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2012年1月19日掲載 |
2011年1月4日のニューヨークタイムズ紙に「インターネットの父」の1人でありグーグルのエバンジェリストを務めるVinton Cerf氏が興味深い論説を寄稿している。 インターネットは人権ではない"Internet Access Is Not a Human Right"(インターネットへのアクセスは人権ではない)という目を引くタイトルである。彼の論調によると、インターネット技術は権利を実現するものであり、権利そのものではない。フランスやエストニアのように国会や法律でインターネットへのアクセスが人権であると主張している国や2011年5月16日には国際連合がアラブの春などの中東での革命を踏まえて、「インターネットへのアクセスは人権である」という文書も出している。しかし、インターネットはあくまでも情報を発信、取得するための「有効な手段」であると述べている。 インターネットのような特定の技術を人権のカテゴリーとして分類すべきではない。人類が平和で、苦痛から解放され、良心の自由が保障されている生活を送るために必要なものが人権である。特定の技術に権利を与えることは将来、間違った方向に進んでしまうことになる可能性がある。「もし馬がなくて、生活が苦しかったとする。その時に重要なのは生活がよくなることで、馬に権利(人権)を与えることではない」と例を挙げている。馬をインターネットに置き換えるとCerf氏の主張にも納得できる。 Democracy in Cyberspace「Foreign Affairs」(Volume 89 No.6 November/December 2010)にIan Bremmer氏が、"Democracy in Cyberspace: What Information Technology Can and Cannot Do "という論文を寄稿している。その中でインターネットが民主主義において果たす役割について述べているので、ポイントのみを列挙する。
インターネットはあくまでも技術であり手段Cerf氏もIan氏も述べているように、インターネットはあくまでも技術であり手段なのだ。しかし、その「インターネット」という手段が世界を変えていることも事実である。 人々は情報を発信したり、受信することによって世界で起きている様々なことが瞬時にわかるようになった。インターネットが登場した1990年代後半から2000年代初頭にかけて「インターネット革命」や「IT革命」と喧伝された。グーテンベルグが15世紀に活版印刷術を発明して人々が聖書を読むことができるようになった「印刷革命」に匹敵するかそれ以上のパワーをインターネットは持っているだろう。 アラブの春に代表されるように、インターネットという「手段」を用いることによって、人々はパワーを持つようになった。一方で、上述の国連の報告書(A/HRC/17/27)に明記されているように、世界にはまだインターネットに自由にアクセスできない人もたくさんいる。さらに世界では人権抑圧の犠牲者もいまだに多いことも事実だ。 21世紀になって、もう10年が経過している。インターネット技術の発展は著しく、多くの国では生活のインフラ、情報収集・発信の「手段」になった。インターネットは技術であり、手段である。主人公はそれらを使いこなす人間である。15世紀にグーテンベルグが発明した印刷技術も本、聖書を増刷するための手段であった。人々がその本を読むことによって人々の意識、生活が変わっていくようになった。21世紀のインターネットも同じであろう。 2010年代はインターネットという「手段」を自由に活用できる人間がすべきことは何かを考えていくことがますます重要な時代になってきている。 (参考) *本情報は2012年1月11日のものである。 |
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