2010年3月8日掲載

2010年1月号(通巻250号)

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[tweet] コラム〜ICT雑感〜

われは インターネット−I.アシモフの夢想

 今からちょうど60年前、またロボットという言葉の由来となるカール・チャペックの戯曲「R・U・R」(1921)から30年後の1950年に、アイザック・アシモフ(1920〜92)の「われはロボット(I,Robit)」は出版された。その冒頭には、その後のロボットSFに多大な影響を与えることとなる「ロボット工学三原則」がが掲げられている。

ロボット工学三原則

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。
また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなけれ ばならない。

 ここでのロボットとは、AI(人工知能)を備えた人型ロボット(アンドロイド、ヒューマノイド)、自ら自己を律する自律制御系技術が組み込まれたロ ボットであり、「鉄腕アトム」のようなロボットである。アシモフのロボット未来史では、この三原則間の矛盾や相克をベースに、ミステリー仕立てのストーリーを展開してゆく。例えば、第一条に縛られているはずのロボットが殺人を犯すといった謎解きである。その後のロボットSFにおいては、その書き手はこの三原則を多かれ少なかれ意識せざるを得なくなったが、日本でも、海外SFの翻訳を多く掲載する「SFマガジン」の1960年の創刊以来、一般にも広く知られるようになった。
このられ三原則は、発表直後から「道具一般」に当てはまる原則といわれていたようだが、80年前後には、優れた「家電」の原則と言い切る人も現れた。すなわち、第一条、二条、三条は、それぞれ「安全」「便利」「丈夫」と読み直されるのである。

 こう聞くと、これは現在インターネットの世界でも言われていることと同じではないかと気づく。「便利」は当然として「安全⇒セキュリティ」や、システムとしての「丈夫で長持ち⇒信頼性⇒安心」。ただ、ロボットや家電の場合との違いは、ロボットや家電がそれ自体で個々に自律的独立な存在であったのに対し、インターネットにおいては、端末は、それ自体で意味をもつというよりは、通信網で相互に結び付けられて初めて意味をもつものであり、ネットワーク全体の一部として意味を持つ点である。

 ロボットを、情報を認識(センサー)し、判断する知能(A.I.)と、移動・作業を行う手足などの体(ハードウェア)を兼ね備えたものと考えると、ロボットにおける、人間の感覚、判断、記憶という人間の脳の働きを人工的に情報認識、情報処理、情報蓄積としておこなう人工知能のベースをなすものは、もちろんコンピューターである。その世界最初のものは、真空管17,468本を用いたENIAC(1946年)であり、日本初は、56年のFUJICといわれる。コンピューターは、やがてその構成部品が真空管から半導体に変わり、また70年代までのメーンフレームとよばれる大型機から80年代以降は急速にダウ ンサイジングが進んでパーソナルコンピューター(PC)の時代を迎えた。この過程においてコンピューターは、性能は驚異的に進歩したものの、その使用は、あくまで単独(情報の分散処理)であった。

 一方、通信では、人類が月に立った1969年に、現在のインターネットの元となる「ARPANET」が運用を開始した。それから10年後の1979年に日本では、電話の全国自動即時化が完成したが、日本における真空管の製造が終了したのもこの年である。
そし て1995年、世界はインターネット時代を迎えた。これ以後PCは単独というより、ネット端末としての性格を帯びるようになる。さらに現在は、ネット接続情報分散処理から、端末の情報処理機能をネット側に移したネット接続情報集中処理のクラウドコンピューティング時代を迎えようとしており、ネットワークが主で、端末は従としての性格はますます強くなってきている。

 現在では、移動手段を持たずとも、人間に替って「特定の目的をもった作業を自動的に行う機械装置」もロボットと呼ばれているが、市場規模としては、全世界ベースでも2008年で産業用・民生用あわせても4,000億円程度と経済全体からみれば、未だ微々たるものである。(09/10富士経済)。移動手段を有し、人間の日常的な作業を代替する、よりヒューマノイドに近い次世代型サービスロボットは、まだ発展の途上にあるし(市場規模は100億円以下)、ましてや、人間の脳に匹敵する高度のA.I.などはまだ生まれていない。しかし、機械装置(ハードウェア)に搭載され、センサーで情報を自律的に取得し、判断し、当該装置の自律的制御を行うソフトウェア(組み込みソフトウェア)も、広義の意味でのロボット(センサー+ソフトウェア)と考えると、その数はすでに莫大なものとなる。
(携帯電話、家電や自動車などに組み込まれ、状況に応じて機械の作動の自律制御を行う「日本における組み込みソフトウェア開発費の正味市場規模は、2008年で約1兆円と推計されている。内3割が自動車という。(矢野経済))

 さて、アシモフの描くロボットたちの直面するロボット工学三原則の矛盾や相克は、実は、人間個人と個々のロボットとの関係ではなく、人間相互の関係の中で起きる。例えば、ある人間が他人を殺そうとする場合で、ロボットはそれを阻止しようとすると、その人間を傷つけざるを得ないような場合である。ここに至り、ロボットたちは、家電の三原則といわれるような、個人が利用する道具との関係を前提としたロボット工学三原則の矛盾を止揚するため、個々同士のつながり(ネットワーク)における関係を考慮した原則を自ら作り出すこととなった。
それ が、インターネット革命(1995)に先立つ10年前の長篇「ロボットと帝国」(1985)において登場した、ロボット工学三原則第一条に先立つ、第零原則である。

第零原則
ロボットは、「人類」に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって「人類」に危害を及ぼしてはならない。

 こうして、アシモフのロボットSFの追及テーマは、個人と他人の関係のあり方の問題から、個人と人類、社会全体との関係のあり方の問題に至った。

 インターネットにおいても、個々ユーザーにとっての「便利」「安全」「安心=信頼性」といういわば三原則の維持は、当然の課題として横たわっている。しかしながら相互に結び付けられたユーザーで構成されたインターネット網においては、一部のユーザーの行為による他ユーザーの「便利」「安 全」「安心」への危害を防ぐため、ユーザーの「便利」「安全」「安心」を制限することが必要となることが想定される。すなわち、三原則は、ユーザー個人の問題から、個々人がネットワークで相互に結びつけられているという意味での「社会」の問題として考えられなければならなくなる。
(こ こでの「社会」とはあくまで「生活空間を共有したり、相互に結びついたり、影響を与えあったりしている人々のまとまり」(「大辞林 第二版」)という一般的な意味での社会であり、ネットワーク上のコミュニティサービスとしてのSNS(Social Network Service)の意味ではない)。

 経済学者のケインズは、かつて「人類の政治的問題は、三つの点−『経済的効率』、『社会的公正』 、『個人の自由』―を組み合わせることにある。」(1926)と述べたが、インターネット社会においても、ネットワークにおける部分としての個々のユーザーにとっての「便利」「安全」「安心」の確保の問題は、逆に全体からみれば、「効率(競争原理)」「自由(個人の権利)」「公正(サービス享受の無差別)」の確保の問題といえる。しかしながら、その対応へ意見が分かれたウィニー問題の例のごとく、この3つ問題は、同時にすべて解決される(バランスする)とは限らない。ケインズは、その「一般理論」(1936)において、「政府機能の拡張は、・・・現代のアメリカの銀行家にとっては個人主義に対する恐るべき侵害のように見えるかもしれないが、私は逆に、それは現在の経済様式の全面的な崩壊を回避する唯一の実行可能な手段であると同時に、個人の創意を効果的に機能させる条件であるとして擁護したい・・・。」と、三つの課題のバランスをとり、資本主義と民主主義を維持することを目的に、大量失業対策として政府による総需要管理政策の必要を述べた。周知の通り、ケインズ経済学は、戦後一世を風靡したが、やがてインフレやスタグフレーションにうまく対応できず、政府の失敗より市場の失敗の方がまし、とする自由放任的な市場原理主義的学派のまきかえしにより、昨今は影が薄くなり、「ケインズは死んだ」とまでいわれる状態となっていた。再び脚光をあびるのは、今回の金融危機においてである。市場原理主義的市場運営、金融機関経営者の報酬制度など、「経済的効率」、「個人の自由」に偏った自由放任的政策のため、経済的格差の拡大、大量失業者の発生など「社会的公正」上の問題が生じるにいたったのが今回の金融危機と世界同時不況であろう。

 今や十億人以上の人々が利用する「インターネット」は、もはや各ユーザーにとって、便利な「道具」というよりは、各ユーザーが属する「一つの社会」システムであるとまず認識すべき時代にきたと言っていいだろう。社会である以上、そこにおいてはユーザーは権利とともに、社会を守るための義務を有する。そしてそこでの全体的課題は、現実の政治的問題と同様、「経済的効率(競争の確保等)」、「社会的公正(ネットワークの中立性等)」、「個人の自由(著作権等権利保護等)」のバランスである。ネットという社会における様々な問題に対処する際の規制やルールのあり方は、個別検討に加え、3つの課題のバランスという全体的視点から各問題を位置づけ、経済面、社会面、文化面から総合的に検討されることが必要になっている。

 さて、ロボット工学三原則の矛盾を止揚すべく作られた、いわば包括的な、人間の権利制限条項である第零原則においても、問題は残った。何が人類にとって危険なのか、個々の人間への危険よりも優先されるものなのかという判断基準は、ロボットにとってと言えども不明確であったのである。小説の中では、その判断に確信が持てず、ロボットは機能を停止してしまう。

 晩年アシモフは、そのロボットシリーズと、それと並ぶ代表作である「銀河帝国衰亡史」(「ファンデーション」シリーズ)(1951〜1953)とを融合(同シリーズの続編1982〜1992)したが、その際、ロボット第零原則における、何が人類への危険となる事象かを判断する基準の解決として、「銀河帝国衰亡史」の重要な小道具である人類の未来を定量的に評価・予測する「心理歴史学」を結びつけた。この架空の学問は、物理学の気体分子運動論にヒントを得たもので、個々の個人の行動は予測できないが、それが、何千億人、何兆人(銀河中に人類は住んでいるという前提)という膨大な集団となれば、その行動は予測できるというものである。ロボットたちは、「心理歴史学」の発展を影ながら援助し、そこから得られた未来予測、一万二千年続いた銀河帝国も、五百年後には滅亡し、次の帝国が生まれるまで三万年の無政府状態の暗黒時代が続くという予測に対し、その暗黒時代を一千年に縮めんとする人類の計画(この小説は、この計画をめぐる物語である)の実行の障害になるか否かを、第零原則における人類への危険の判断基準としたのである。

 近年、コンピューターやインターネット、携帯端末などICTの発展により、情報流通がグローバル規模で飛躍的に増え、それとともに、従来は不可能であった経済活動を中心とする様々な人間の活動の膨大なデータが、観測され蓄積されるようになった。
その動きを受け、90年代後半、この膨大な観測データを元に人間集団の社会活動や経済活動に普遍的な行動特性や法則を見つけようとする「経済物理学」が生まれた。そこでの方法論は、人間集団の心理や行動の分析などにより発見された普遍的な法則を満たすモデルを作り、そのモデルから現象の予測を行い、制御方法を開発することだという(日経新聞(09/11/4〜6))。こうした「経済物理学」や、心理学的アプローチにより人間がどのように選択・行動し、その結果どうなるかを究明することを目的とする「行動経済学」といった研究は、バブルや金融危機を防ぐための政策・制度として、効率を犠牲とする「規制強化」ではなく、かといって「自由放任・事後対処」ではなく、自由な市場競争を維持し効率を確保しつつも、「観測により危機を事前予知し、回避する」という、新たな経済運営の方法を構築するうえでの重要な基礎になると期待されよう。

 資本主義経済の本来の性格を、一般均衡理論的な安定的なモノと見るか、不均衡動学的な不安定なモノとみるか、経済学においても意見は分かれるところであるが、社会全体として、「経済的効率」、「社会的公正」、「個人の自由」という3つの原則のバランスをとることは、容易なことではないことは過去の歴史が物語ることである。しかしながら、インターネットがもたらした人類的規模でのコミュニケーションの緊密化と、人間の活動についての莫大な情報量と共有化は、一SF作家の半世紀前の夢想を現実に近づけ、まさに「人類の政治的問題」解決の糸口となるかもしれない。その意味で現在、人類はまさに新たな時代、経済・社会・文化革命の入り口に立っているというのは言いすぎであろうか。

経営研究グループ部長 市丸 博之

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