新書 2000) P155

※3 「スモール イズ ビューティフル再論」(講談社学術新書 2000) P163

※4 「スモール イズ ビューティフル:人間中心の経済学」(講談社学術新書 1986) P190

※5 「スモール イズ ビューティフル再論」(講談社学術新書 2000) P47

※6 「スモール イズ ビューティフル再論」(講談社学術新書 2000) P176、P270

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