2009年12月7日掲載

2009年10月号(通巻247号)

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世界の周波数オークションをめぐる動向(1)1990年代〜2000年

 民主党政権になったことで、同党の政策集「政策INDEX2009」の中で言及がある周波数オークションに対し、通信業界や放送業界からの注目が集まっている。周波数の免許をオークションで付与する方式は日本ではこれまで採用されていないが、海外ではこの方法は珍しくない。過去に、どのような経緯で周波数オークションが採用されてきたのか、またその結果はどうであったのかについて、本号では2000年に実施された欧州3Gオークションまでの流れとその影響を整理する。

オークション形式を初めて採用したのは米国

 周波数免許の付与にオークション方式が最初に採用されたのは、1990年代の米国である。米国ではかつて、周波数免許を先着順で付与していた時代もあり、その後比較審査方式で付与していた。しかし、公正な審査が行われているかが見えづらいことや、審査に時間がかかること(ある免許では申請から付与まで3年かかった事例もあるという)などから、くじ引きによる付与も行われた。その後、電波監理当局であるNTIA(米国電気通信情報局)が1991年に公表したレポートにおいて、効率性、公正さの観点から市場重視の周波数監理が適当であると結論づけられ、それを反映してオークション方式が導入されるに至った。しかしオークション採用の理由は、本音では財政赤字を埋める財源探しであったとの指摘もある。

 携帯電話向けの免許付与で最初にオークションが採用されたのは、1994年から1997年にかけて開催されたPCS(Personal Communication Service)免許付与である。狭帯域PCS(ポケットベルが該当)向けと広帯域PCS(携帯電話が該当)の2種類が発行され、携帯電話市場の将来性に注目した多くの企業がオークションに入札した。オークションでの落札額は合計で200億ドルを超えた。

米国PCS免許では免許の返還が相次いだ

 周波数がAからFまでの6ブロックに区分され、うちCブロック(1免許あたり30MHz幅)とFブロック(1免許あたり10MHz幅)は入札を中小企業等に限定しており、数多くの新興企業などがオークションの結果、高額で落札した。しかしその後、落札費用が負担となり、資金繰りが困難になりサービス提供開始が見込めない企業が免許を返還する例が続出した。

 また、落札額の一部しか支払わなかったネクストウェーブ社の落札帯域を、その後FCCが再度オークションにかけたことをめぐって裁判となり、数年にわたり争った結果、大手通信事業者がこの帯域免許を買い取ることになった件は、周波数オークションにまつわる紛争として有名である。

欧州で注目された大型オークションは2000年の3G免許付与

 1990年代後半、欧州でも周波数免許付与にオークションが採用された。ドイツでは1996年に導入されている。当時、携帯電話向けでは2GHz帯を3G携帯電話向けとして付与するタイミングにあり、それが最も短期間に集中して行われたのが2000年である。主要国では、2000年3月にスペインで比較審査方式により3G免許が付与された。その後4月に英国でオークションが行われた。この英国のオークションでは、落札額の合計が200億ポンドを超え、1免許あたりの落札額は、最も帯域が広い免許 (ボーダフォンが落札)で約60億ポンド(約1兆円:当時)にも達した。この英国での周波数オークションを受け、2000年夏にはオランダとドイツでともにオークションが開催された。

 ドイツでは英国同様、オークションでの入札競争が過熱した。事前の入札申請には12社が応募、結果既存通信事業者4社と新規参入事業者2社が落札し、各社の落札額は約160億マルク(約1兆円:当時)、落札額合計は約1,000億マルクに達した。これは、当時ドイツ政府が予算計上していた落札額見込の約5倍であった。ところが、新規参入した2社のうち、テレフォニカ(スペイン)とソネラ(フィンランド)による合弁であったグループ3Gは2002年にサービスを開始するも、事業継続が困難となり間もなくサービスを停止した。また新規参入のもう1社であるモビルコム・マルチメディア(独の再販事業者モビルコムと仏フランス・テレコムの合弁)は度重なる資金繰りの問題からサービス提供に至ることなく2003年に免許の返還を発表している。

 一方で、ドイツよりも3週間ほど早くオークションを開始したオランダでは、5免許が付与されることになっており、当初から入札参加の意思表示をしていた企業は10社を数えたが、入札開始前に撤退する企業が相次ぎ、最終的には6社が応札した。ところが、オークション開始直後に新規参入の1社が撤退したため、その時点でオークションが無競争状態となり、早々と終了することとなった。これについて、落札額を高騰させないための談合があったのではないかとの疑惑が持ち上がり、落札したうちの数社が調査されたという経緯がある。落札総額は約6,000億ギルダー(約2,000億円:当時)と、政府の事前見込の約4分の1にとどまった。

オークションでの高騰ムードは沈静化

 イタリアでは、2000年の秋に周波数オークションを実施したが、すでに業界のムードは沈静化に向かっていた。付与免許数5に対し、入札希望者は既存事業者5社と新規参入2社の計7社あった。事前審査とオークションの併用であったが、入札開始前に1社、入札開始から2日後に1社が脱落し、落札額は1免許あたり約4兆7,000億リラ(約2,000億円:当時)、落札総額は約23兆6,000億リラ(約1兆円:当時)にとどまった。その後、欧州の他国でも3G免許付与の際にオークションを採用した国はあるが、英独のような高騰は見られなくなった。

 フランスでは2001年に3G免許が付与された。比較審査方式で4免許を付与する方針(既存通信事業者は3社)であったが、その免許料について政府と通信事業者での議論が続き、結局は1免許あたり約6億ユーロを支払い、かつ売上高の1%を毎年支払う、という条件で落ち着いた。この条件でも後発のブイグ・テレコムは3G免許の取得を拒否していたが、同社も2002年には免許を取得している。

苦しんだ高額落札者

 英独における高額な免許料は、その後の落札者の財務を傷めた。折しも2000年の春がテレコムバブルのピークとなり、通信業界大手の株価は急落、その後長く低迷することとなる。その原因のひとつがテレコムバブル期に大手通信事業者が進めた事業拡大(買収など)に伴う負債の増大であり、さらに3Gオークションでの高額な落札額が追い打ちをかけた格好である。苦しんだ大手通信事業者は事業売却を模索し、英BTは携帯電話事業(BTセルネット、現O2)を上場し分離させた。しかし、こ の事業分離は、その後の世界的な携帯電話市場の成長期を逃すことになったといえる。また独DTにおいてもグループ内の携帯電話事業のうち、主力であった米国携帯電話事業(T−モバイルUSA)の売却が検討されたと伝えられたが、結果的には売却しなかったことでその後の米国市場の成長の果実を得ることができた。

 テレコムバブルの終焉と3Gオークションでの落札額の高騰による財務悪化は、欧州における3G展開を遅らせたと見ることができる。3G免許付与の際に課されたエリア展開義務(何年までに人口カバー率で何%を達成すること、など)もなし崩し的に期限が延期された国も少なくない。

 その後、欧州では携帯電話関連での大型の免許付与は行われてこなかったが、2008年後半より、WiMAXやLTEを意識した免許付与へ向けた動きが活発化してきている。一方、米国でも、従来の周波数政策では無線技術の発展と周波数需要の増大に対応できないとの認識から2002年にFCCが周波数政策の見直しにあたってのレポート「周波数政策タスクフォース報告書」を発表、その後の免許付与の方向性を決定づけた。

岸田 重行

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