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2001年6月掲載

名門ベル研究所への挽歌
−研究開発力維持のむずかしさ−

 5月中ごろ、米国で名門の通信機器メーカーのルーセント・テクノロジーズ社が、仏のライバルであるアルカテル社に買収される交渉がニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙等で伝えられた。この交渉は妥結寸前までいったが、結局、下旬になって破談になった。ニューヨーク・タイムズ紙によれば、合併後のルーセントの運営体制を巡る主導権争いが主因であったらしいとのことである。

 この買収劇は単なる通信機器メーカー同士の合併/再編という次元を超えて、大きな意味をもっていた。

 というのは、かってトランジスタやレーザー等で多大の実績を挙げ多くのノーベル賞受賞者を輩出し、通信情報分野随一を誇ったベル研究所がルーセント傘下だからである。

 5月18日のニューヨーク・タイムズは、大要以下のように伝えている。
「情報にくわしい複数の筋によれば、さきにルーセントの光通信部門のアルカテルによる50億ドル程度での買収を協議している両社は、ルーセント全体をアルカテルが大半は株式交換方式により400億ドル相当で買収することも検討しはじめた模様である。
 ルーセントは1996年のAT&Tの再編成時にベル研究所を引継いでおり、国防面でも重要な使命を果たしているベル研究所が海外企業により買収されることについては、今後、米国の規制当局や議会筋に波紋を呼ぶこととなろう。」

 5月30日ニューヨーク・タイムズは、「買収価額はプレミアムのない228億ドルとし、アルカテル会長が新会社の会長となりルーセント会長が副会長となるほか、プレスレリーズ等の細部まで交渉はほとんど煮詰まっていた。しかし、取締役会14名の配分や新会社の運営指揮権をめぐる対立が解けなかった模様である。
 また、アルカテル側も米国の360networks社等への投資の一時費用の償却もあり、第2四半期26億ドルもの損失を計上した事情もある。
 合併話はご破算になった結果、アルカテルにとっては米国進出が挫折したしたが、ルーセントは業績不振で早急に現金の手当てが必要であり、破談はアルカテル以上に打撃であろう。」

■ベル研究所とは

 かって米国の通信業界に君臨したAT&Tを中核とする「ベル・システム」は、1984年に分割されるまでは次のようなグループ構成となっていた。
 「AT&T」が長距離通信事業を自ら行う(AT&T Long Distance)一方、その100%子会社として通信機器製造および据付工事を行うウエスタン・エレクトリック社(WE)を傘下にもち、地域通信については同じく100%子会社として22社の電話運営子会社(Bell Operating Companies; BOCs。ほかにマイノリティ持分の2社も。)が全米の主要都市で電話サービスを提供していた。

 このほか地域通信の一部は、いわゆる「独立系電話会社」(Independent Companies:「独立系」とは、ベル・システムではないという意味。)がフランチャイズをもっていた。
 さらにAT&TとWEとがそれぞれ50%を出資してベル研究所(Bell Laboratories)を子会社とし、研究開発を行わせていた。

 つまり、ベル研究所が開発した技術や機器をWEが製造し、それをBOCsやAT&T LDが購入し、WEに据付を依頼し、サービスの提供を行うという「垂直統合」体制が確立していた。

 ベル研究所は全米いや世界中から成績優秀な研究者を集め、いわば金に糸目をつけず、リベラルな社風のなかで研究開発をおこなっていたから、トランジスタ、レーダー、電子交換機、等さまざまな輝かしい成果を挙げ、研究所として随一のプレスティージを誇ってきた。今日の携帯電話方式であるセルラー方式もその原理はベル研究所の業績であり、多数のノーベル賞受賞者を輩出したのも当然であった。

 筆者はほぼ25年前、ベル研究所のいわば絶頂期に、ニュージャージー州のMurray Hillの研究所本部やHolmdelの交換機研究所を訪問したことがある。門外漢の私のこと、誤っていたかもしれないが、とにかく正直、日本は足許にも及ばないと実感したものであった。事業に近い実用化研究のみか基礎部門の研究も充実していた。基礎研究から実用化研究まで、百貨店並みの品揃えで、しかもそれぞれの分野で最先端を行くと評価されていた

■AT&Tの分割(1984年)

 「ベル・システム」は、研究開発から製造、事業運営までを一貫した垂直統合のグループであり、全米の総電話加入者の80%ほどを顧客としていたため、米政府司法省の独禁訴訟の対象となり、長年AT&Tと争ってきたが、1984年に両者が同意審決で決着することとなった。いわゆる「AT&T分割」である。

 司法省は当初、ベル研究所が開発した機器や技術をWEが独占的に製造し、グループのBOCsや独立系電話会社に独占利潤で販売していることを指摘し、WE等の製造部門の分離を目指した。しかし、AT&Tは「研究開発部門と製造部門は事業の将来にとり絶対必要だ」という強い経営判断で最後まで手放すことに抵抗し、代案として電話運営子会社BOCsの切離しを提案し、結局ベル研究所とWEはAT&T傘下として残され決着した。スピンアウトされたBOCsは長距離通信(LATA間通信)事業を禁じられ、市内と近距離(LATA内)市外通信に限定された。

■AT&Tの分割(1996年)

 その後競争の進展とともに、事業者は市内/長距離/国際通信を一貫して提供したいという「ワンストップ・ショッピング」を目指すようになり、かっては親子だったAT&TとBOCsは市場でお互いの利害が対立し、次第にライバルの立場に立つこととなった。すなわち、AT&Tは市内事業者に支払うアクセス・チャージの削減のためみずから市内事業にも進出を意図し、BOCs側も収益率の高い長距離通信市場への進出を画策し始めた。研究開発面でも、BOCsは自前の共同研究開発機構としてBellCoreを設立し、さらにライバル化したAT&T傘下のWEの機器の購入も渋るようになってきた。

 こうした事態を打開する必要から、1996年にAT&TはWEをLucent Technologiesと改名して完全分離し、BOCsによるWE機器購入の促進を図った。この際AT&Tはあわせて先に買収したが業績の好転しないNCRも分離し、自社は長距離通信事業に専心する体制となった。いわゆる「AT&Tの三分割」で、これは政府筋から強制されたものではなく、AT&Tが自己の経営判断で自発的に行ったものである。この結果、研究開発部門であるベル研究所はその大半がLucentに移管された。

■ルーセントの業績不振とベル研究所の凋落

 ベル研究所が大AT&Tグループからルーセントという一メーカーの一部門になった以上、ルーセントの業績如何で研究所の活動も大きく制約を受けるのは当然であった。従来のようなリベラルな製品化に直接は結びつかない研究を野放しにしておけなくなったこともあり、一部の研究者が流出するようになった。一部ではベル研究所自体がインターネットなどの新しい通信の潮流への対応が遅れたことも批判がある。

 ルーセントは通信機器製造という本業分野でライバルであるノーテル、アルカテル等の海外メーカーとも激烈な競争にさらされ、デジタル化、インターネットへの対応がやや遅れたこともあり、業績ははかばかしくない。今年の直近四半期には1万名にのぼる人員整理関係費用の計上が主因で37億ドルもの赤字となった。また、負債削減のため、チップ製造事業であるAgere Systemsを処分するなど、資金調達に苦戦している。さらに最近は、取引先の新興DSL事業者(NorthPoint, Rhythm, Covad)や市内固定無線事業者(Teligent, WinStar)等の倒産や業績不振が相次ぎ、巨額の売掛金が回収不能になったという不運も重なった。

 こうした事態のなかでルーセントはその光通信関連部門をアルカテルに売却する交渉に入ったわけである。最近、ルーセントの最高財務責任者が辞任する事態もあり、「ルーセントも破産手続に移行するのでは----」という噂まで流れるようになっていた。

■ルーセントの売却は国防等の観点から議論も

 今回のアルカテルによるルーセントの買収交渉は、結局途中で挫折したが、仮に妥結していたとしても、米国議会、政府筋から差止め等の措置がとられたであろうと報道されている。(5月30日AP「ルーセントによる買収は厳しい審査に直面していたであろう」)

 ベル研究所は国防省、FBI等の国防/捜査当局との契約プロジェクトも多いとされる。25年前には、研究所の中には「政府プロジェクト部門」という特別チームがあり売上高でも20%程度のシェアがあったと記憶している。

 米国には日本の通信建設事業者のような事業者がないので、ルーセント自体も単なる機器の製造だけでなく、機器の据付工事等の仕事も行っており、国防省、捜査当局関係の情報通信設備の建設にも深く関与している事情もある。

 こうした背景があるため、今後ルーセントと他社との交渉が妥結しても、とりわけ海外企業による買収ともなれば、とくにベル研究所の帰属をめぐり大きな波紋が広がることが十分に予想される。米国の「外資参入審査委員会」《CFIUS:FBI、国防省、財務省、CIA、国家安全補償委員会、国務省等で構成》による審査は間違いないであろう。ルーセントはもとより通信事業者ではないが、NTTによるVerioの買収、DTによるVoiceStreamの買収では長期にわたる審査があった。議会でもホリングス上院議員等のブロック運動もあった。当然、欧州と米国の独禁当局の審査も予想される。

■研究開発維持の難しさ

 かってのNTT民営化の際には、国会で「民営化された後もNTTの研究開発を維持確保するように」という付帯決議がつけられた。その後のNTT再編成を経て現在は、研究所はNTT持株会社が承継し、その費用の大部分は研究開発費である。

 1984年のBTの民営化当時、BTの民営化前後の過程をつぶさに見る機会をもった。BTの研究所はロンドン北西150kmほどの寒村マートルシャムにあるが、ベル研究所とは比較にならないほど小規模であった。英国にはあまり有力なメーカーが存在しなかったこともその一因であろう。当時のBrander研究所長は、「民営化後は、研究の85%ほどは各事業部門から受託し研究費用をもらう下流ので川下研究になってしまった。基礎研究等基盤となる上流のわずかな研究だけがBT全体の予算で賄われるようになり、懸念している。」といっていた。

 研究開発のありかたについては、NTT等の通信事業者の研究開発とメーカーのそれとの役割分担の論議もあろうが、近未来のGNPに大きなウエイトを占める情報通信の将来の技術開発の基盤ためになる充実した研究開発には、財務的な堅実な裏付けが必要であることは言うまでもあるまい。かっての栄光あるベル研究所のショッキングな売却話を見るにつけ、民営化、競争時代における研究開発の維持のむずかしさを思わずには居られない。

寄稿 特別顧問 木村 寛治
編集室宛>nl@icr.co.jp
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