2013年7月24日掲載

2013年6月号(通巻291号)

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コラム〜ICT雑感〜

シャボン玉飛んだ〜グローバル化する社会の中で

「シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた」(野口雨情作詞・中山晋平作曲)。

「童謡として幼児にテロリストの歌を教えるのはいかがなものか?」
ある日本語教師が「シャボン玉の歌」を聞いた外国人生徒から受けた質問である。

子供の頃シャボン玉で遊びながら無邪気に歌っていた楽しい響きの曲。大人になって、野口雨情が幼女たちがシャボン玉遊びに興じているのをみて、生まれて数日で亡くなった雨情の長女を想い悲しむ歌だとか諸説あり、抒情的にも様々な解釈があることを知って「日本語って深いな」と感じたものである。

外国人生徒の問いであるが、「シャボン玉」は国によっては俗語で「爆弾」を意味し、日本語の助詞の「まで」は多様な意味、使い方が可能である。つまりこの外国人生徒は、「爆弾が飛んできて、屋根が吹っ飛んで、壊れて消えちゃった」と解釈したわけである。 

そんな解釈がありえるのか?と私たち普通の日本人は驚くだろう。ところが考えてみると、ここまで極端で例ではなくても、グローバル化が進めば、こういう「言語」「文化」等による解釈の違いや、価値観の違いというものは、より顕在化してくることだろう。

外部環境要因の中で、テクノロジーは比較的早い速度で変化する。その中でもICTの分野は急激な変化を遂げてグローバルな広がりをみせている。従ってグローバル化は必然であると考えがちである。ところが一方で、「言語」や「文化」や「風土」というものは、なかなか変わりにくいものである。それぞれの「言語」「文化」「風土」の中には、歴史的にもそれぞれ固有の「価値観」や「美しさ」が存在するわけである。グローバル化というものの本質は、この固有の「価値観」や「美しさ」に違いがあることを意識して上で、世界がコミュニケーションを図るということではないだろうか。

冒頭の日本語教師の話は、こういうグローバル化の本質を考えるきっかけとなった。確かにグローバル化でコミュニケーションのためのツールとしての英語は重要であり、そのための英語教育も必要ではある。また実際に海外に行って自分の目で他国をみてくることも必要であろう。しかし本当に必要なのは、自国の「言語」や「文化」やその背景を理解し、その上で他国との違いがあることを前提に、相手を理解し、コミュニケーションすることなのではないだろうか。

グローバル化する社会の中で、小学校からの英語教育、大学の国際化に向けた改革、企業における社員プログラム導入等は確かに必要である。制度や枠組み、道具が重要であることは勿論である。しかし、最近の議論に何かがかけていると感じているのは、私だけだろうか。

社会公共システム研究グループ部長 田川 久和

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