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InfoComアイ
1996年11月掲載

情報化社会の人間的側面

 インターネットブームは衰えを見せないが、その将来をめぐっては悲観論と楽観論の際立った対立がある。
楽観論の今インターネットが当面している課題は順次解決されていくであろうという予測の当否はさておいて、悲観論のここ数年のうちにインターネットブームは終りを告げ、インターネットはコンピュータオタク族のための特殊なネットワークに戻るだろうという予測について考えてみたい。

 インターネットの持つセキュリティやキャパシティといった技術的課題がどう解決されるかはインターネットの将来を考える上で非常に重要ではあるが、ここではその問題を別としてインターネットのような情報ネットワークと人間との関係を考えてみたい。

 情報化社会とは必要な情報を必要な時に必要な場所で安く入手できる状態が実現されることだとすると、インターネットのような情報ネットワークが大きな役割を果たすことになり、不可欠であるということになる。
しかし、そのような状態を実現することは不可能である。
われわれ凡人にとっては何が必要な情報かがわからない、それが何時必要かもわからないのが通常の状況である。
 もちろん欲しい情報がわかっている場合もあるが、それはむしろ例外的な場合である。
通常われわれが入手している情報は情報の送り手が人々はこんな情報を必要としているのではなかろうかと勝手に推測して送り付けてくるものである。それに接して初めてこれは面白いとかつまらないとか自分の中にあった情報への欲求に気がつくというのが通常のパターンである。どうしても欲しい情報があってそれを求めて探しまわるというような行動はメッタに起こらない。
インターネットで欲しい情報を探しまわるような人が急激に増えるとは思えない。最初は物珍らしさでいろいろ探す人もいるかもしれないが、結局自分の求めるものがそこにはないということに気がついておそらく除々に離れていくであろう。

 情報を自分から探すためにはエネルギーがいる。それだけのエネルギーを持つ人は少数派であり、大多数の人は他人が選んでくれた情報を受け取る方が楽だと感じている。
 しかも本当に欲しい情報はなかなか見つからない。
 インターネットは確かに情報の選択の幅を広げてはくれるが、求める情報はなかなか与えてくれないだろう。
これを裏から見ると、われわれが面白いと思うような情報はなかなか作れないということである。

 主婦や学生までがホームページを作る時代であるが、その中に本当に価値のあるものがどれだけあるか。他人の役に立つ、あるいは楽しませる情報を作り出すことは容易なことではない。
デジタル多チャンネル放送が始まっているが、数百チャンネルを埋められるコンテントが本当にあるのか。現在の新聞、雑誌、TV放送を見てもその内容の貧しさは目をおおいたくなるほどである。
多くの専門家、職人が知恵を絞ってもあの程度のものしかできないのである。
インターネットに多くの情報が供給されるだろうが、その大部分は人々の興味、関心を引くレベルには達しないだろう。
そうなれば人々は情報を自分から求めることをやめて、自分から情報を発信することもやめて元のままの新聞やTVから皆が知っている情報を受けとるだけで満足する世界に戻っていくのではないだろうか。

 インターネットのような情報ネットワークが本当に機能を発揮できるためには、人間1人1人の、情報を創造し発信する能力、情報を探索し受容し理解する能力が向上することが必要なのである。
 それなしには単なるがらくた情報の洪水の中に人々が沈んでしまうという情報化社会しかやってこないのではなかろうか。

取締役 通信事業研究部長 小澤 隆弘
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