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「インターネットビジネスの虚像と実像」 | |
(96.10) | |
1.経済モデル欠如のサイバースペース
インターネットでWWWに初めて触れた時、多くの人がその無限の可能性について予感を感じた。今日多くの知識人が、その予感を感じつつインターネットの多大な影響力を次のように表現している。
大学関係者、研究者、ジャーナリストなどの知的労働者にとって、ドキュメントの空間的問題の解決を実現したWWWは甚だ刺激的だった。NASAなどの政府機関、大学、ビジネスなどの情報共有化手段、あるいは個人、グループによるワールドワイドな情報発信手段として、インターネットが存在し続けていくことは言うまでもない。しかし、これは社会を構成する現象の一部であり、現実の社会(リアリティ)自体を構成するものではない。 インターネットが一部の人間の所有物のままでは、新たな秩序の再構築も民主主義の再編も起こりえない。しかも、以下に述べるように、社会の底辺をなす経済モデルあるいはビジネスモデルが、このサイバースペース上で現実には機能していないため、早くも米国ではインターネットの行き詰まりが始まりつつある。 |
2.消えはじめるホームページ インターネットが今日のような広がりを見せたのは、言うまでもなく研究目的から商用化になってからであった。しかし、米国で最も代表的なオンライン雑誌であったウェッブ・レビューの休刊、マーケットプレースMCI、ISNに代表されるショッピングモールの停滞、閉店、広告を収入源としていたウォールストリートジャーナルの有料化など、いずれもコンテンツプロバイダーの苦戦が伝えられている。 日本でも情報提供者の大きな成功は実現していない。あたかもインターネット上でのビジネスが一攫千金のサクセスストーリーを生み出すかのように語られていたにもかかわらず、インターネットでの成功者はヤフー、ネットスケープなど世界でもごく僅かな企業にすぎない。 |
3.ゴールドラッシュ論の本質とインターネットビジネスの実態 インターネットをゴールドラッシュに例えたのは、ほかならぬビル・ゲイツである。ビイル・ゲイツのこの指摘は、実に的を得たものだった。 良く知られているように、19世紀のゴールドラッシュでは、金を堀当てて儲けた人はごく一握りの人々で、その道具屋や弁当屋、ジーンズのリーバイスが最も成功した人々であった。
1995年の米国インターネット市場での売上額がまさにこの点を示している。 インターネットユーザー数も誤解されがちである。その多くは電子メールユーザーであり、WWWのアクティブユーザーはその1/3〜1/4以下程度である。そう計算すると日本のWWWユーザーは、百数十万人程度にしか過ぎない。 |
4.ショッピング・広告は今後も収入源となりうるか インターネットホームページの収入源は主にショッピング、広告、電子新聞・雑誌などの月額料である。これらに対するユーザーニーズは市場調査では極めて高い結果になっている。よって、エレクトロニックコマース(EC)、電子通貨、電子決裁など、はなばなしいインターネット上の経済モデルが語られることが多い。しかし現実はそう単純ではない。
電子ショッピングが先行している米国でも、ユーザーの利用回数を調べてみると、なんと年間で6回以下が90%を占めている。すなわち、これは電子ショッピングのリピーターが大変少ないことを意味している。仮に、リピーターであるとしても、電子通貨が得意とする少額商品を買っているのではなく、クレジットカードで十分な衣料、コンピュター周辺装置が中心になっている。
インターネット広告は、かつて広告代理店が作成したマルチメディア広告やプロディジーのモデルを前提にしていた。つまりユーザーが広告をクリックすることで、深い情報を得て、最後には購買につながる点に価値を置いていた。さらに、事前にユーザーのデモグラフィック情報を登録すれば、広告の露出がユーザーの関心領域に従ったものとなり、従来のマス広告にないセグメント化された広告の価値が売り物であった。
これらのインターネット上のビジネスが成立しえない構造的問題の一つとして、ユーザーのネットワーク環境が余りにも貧弱なことがあげられる。つまり今日パソコンの処理速度とネットワーク速度の格差が広すぎるためである。 |
(マーケティング調査部 吉澤 寛保)
(入稿:1996.09) |
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