2009年11月11日掲載

2009年9月号(通巻246号)

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[tweet] コラム〜ICT雑感〜

金融危機のICT的側面 〜 その帰結と対応への覚書

(1)金融革新を支えた「ICT」と「金融工学」の発展

 2007年春に表面化した米国のサブプライムローン問題による金融混乱は、その8月のパリバ・ショックを機に欧州に飛び火し、昨年2008年9月15日のリーマンの破綻を契機として、世界的な金融危機に発展した。その影響は実物経済にもおよび、世界経済は100年に一度とも言われる不況に襲われることとなった。各国政府や中央銀行の必死の対策により、1年たってやっと底入れかとの声は聞かれるものの、未だ不況からの脱出には不透明感が強い。

 経済のグローバル化や金融の自由化を追い風に、広い意味での情報コストや取引コストを引き下げた1990年代以降のICTの急速な発展(情報通信技術の高度化とデータ処理技術の著しい発展)と金融工学の発展に支えられて、金融技術革新(「優先劣後構造を持つ証券化」、「オプション価格評価モデル」などの手法の確立)が著しく進んだ。しかしこの「金融革新」は多様な金融商品や新たな投資手法を生み出し市場の効率化を推し進めたものの、同時にそれがもたらした金融商品の複雑化と金融市場間の緊密化は、結局のところ今回の金融危機の加速要因ともなったと批判されている。ここでは金融革新から金融危機にいたる中でのICTの関わり、特に通信の部分についての役割を考てみたい。

(2)金融取引は全面情報流通

 1995年のインターネット革命以来、ICTの発展は、様々な業界の企業において、原材料購入、生産管理、在庫管理、流通管理といった消費者に商品を引き渡すまでのサプライチェーンの効率化に大きく貢献し、「アマゾン」のように消費者と卸業者の間の小売業者をスキップする新たなビジネスモデルを生み出した。この場合、商品の流通過程(物流)を見れば、消費者がインターネットで価格等の情報を収集し注文する(情流:情報流通)ことで、小売店に出向く必要(物流)が省略され、また業者から品物が消費者に直送されることで、配送過程(物流)が効率化された。しかし、商品配送という物流過程そのものがなくなったわけではない。
一方、金融商品は、株式にしろ、債券にしろ、デリバティブにしろ、すべて「権利」(無形資産)であり、その取引は商品の物理的移動はともなわず、データだけがやり取りされる(株券等の物理的異動も現在は電子化)。一般の商品の場合、注文の過程は「情流」化されたものの、配送は物流のままであるが、金融業の場合は早くから配送過程も「情流」化されている。SF的な例えで言えば、インターネットでテレビを注文すれば、物質電送機で瞬時にテレビが目の前に送られてくるようなスタートレック的世界である。つまり金融取引(資金や権利の移動)の流通インフラはすべて「通信」(情流)ということだ(注)。「金融業は情報処理産業そのもの」と言われるが、この金融取引(全面情流)と通信の親和性を考えると「金融業はICT(情報流通)産業そのもの」と言うほうがふさわしい(金融危機で問題となったのは、もともと全面情流化しているホールセールの投資銀行やヘッジファンドであるが、リテール向けの銀行業でもインターネットバンキングで銀行に行く手間を省くという意味で全面「情流化」が生じた)。

(注)ICTの発展で、物流による配送が情流化した例は、音楽CD、ゲームROM、映像ビデオ、書物などがある。いわゆる「コンテンツ」と呼ばれるものである。しかし逆にいえば、スタートレック的世界がこない限り、物流の情流化が可能な対象はこれらのものに止まる、ほぼ限界にきていると言えるのかもしれない。

(3)金融革新のジレンマ:「投資家行動の合理化」と「投資収益率低下」

 さて、この金融業の「取引の全面情流化」という特質は、もともと通信の持つ時間と距離の克服という性質上、金融取引のスピードと展開の自由度を拡大するものである。更に諸規制の撤廃による金融の自由化(銀行と証券業の垣根の撤廃、為替自由化、国際間資金移動自由化等)は、国内外を越えた各種金融市場間の資金の自由な移動を拡大した。まさに通信回線という世界的な蜘蛛の巣(World Wide Web)の上を投資機会という獲物をもとめて、ヘッジファンド等投資家という蜘蛛の群れが自由に素早く動き回ることとなったのである。サブプライム問題表面化後、ヘッジファンド等の投資資金は、不動産市場から資源市場に向かい、そのため石油価格が高騰(2008年7月11日ピーク)して、世界的にインフレ懸念が叫ばれたのは、パリバ・ショック(2007年8月)から一年もしない、そして大不況の引き金となるリーマンショックのわずか1、2カ月前の去年の夏であった(なお、この場合の原油市場は先物市場のことであって、投資ファンド等が石油を買いあさったとしても、かつての「米騒動」の場合とは違って、どこかに石油を貯蔵しているわけではない。あくまで石油取引に関する「権利」の「情流」を通じた売買である)。                  

 もともと金融業は、「割安の商品を買って、割高の商品を売る」という裁定取引(市場の局所的歪みの是正取引)を基本としており、そのためには競争相手に先んじて「どの商品が割安割高か否かを判定する価格評価方法の確立」と「取引対象を選択するための情報を収集する手段」が重要となる。金融革新におけるICTの役割において、前者については新たなファイナンス理論の実用面への応用における数理計算技術の発展(情報処理の高度化・低廉化:オプション価格公式の普及は、ヒューレット・パッカードのプログラム電卓の普及と時を同一にしていた)であり、後者については、情報通信技術の発展(IP化による情報コスト低廉化や高速化)である。これらによりもたらされた「情報格差の是正・平等化」と「投資判断の機械化・合理化」により投資家の参入を増大させて、金融市場の発展や効率化をもたらした。しかし逆にこのことが、投資家の裁定取引の収益性を低める結果となった。

 新しいファイナンス理論を踏まえたいくら新しい投資手法や金融商品を開発しても、製造業とは違?い、特許制度が不整備で先行者利得が保護されていない金融業では、模倣者がすぐに現れ、その優位性はすぐに崩れた(新商品のリード期間は、数年に過ぎないという。また新しい投資手法にしても、例えばブラック・ショールズ方程式をベースとする投資プログラムを用いる投資銀行に対し、ある邦銀はその投資銀行の毎日の売買調整履歴から逆解析して、ヘッジモデルをほぼ推定できたという)。また情報通信技術の発展は情報収集コストを引き下げ、すべての投資家はグローバルベースの市場情報を素早く入手できるようになった。さらに規制当局は、情報の透明性の徹底を図るという意味での情報開示(会計制度面やインサイダー取引規制等)を強化していることも情報入手の平等化(情報格差の解消)を助けた。この結果、すべての投資家は同一の情報と同一の判断基準をもって同一の最も合理的な投資行動をとることが可能になり、すべての情報はただちに市場価格に反映されるという市場効率化仮説が描くところの合理的経済人からなるような世界が現れたのである。今や蜘蛛たちは学習し、皆がすばやいばかりでなく極めて嗅覚がするどく、糸を伝わってくる獲物(収益機会)の気配(情報)を感じ取り、しかもその位置や正体(価格)を正しく見抜く頭の良さをもつようになった。同じアルゴリズムで見出された割安の商品に投資家の注文が殺到し、次の瞬間には市場はバランス (裁定取引)して、プレーヤーにとっての投資収益機会は解消する。クモの巣に獲物がかかった瞬間に、獲物に無数の蜘蛛が殺到し、一瞬で食い尽くされるのである。

(4)金融危機のICT的帰結:「取引速度の高速化競争」

 このような収益利回りの低下に対応して、投資銀行やヘッジファンドは、利益額確保のため、まず一取引における取引金額の規模拡大を図った。そのため借入金を増大させるという「ハイレバレッジ(多大な借入金による投資)化」につき進んだ(借入金は「短期」で行われたから、長期投資との対応において資産・負債期間アンマッチが生じ投資家の流動性リスクを拡大させることとなって、後の金融危機の素地となった)。さらに投資家は、「レバレッジの拡大」による取引一回当りの金額拡大に加え、利益額確保のためのもう一つの策として、収益機会獲得の回数を増やす(取引の頻繁化)ことを意図した。そのためには競争他社に先んじて取引を行う(「取引の高速化」)必要がある。情報入手時期は平等化が進んだから、その後の情報解析から意思決定、注文売買取引の過程の高速化である。具体的には自社内の意思決定プロセス(市場情報の収集・解析・売買注文)を、プログラムにより自動化(アルゴリズム取引)し、更に自社と証券取引所を結ぶ情報の伝送時間の短縮を図ったのである。欧米の投資家は、そのための高速回線のサービスを導入するのみならず、物理的距離を縮小して通信の距離による遅延時間を短縮することをめざして取引所の近くの建物にサーバーを設置するまでになった。また証券取引所の方も接続の集中する自らのシステムの処理能力の拡張はもとより、会員サービスとしてデーターセンタ業者と組んで証券取引所の「コロケーションサービス」を行っている。また最近報道された米国証券取引所の「フラッシュオーダー」というサービスは、手数料を払えば、売買注文情報を市場に100分の数秒先駆けて投資家に提供するものであった。この「取引の高速化」はリーマンショック後(すなわち金融危機で収益率の低下が決定的になった後)本格化したようだ。フラッシュオーダーサービスを3年前から提供していた米国の4大取引所の一つダイレクト・エッジの米国内株式取引シェアは、昨年11月以降倍加したという(ただしこのサービスは、2009年9月より平等性の観点から批判をうけ、自主廃業に追い込まれた)。ハイレバレッジ化は、金融危機の素地となったが、「伝送速度の高速化競争」は原因というより金融危機の結果でもたらされたとものというべきかもしれない。

 今回の金融危機は、金融革新の過程で、金融市場や金融機関が、証券化商品やハイレバレッジにより「複雑」に「密結合」した状態において、多数の金融機関が最新の金融理論に従い同じ行動原理・リスク管理の論理に従い合理的に行動したことから、実質上(結合された)ひとつの市場で、(結合された)一人のプレーヤーが、一つの商品(今回は米国サブプライムローン)に与信集中リスクを犯しているのと変わらないような状態に市場全体がなっているところへ、リスク発生を正規分布とするリスク評価手法の論理前提を外れたサブプライム問題が表面化し、複雑なリスク伝播の不透明さにより市場が疑心暗鬼に追い込まれたこともあり、一挙に市場の流動性の喪失を招き、短期金融に依存していた多数の投資家が連鎖的に倒産に追い込まれた。

 この過程において金融工学とICTの発展に支えられた金融革新は、それにより可能とした投資家行動の合理化・同一化により、金融機関間の競争を、新たな商品や投資手法の開発という頭脳戦から規模とスピードという体力戦へ変質させていた。金融革新を特にリスクの扱いにおいて理論面で支えた 金融工学は、その前提としたリスク発生の正規分布の不確かさや自ら作り出した手法の複雑化などにより、半ば制御不能となって行き詰ったといわれる。またICT面での金融革新の帰結としてのミリ秒単位の伝送スピード競争は、多くの人が経験のあるようなチケット予約のために電話が通じるまで何回も電話するような行動を思い起こさせる。売買注文の取引所への接続競争は、いくら伝送高速化技術が発達しても競争相手も同様に速くなるので、きりがないものである。こうした金融機関の行動は取引機会の均等という公平性の観点からの問題を別にしても、金融革新が本来もたらした金融市場効率化に、社会経済全体としては逆に非効率化に働いているように思われる。

(5)金融危機への今後のICT的対応:市場のリスク構造の観測体制
〜「リスク流通」のICTによるトレーサビリティ

 金融革新を支えた金融工学の発展の核心は、リスクの計量化によるリスク処理手法の開発にあると言われる。この技術により様々な債権本体からリスク部分だけを切り離し、単独あるいは束ね、加工しての市場取引が可能になった。金融危機の一因は、この革新自身が生み出した金融商品の複雑化にあるといわれるが、その複雑さの本質はリスクの流通の複雑さにある。金融商品の流通の過程において何段にもわたる優先劣後構造証券化などを通じ実物価値から切り離された信用リスクが複雑にトランスファーされたが、証券の最終保持者は、自分自身ではそのトランスファーの過程をトレースできず、自己にとってのリスクの所在や程度を十分には理解できなくなっていた。そのため自己勘定のリスク管理に大きな誤信が生じていたのである(またそれらの商品を評価していた格付け機関自身も誤信を犯していたことが後に判明した)。そのためサブプライム問題が表面化した時、食物の産地偽装問題発生の時のごとく、市場全体に疑心暗鬼が広まり、市場が一挙に総崩れをおこしたのである。一方「物流」の世界では、産地偽装のような問題に対しICタグの利用などによるトレーサビリティ技術での対応が進んでいる。またインターネットの世界でもNGNのように、発信者IDにより発信者を識別する技術もある。こうしたICT技術を「情報流通」にも応用することにより、従来トレースできなかった金融商品の流通についてもトレーサビリティを実現することが可能ではないか(むしろ情流ゆえに金融送品の伝送信号に内容に応じたコード付けを行うことは、物流のICタグよりも容易かもしれない)。この情流におけるリスクトレーサビリティが可能になれば、投資家は自己のリスクの状況を十分把握することが可能となるばかりか、さらにこれら個々の金融取引を市場全体として取引量としてだけでなく流れとして把握し、世界の金融市場全体におけるリスクの移転と所在、根源と派生の連関の市場構造を、国際的監督機関が常時モニターすることが可能になる。そうなれば市場全体のリスクの偏在的積み上がり具合や金融機関同士の連関状況の構造分析から個々の投資家では気がつかない市場全体のリスクの高まりや危機の発生の予兆を把握し、事前に危機回避の対策をうつことができるようになるのではないか。このリスクモニターシステムは、根源の金融商品から切り離され別の商品に組み込まれたリスクの複雑な追跡と根源へのトレースや個々の金融機関の貸借関係構造の把握を可能にするコードのグローバルレベルの体系化といった制度的課題に直面すると思われるが、技術面においては昨今のICTの発展を考えれば十分実現可能と思われる(すでに存在する、権利の管理(発生、移転及び消滅)を電子的に行う「証券保管振替機構」の情報の世界的ネットワーク化をベースにしたバーチャルな国際的総合金融清算機関を作るなどの方法が考えられる)。

 今回の金融危機に対し、金融機関や金融市場への規制を強化せよとの意見も多く聞かれる。しかし金融危機を避けようと金融機関や市場への規制を強化すれば、市場の技術革新を阻害する。この規制と革新のジレンマを解決する手段は、金融機関の自己規律ということになるが、ブームに逆らって投資を抑制したり、危機に投げ売りをしないような行動をとることが困難であるのは、論理的にも歴史的にみても明らかだと言われる。たとえそれが可能としても、市場全体のリスクまで個々の投資家が把握することは難しい。そもそもバブルの発生と崩壊は、将来の不確実性が存在する以上防げない資本主義の発展に内在的なものであるという金融不安定性仮説といった説もある。そうであるならば、将来必ず起きると予想され、しかし正確にはその時期は特定されない大規模地震対策のように事前の個々の備え(リスク管理体制)は、各金融機関へのプルーデンス政策の中で促すとしても、観測体制を強化して危機の発生を全経済レベルで予知し人々に警報なり避難行動を誘導するのは公の役目であろう。「規制」でも「放任」でもなく「観測」へ・・・「リスク流通」のICTによるグローバルモニタリングシステムは、そのためのインフラである。そして、その構築に向けたICTに求められる役割は、情報流通のトレーサビリティ機能である。

<参考文献>

「金融革新と市場危機」(藤原真理子 2009)
「市場リスク 暴落は必然化か」(R.ブックステーパー 2008)
「金融業のIT産業化」(アンダーセンコンサルティング 1999)
「金融危機のなかのIT投資」(近藤哲夫「ITフロンティア2009年2月号」)
「サブプライム問題とミンスキー・モメント」(佐賀卓雄「証券レビュー2008年6月号」)

経営研究グループ部長 市丸 博之

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