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マンスリーフォーカス
No.38 September 2002

世界の通信企業の戦略提携図(2002年9月4日現在)

112. 通信企業の不況対策と株価(概要)

 経営不振に陥った企業は皆コスト削減と増収策を講じるが、現行携帯電話サービスの成熟期に入った移動通信企業、特に次世代(3G)免許競争入札で重荷を負った西欧の通信企業にとっては特別償却を行って収益性を回復することが重要である。移動通信は長期的には成長事業だが、短期的には不況期の3G免許・投資負担が連結決算する親会社に影響するのである。

 ドイツテレコム(DT)に例をとると、DTの2002年上半期決算発表(2002.8.21)では
売上高は対前年同期比14.5%増の$251億、EBITDA(利払い・税金・償却前利益)は同7.2%増の$76億を記録したが、米国ヴォイスストリーム(VoiceStream:VS)の買収や3G免許取得費用の償却$30億などのため、過去最大の赤字$38億の損失であった。累積債務は第2四半期中にユーロベースでは674億から642億に縮小したが、ドルベースでは$597億から$623億に増えている。今後2004年末までに目標債務500億ユーロまで縮小するよう努力するが、経営戦略の見直し結果は11月20日に発表するとした。

 DTの8月30日現在株価は7月31日現在の$11.32から$11.00に下がった。しかし最近3カ月間の視点からは、5月31日現在$10.80、6月28日現在$9.31と余り動いていないように見える。

 低迷するヨーロッパ通信業界で3Gサービス計画・開始が遅れて行くなかで、ハチソン3G計画だけは予定通りである。ハチソン・ワンポア社のキャニング.フォック社長は2002年8月22日に『3Gサービスを英国とイタリアで10月にサービス開始する。両国とも2003年末までに100万加入を獲得する。これは電話業ではない。電話機は最小のビデオカメラであり、最小のコンピュータであり、最小のテレビだ。NEC製2機種とモトローラ製1機種、3種類のビデオカメラ付き携帯電話機を$1,923で売る。』と述べた。この大胆な3G戦略に対し二通りの評価があった、証券市場は冷たく同社株は2000年初頭の最高値のほぼ1/3、$55.5まで下がり、一方香港の小口投資家と大衆は拍手喝采であった。ハチソン・ワンポア社の親会社長江実業を率いる李嘉信に対する地元の信頼は厚い。

113. ニューズ社は静かに満足(概要)

 2002年初頭以来メディアコングロマリットのトップは困難な時を過ごしてきた。
 レオン・キルヒのグループは巨額債務解消策を模索中キルヒメディアの破産申請に至り(2002.4.28)、解体に向かっている。AOLタイムワーナーのAOL系幹部はインターネット事業の不振からTW系幹部に取って代わられ(2002.5.14及び7.28)、スティーブ・ケース会長も棚上げ同様である。ヴィヴァンディ・ユニバーサルのジャンーマリー・メシエ会長兼CEOは業績悪化と米国系幹部の追求により辞任した(2002.7.3)。ベルテルスマンのトマス・ミッデルホフ会長兼CEOは総合メディア企業の多角化・グローバル化に成功しながら株式公開戦略がオーナーに認められないため辞任した(2002.7.28)。とろろが予て綱渡り的資金繰りとトラブルメーカーで有名なニューズ社のキース・ルパート・マードック会長兼CEOは困難な時代の信頼性と安定性のモデルになっている。

 長女のエリザベスは出産・育児のため一時退いているものの、1990年11月のBSB/スカイテレビ合併調印式に19才で同席した長男ラクランは今やニューズ社COO代理で、ハーバード大を中退メディアビジネスに従事してニューズ社入社が遅れた次男ジェイムスもニューズ社執行副社長及びスター・グループ会長兼CEOとなり、同族経営も安泰である。

 ニューズ社の今日ある理由の第一は、インターネット戦略に遅れたことである。インターネットブームのなかで例えばeパートナーズに$3億などニューメディア投資は行ってきたが、他のメディアコングロマリットに比べ飛び込むのが遅れ、従って小額の損失で済み最悪の事態は回避できたのである。

 第二の理由はオールドメディアに磨きをかけて輝かしたことである。マードック自身と1990年以来CFOのデイヴィッド・デヴォーが全力投球で負債を$120億から$52億に減らして売上高$100億、キャッシュ$30億に達した後、1996年10月にニューズ社社長兼COOに昇格したピーター・チャーニンの下、TV放送局、撮影所、出版業やTVシンジケート・ショーなど暫く前から無価値な事業に分類されてきたものの活気を取り戻させたのである。

 第三の理由は多様化による迅速な回復力である。メディア事業はいずれも広告費のサイクルに支配されているが、多様な資産分布が打撃に対するクッションになっている。

 最後に以上3点に加えニューズ社は今資金バランスが良い形になっている。1990年代初頭に倒産の危機に瀕してからマードックは慎重なギャンブラーに変身し短期債務を切って長期債務に限ることにしたり、2002年6月に至る1年間に負債を8%減らして$87億としキャッシュは26%増やして$36億としたからである。

 今ニューズ社の内部には自己満足というと言い過ぎだが一種の静かな満足のムードが漲っている。いつになく控え目にマードック会長は『我々は皆間違いをして来た』と述べ、メディア王も傲慢な会社と取られないよう気をつけてると言われる。

114. フィリピンの情報通信の動向(概要)

 フィリピンは戦後の植民地独立の先頭に立ち民族主義、民主主義の経験ではアジアの先進国であった。工業化の面でも米国の援助で進み1960年頃は今日のNIES諸国を凌いでいた。しかし旧体制を温存する面もあったためマルコス大統領が変革して開発主義体制を確立したのだが、やがて権威主義・仲間優遇・国家資源纂奪と化し、経済の停滞と政情不安定をもたらした。アキノ大統領を経て1992年5月に就任したラモス大統領は武装反政府勢力と和平協定を結んで国民和解を前進させたが、寧ろイスラム原理主義グループ「アブ・サヤフ(Abu Sayyaf)」が台頭し、今日の国際テロ撲滅作戦のなかで課題を残している。

 フィリピンの電気通信事業は1905年にマニラに電話会社が設立され、それが1928年にPhilippine Long Distance Telephone Company: PLDTと改称され、以来民間主導により運営されてきた。1993年までは長距離を含む国内電話市場はPLDT1社がシェア90%とほぼ独占し、残りは民間会社50社と運輸通信省(DOTC)の内局である電気通信局(TELOF)と地方政府による8運営体がサービスを提供していた。

 通信自由化はラモス政権下大統領令第59号(1993年2月公布)「通信事業者間相互接続の取り決め」及び大統領令第109号(1993年7月公布)「地域通信サービス提供条件の改善方針」によって始められた。さらに法律第792号(1995年3月制定)「フィリピン電気通信開発と公衆電気通信サービスに関する法律」が規制緩和を定め、DOTCの下部機関として消費者利益の視点で規制実務を行う国家通信委員(NTC)が設けられた。通信企業の外資は共和国憲法に公益事業の場合40%未満という形で定められている。

 フィリピンの電気通信サービスの現状をNTC統計で見ると、2000年末現在固定電話加入数3,061,387(対人口普及率4%)、携帯電話加入数6,454,369(普及率8.4%)と携帯が固定を大きく追い越している。固定電話については新しい統計がないが、携帯電話について調査会社Pyramid Research,Inc.は今や1,100万に達したと推計している。もう一つの特徴はGSM携帯電話システム制御チャンネル利用のショート・メッセージ・サービス(SMS)の普及で、2002年の売上高は$4.8億と予測されている。

 フィリピンの主要通信企業はPLDTグループ(政府系資本のほか香港のファースト・パシフィック24.4%、NTT15%の外資を含む)、グローブ・グループ(地場資本アヤラ系で、シンガポール・テレコム28%、ドイツ・テレコム4.8%の外資を含む)、ディジテル(地元財閥ゴコンウェイ 47.4%、スウェーデンのテリア9.4%含む)の順序で、バヤンテル(地場資本にベライズン19%出資)は移動系がないため立ち上がれないでいる。

 PLDTは従来コファンコ財閥が経営の中心にであったが、1998年11月にインドネシアのサリム財閥の香港投資会社ファースト・パシフィックが出資して筆頭株主となった時コファンコ氏は取締役会会長となり、フィリピン出身でFPにいたパンギリナン氏がPLDT社長となった。ところが2002年6月にファースト・パシフィックが債務削減のためPLDT株式をゴコンウェイに売却するとしたため紛争が始まった。

<寄稿> 高橋 洋文(元関西大学教授)
編集室宛 nl@icr.co.jp
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