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Global Perspective 2011
2011年12月16日掲載

2011年、国際政治における「ソーシャルメディア」を考える

グローバル研究グループ 佐藤 仁
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 2011年11月24日、フランスの調査会社Semiocastが2010年から2011年にかけての「Twitter上でよく使用される言語」に関する調査結果を発表した。1位は圧倒的に英語で、2位は日本語である。そして今年の特徴としてアラビア語が急増したことが大きな特徴である。

 その背景には2010年末にチュニジアのジャスミン革命に端を発した「アラブの春」があるからだろう。本稿ではソーシャルメディア、インターネットが国際政治に与える影響について考察してみたい。

Twitter言語別順位と特徴

 今回の調査は2010年7月1日〜2011年10月31日までに投稿された61言語のツイート数の合計56億件を対象に行った。各言語の順位と占める割合は以下の通りである。

(表1)Twitterに占める言語の順位・シェア・特徴(表1)Twitterに占める言語の順位・シェア・特徴

 なお、Twitterが規制されている中国は全体の0.5%以下だが、毎日約52万人のツイートがあると結果が出ている。中国では、2009年から提供開始されているSinaが運営する「Weibo(微博)」が有名で、2011年3月には利用者が1億人を突破している。

アラビア語の急増

 アラビア語のツイート数は、2011年10月には1日220万ツイートを超えて、世界8位になった。(全体では1.2%)アラビア語は、なんと昨年から2,146%も増加している。この背景には2010年末にチュニジアのジャスミン革命に端を発した「アラブの春」があるからだろう。

 「アラブの春」はソーシャルメディアが引き金になったとよく言われているが、その真相と関与度などついてはもうすこし時間をおいての解明が必要であろう。しかし今回の調査結果のように数字だけで見ると、アラビア語のツイートが前年比で2,146%も増加をしているのを見ると「アラブの春」へのソーシャルメディアの果たした役割は大きい要因の1つと言えるだろう。

The Political Power of Social Media

 2011年はソーシャルメディアが国際政治に与えた年として後年の歴史に残る年となるであろう。そこで、ソーシャルメディアと政治の関係について考察してみたい・

 米国の外交雑誌「Foreign Affairs」(Volume 90 No.1/ 2011年 January/February)にニューヨーク大学のClay Shirky教授は"The Political Power of Social Media: Technology,the Public Sphere,and Political Change"という論文を寄稿している。雑誌発刊時にはちょうど「アラブの春」真っ只中であったが、執筆時はアラブでは革命が起きていなかったので、同論文では「アラブの春」は言及されていない。

 その中でClay Shirky教授は、ソーシャルメディアが国際政治に与える影響として以下の点言及している。主要な点を列挙する。

  • 1990年代にインターネットが登場して、世界のインターネット利用者は数十億人にまで増加した。この間、ソーシャルメディアは市民社会における生活の一部として多くの市民、活動家、NGO、政府などに利用されるようになった。アメリカ政府もこのソーシャルメディアの拡大にどのように対応していくか、どのような利益をもたらすか、という問題に直面している。
  • ソーシャルメディア(携帯電話のショートメッセージや電子メールも含む)による民衆のデモは成功するだけでなく、失敗することも多くある。

(成功例)

  • 2001年1月にフィリピンのエストラーダ大統領の不正をめぐる裁判中に、エストラーダ支持派が重要な証拠公開を阻む決議を採択。それを知った民衆がマニラの主要ストリートに集まった。携帯電話のSMS(ショートメッセージ)で「Go 2 ESDA, Wear Blk.」(黒い服を着て、Epifanio de los Santos Avenue(ESDA)へ行こう)というメッセージが民衆の間に拡散したのが原因だった。1週間に700万のショートメッセージが送信された。民衆の大規模抗議活動を受けて、大統領派も、資料を提出しエストラーダは追い込まれた。彼自身も「ショートメッセージ世代」にやられたと述べていた。
  • 当時はまだソーシャルメディアがなかった。2001年当時は携帯電話もショートメッセージと通話が中心でネットアクセス機能を備えた携帯電話はフィリピンの民衆の間には普及していなかった。しかし携帯電話のショートメッセージというツールを活用して人々が政治権力に抵抗した例としてはフィリピンの2001年のデモが最初だろう。
  • 2004年にはスペインでもショートメッセージによるデモが起きてアズナール首相は選挙に敗れた。
  • 2009年にモルドバではショートメッセージ、Facebook、Twitterを介して人々がデモを起こし共産党政権が崩壊した。

(失敗例)

  • 一方で、このように人々がソーシャルメディアを活用してデモを行おうとしたが政府によって抑え込まれたケースも多くある。
  • 2006年3月、ベラルーシでソーシャルメディアを活用して街頭デモを行ったが、デモは失敗し政府によるソーシャルメディアの締め付けは厳しくなった。
  • 2009年7月、イランの「Green Movement」も人々のデモは最終的に暴力的弾圧によって抑え込まれた。
  • 2010年、タイで発生した「Red Shirt」デモもソーシャルメディアで人々がバンコクに集まったがタイ政府によって紛糾され、多くの犠牲者が出た。
  • ソーシャルメディアというツールを活用した民衆のデモは、歴史的にも新しい事象であり、各国それぞれのデモをパターン化するには事例がまだ少なすぎるが、ソーシャルメディアは政治活動において民衆の連帯を強化するためのツールになってきている。そのため、権威主義政権のほとんどはソーシャルメディアへのアクセスを制限しようとしている。
  • アメリカ国務省は政策として「インターネットの自由」にはコミットしている。これはアメリカの「世界を民主主義にしていく」という戦略と、「表現の自由」という信条にも合致しているから当然のことであろう。
  • しかし、「インターネットの自由」「表現の自由」としてインターネットをどこかの国の民主化支援のツールとして反政府・反体制派が活用するのは効果的でないこともある。逆に失敗した時には問題は更に深刻になりかねない。
    →アメリカ政府は「インターネットの自由」を支援していくべきだが、対応には気をつけていくべきである。

(The Perils of Internet Freedom)

  • 2010年1月、ヒラリークリントン国務長官は、"Freedom to connect"を発表し、アメリカが対外政策として「インターネットの自由」を促進していくことを強調した。その中で、ネットにアクセス制限がされている国にはネットアクセスに向けた開発支援(資金援助)を表明した。アメリカ政府は権威主義国家のネット検閲に対しては迅速な対応をすべきで、それが可能であるとも述べている。
    →この方法は政治的アピールにはなっているし、行動主義的だが、間違っている点もある。逆に国際関係においては危険になる可能性もある。過去の事例として、「Haystack」と「Freegate」を挙げている。ソーシャルメディアが短期的に"どこかの国を民主化させるための武器"とみるのは難しいとClay Shirky教授は指摘している。
  • ソーシャルメディアは、「インターネットの自由」という目的を手に入れる手段とみなすのではなく、「民主化に向けた市民社会と公共空間の環境整備」のツールとみなされる。
    →「インターネットの自由」は独立した個別課題として扱うのではなく、根本的な政治的自由につながる長期的な重要な要素として位置づけられる。

(The Theater of Collapse)

  • 東西冷戦を思い出す必要がある。冷戦期にアメリカはVOA(Voice Of America)を通じて東側に様々な情報を発信してきた。しかし、それらが冷戦終結に直結したよりも、「経済の変化(macroeconomic force)」の方が大きい。西側諸国からの情報、市民間のコミュニケーションはあくまでも補助的ツールであった。これらのツールが直接、冷戦期の共産党政権を崩壊させたわけではない。
  • ネット空間ではメディアや印刷物のように情報が拡散されると同時に、ネット空間での意見の形成や議論が活発になる。情報にアクセスすることも重要だが、相互に議論を交わすことの方が重要である。統計分析から見ても、デモで効果的なのは長い政治活動の過程と結果であり、突然発生したデモではない。
    →アメリカが世界規模での政治的自由体制の実現をコミットするのであるならば、この点を理解して注力すべきである。

(The Conservative Dilemma)

  • ソーシャルメディアは、ネットワークを通じて多くの人々の間で、「共有認識(shared awareness)」を増加することができる。
    →人々の「共有認識」が「独裁者のジレンマ」というイメージを作り出す。しかし、実際は「独裁者のジレンマ」でなく「保守派のジレンマ(the conservative dilemma)」と表現した方が適切である。新たなメディアの発展は、政府と市民の見解の違いについて説明を求められるようになった。
  • 「保守派のジレンマ」が示す行動は、検閲とプロパガンダ。しかし、これらは市民を静かにさせるための手段としては適切ではない。むしろ状況を悪化させる。万が一、インターネットへのアクセスや携帯電話を禁止したら、国内政治状況だけでなく経済的なダメージも大きく、今まで政治に関心のなかった人々までも政治的な行動に走る可能性があり危険である。(ネットにアクセスできないことで、かわいい猫の写真にアクセスできない人々まで政府に抵抗するようになるとのことで、ハーバード大学のEthan Zuckermanはこのような現象を「the cute cat theory of digital activism」と称している)
  • アメリカが「言論の自由」を推進することを一番のプライオリティにしたとしても、民主主義国家同盟国間ではうまく機能するかもしれないが、非民主主義同盟国とはうまくいかないだろう。まして同盟関係にない国とは機能することはない。
    →アメリカ政府は、経済活動促進のためにインターネット技術へのアクセスを各国に推奨していくべきである。各国ともに経済成長を望んでいる。経済成長のためには、インターネットは不可欠な技術である。「自由の美徳(virtue of freedome)」よりも「経済的利益」に訴えた方が効果的である。

(Social media Skepticism)

  • ソーシャルメディアが政治を変化させるかという問いに対して、以下2つの議論がある。
    (1)ソーシャルメディアを利用した活動は有効的ではない
    (2)ソーシャルメディアは民主主義にとって、善でもあり悪でもある。
    →ソーシャルメディアを利用した政治運動が全て成功するわけではない。国家に よって潰されることもある。
  • 国家もソーシャルメディアを利用しようとする市民の監視や行動の阻止のために強化策を講じている。ソーシャルメディアは国家・政府のパワーを弱めると同時に強化させることにもなっている。例として、中国政府の高度で徹底した管理システムをあげている。
  • 一方で、長く利用されてきたツール(インターネット)へのアクセスを禁止することによって政府が危機に陥ったケースもある。
    例として、バーレーンでは政府がGoogle Earthの利用を禁止したら、それに対して市民が行動を起こし4日後にはアクセス可能に戻した。
  • 世界中の活動家は、ソーシャルメディアが有益なツールとであると考えている。同時に政府もソーシャルメディアの持つパワーは強力であると考えているから、それらの利用を遮断したり、逮捕、追放、殺害までしている。
    →アメリカ政府は、政治目的でソーシャルメディアを利用して投獄された人々の解放を要求すべきだ。

(Looking at the long run)

  • アメリカ政府が「インターネットの自由」を掲げるのであれば、特定国家でのネット検閲や言論と集会の自由を支援していく必要がある。
  • アメリカ国務省の「インターネットの自由」の政策目標は、「国家内での個人、社会でのコミュニケーションの自由」で、ついで「個人の表現の自由」の確保になる。
    →GoogleやYouTubeへのアクセスの自由よりも、市民が自由に集会を行う自由が重要である。
  • さらに難しく、だが重要な問題として、アメリカ政府として公共空間(インターネット)にいる民間企業(Facebook、Twitter、Wikipediaのアメリカ企業だけでなく、中国のQQ、韓国のNaverなど)とどのように関わっていくかということがあげられる。インターネット空間で今後、どれだけ言論の自由が保証できるかは重要な問題である。
  • アメリカは、ソーシャルメディアは「民主化の手段」としてとらえるよりも「民主化に向けた環境整備」と考えた方が長期的には利益、ベネフィットをもたらすことになる。

 このようにClay Shirky教授は、ソーシャルメディアはあくまでも「民主化に向けた環境整備」の手段(ツール)であると主張している。たしかにソーシャルメディアが登場してからまだ年月が経っていないことから証明することは難しい。
しかしインターネットは世界のどこにいても利用して情報を拡散するツールとなった。そのツールを利用して人々が集結したり、情報を発信・拡散することが可能になった。この流れは止められないだろう。現時点ではまだソーシャルメディアも携帯電話もツールなのである。情報伝播のスピードは格段に上がったが、むしろClay Shirky教授が指摘するように、それらを利用したことによって投獄されている人を救うことや、言論・集会の自由を確保することが重要である。
近い将来、ソーシャルメディアやインターネットが国家、政府に与える影響については国際政治学の中で1つ理論として形成されるかもしれない。現在はその理論を立証・分析するためのケースを集める段階なのかもしれない。

Digital Power: Social Media & Political Change

 2011年3月31日に米国外交問題評議会(Council on Foreign Relations:CFR)主催の講演会にて、「Digital Power: Social Media And Political Change」という対談を国務省政策部長のAnne-Marie Slaughter氏と行っている。プレサイダーはForeign Affairs編集長のGideon Rose氏が務めている。
同スピーチの原稿も公開されている。また下記には公開されている動画も掲載しておく。詳細は、原稿と動画を閲覧頂きたい。
ここでは国務省でクリントン国務長官らと「Freedom to connect」に関わっていたAnne-Marie Slaughter氏の考えるインターネットと民主化についてのポイントを取り上げてみたい。

  • アメリカ政府はアラブで革命が起きる2年前に既にインターネットの自由として「Freedom to connect」を表明していた。
  • アメリカは21世紀においても、常に表現の自由を守っていく必要がある。
  • インターネットはタウンホールであり、カフェでもあり、公共空間でもあるのだ。そこには人々が集まり、時には政治的な議論がされることもある
  • インターネットはただの技術ではなく、そこはタウンホール的な空間であり、権利があり、アクセスする自由がある。

「Freedom to connect」については以下の3つの側面からとらえている。

  1. 様々な情報が飛び交っているインターネットへアクセスする自由がある。人々にはオンラインとオフラインの生活があり、段々統合されつつある。インターネットにアクセスできないと21世紀では、世界から切り離されてしまう。

  2. インターネットに接続したら、どのような情報にもアクセスできる自由がある。西洋からの情報もあるだろうし、自国の反体制派の情報もあるだろうが、全ての情報にアクセスできなければならない。

  3. あらゆる人々とお互いに繋がることができなければならない。

 「Freedom to connect」は民主主義に繋がるということではない。まずはインターネット自身にアクセスできることであり、世界の知識・情報にアクセスし、自分がいる社会の内外の人々とも繋がる自由があることだ。クリントン国務長官も言っているように、21世紀の外交は「政府と政府」で行われるだけでなく、「政府と(相手国の)社会、市民」で行われることになるのだ。

【参考動画:CFR主催の対談 "Digital Power: Social Media & Political Change"(2011年)】

テヘラン・バーチャル・アメリカ大使館

 2011年12月6日、米国務省は、国交のないイランに向けて「テヘラン・バーチャル・アメリカ大使館」を開設した。イラン政府によって即遮断されてしまった(日本からは閲覧可能)。同サイトにおいてもクリントン国務長官は「Internet Freedom」を掲げて、アメリカ・イランの溝を埋め、相互理解を促進するためにインターネットを活用できる、とネットの重要性を強調している。同サイトはペルシャ語にも対応し、アメリカへ留学するためのビザ取得方法なども書かれている。オバマ大統領からもイラン国民に対して、「Nowruz」(イランの新年)を祝う動画メッセージが掲載されている。さらに同サイトではソーシャルメディアの連携として以下にも対応している。

これは今後の国際政治にインパクトを与える画期的な試みで非常に興味深い事例である。

 インターネットは情報発信のツールであり、今後もその重要性は国際社会においてますます高まってくるだろう。まだ様々な国際関係におけるインターネットについては様々な見方があるが、無視することはできないツールになっていることは間違いない。
今後もインターネットが国際社会に与える影響と動向については注目していく必要がある。

【参考動画:「テヘラン・バーチャル・アメリカ大使館」でのYouTubeでのクリントン国務長官のコメント(2011年)】

補記

 2010年のサッカーワールドカップは南アフリカで開催されたことは周知の事実だが、リビアとチュニジアの共同開催(図1)、エジプト、モロッコも立候補していた。皮肉なことに2010年から2011年にかけて、チュニジア、エジプト、リビアと政権が転覆した。
ジャスミン革命まで23年間政権の座にいたザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー大統領のポスターはチュニジアのあらゆるところで見かけた(図2)。チュニジアでは政府が主導となって、ICT教育に注力してチュニジア経済の活性化と新たな産業形成に取り込んできた。今回のジャスミン革命で政府崩壊へのツールの1つとして、ICTが用いられたことは皮肉なことだ。

(図1)リビアとチュニジアの共同開催をアピールしたポスター(図1)リビアとチュニジアの共同開催をアピールしたポスター
(チュニジアにて)

(図2)革命前のチュニスの街角での「ベン・アリー大統領のポスター」(図2)革命前のチュニスの街角での「ベン・アリー大統領のポスター」
(チュニス)

(図3)ジャスミン革命で民衆が集まったチュニスのハビブ・ブルギバ通り
(現在は安定している)(図3)ジャスミン革命で民衆が集まったチュニスのハビブ・ブルギバ通り(現在は安定している)

(参考)"Theorizing ICTs in the Arab World: Informational Capitalism and the Public Sphere" Emma C. Murphy,International Studies Quarterly Volume 53, Issue 4, pages 1131–1153, December 2009

*本情報は2011年12月12日時点のものである。

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