ジェイン・オースティンの「高慢と偏見(“Pride and Prejudice”)」は、過去に何度も映像化されている。恐らく最新のものは、2005年にイギリスで映画化された「プライドと偏見」であろう。主人公のエリザベス・ベネットは、強い意志と生命力を感じさせる賢い女性だが、18世紀イギリス上流階級のきちんとした娘でもある。キーラ・ナイトレイは、いたずらっぽく輝く瞳と愛くるしい笑顔で、難しいこの役を魅力的に演じていた。この映画は彼女が出ているだけで見る価値がある。
ところで、セス・グレアム=スミスという人が、2009年4月に“Pride and Prejudice and Zombies”という小説を公表している(邦訳は、安原和見訳「高慢と偏見とゾンビ」二見文庫)。オースティンとの共著になっているが、彼女は19世紀初めには亡くなっており、この小説は「高慢と偏見」にグレアム=スミスが手を入れたものである。
18世紀末、ベネット5姉妹が暮らしているイギリスの田舎町ロングホーンに資産家のビングリーが越してきて、その友人ダーシーが訪問してくる。次女エリザベスは、ダーシーの高慢な態度にはじめ憤慨していたが、次第に引かれ合うようになっていく。基本ストーリーはそのままに、謎の疫病によって死者が生ける屍となり人々を襲っているという設定を、無理矢理はめ込んでいる。ベネット姉妹は、ゾンビを倒すために少林拳を修行しており、随所で唐突に大暴れする。いわゆるマッシュアップ小説とよばれるものだ。
どう考えてもばかばかしい話だが、読んでみると結構面白い。出版直後からものすごい勢いで売れ、ニューヨークタイムズのベストセラーにも選ばれて、100万部を超える大ヒットになっている。
本書は、オースティンの格調高い文章を8割以上そのまま使っている。確かに、既に著作権は切れており、法的には問題がない。しかし、訳者もあとがきで書いているように、こんなことを本当にしてもよいのかと疑問に思う人はいるであろう。いうまでもなく、テキストがデジタル化され広く公表されていることが、このようなマッシュアップを容易にしているのである。
情報のデジタル化によって利用の幅が広がるのは、過去の名作だけではない。いわゆるCGM(Consumer Generated Media)は、他人の創作物が次々と利用されてコンテンツが発展していくことも、魅力のひとつである。
例えば、ツイッターの代表的な機能であるRT(リツイート)は、他人のつぶやきを再配信するものである。一部を切り取ったりコメントを付け加えたりということも、広く行われている。ツイッターのつぶやきも、原則として著作物になる。そうだとすると、これを無断でリツイートする行為は、厳密にいえば複製権や公衆送信権侵害にあたる可能性もありそうである。また、ブログやSNSであるニュースのことを取り上げる際に、ニュースの見出しを表示してニュースサイトへのリンクをつけることはよく行われている。最近では、SNSやツイッターで取り上げてもらいやすいように、ニュースサイト自らボタン(フェイスブックの「いいね!」ボタン等)を設定していることも多い。自ら推しているのなら問題にはならないが、コンテンツが多面的に次々と流通するようになると、オリジナルの権利者がどこまで意識しているのかということが、だんだん分からなくなってくるのではないか。
デジタル・ネットワークの進展によって、従来の考え方がすんなり適用しがたい場面が、今後も出てくるであろう。もちろん、権利者の利益を不当に損なわないようにする必要があるが、新しいサービスの提供や利用が萎縮しないようにすることも重要である。