ホーム > トピックス2004 >
海外情報
2004年2月掲載

AT&T帝国の凋落
減収/減益で大苦境。ステッディに急落していく市場シェア。
スピンアウトした元系列携帯電話会社も身売りへ

 かっては米国の通信業界に一大帝国として君臨したAT&Tが大変な苦境に喘いでいる。
「果たして独立した企業として生き残れるのか」という質問が業績発表の席上、CFOに浴びせられるほどの事態である。

 1月22日に発表されたAT&Tの第4四半期業績によれば、売上高は前年同期比で12.8%も落ち込み81億ドルに留まり、ウォールストリートの予測を下回った。純利益も前年の516百万ドルから340百万ドルに大幅に落ち込んだ。加えて、2004年の売上高の見通しも2003年の実績からさらに7%ないし10%程度落ち込むと見られている。主力の長距離通信市場でのシェアは、1984年に90.1%もあったものが2001年には37.4%に落ち込み、トップの座を滑り落ちるのも時間の問題とされている。まさに一直線のつるべ落としである。

長距離通信事業者の売上高シェア(FCC資料: 2003.8)

 ドイツ銀行のアナリストは、「AT&Tはそのほとんどの事業分野で落胆する成績しかあげていない。過去の蓄積をただ食い潰しているだけだ。」と手厳しい。AT&Tも手をこまねいていたわけではなく、最近も12%にあたる8,600名もの従業員を削減し、経費節減も行い、建設投資にも大鉈を振るってはいる。

 昨年12月にはかっての子会社(Bell South)に合併(Bell Southによる買収)を要請したが、条件が折り合えず破談となった。格付会社はAT&Tの債務格付を「投資不適格」どころか「ジャンク」(紙くず)すれすれまで落としている。

 一方、今年1月下旬には、本体だけでなく、2001年7月にスピンアウトされた全米市場で第三位の携帯電話会社AT&T Wireless Services Inc.も他社による買収(身売り)に合意し、数社と交渉を開始したと報道された。

 一昔前にはAT&T株式は「間違いのない資産株」といわれ、毎年子供の誕生日ごとに一定額を買い増しして、結婚等の独立時にお祝いとしてプレゼントするという家庭が多かった。今回は、名門AT&Tの凋落の足取りを辿るとともに、悲惨な没落を招いた背景を探ってみよう。

■かってのAT&T帝国

 1984年のいわゆる「AT&T分割」までのAT&T(American Telephone and Telegraph Co.)を中核とした「ベル・システム」は、研究開発/機器製造・据付/通信事業運営を一貫した垂直統合体であった。

The Bell System(垂直統合体)

AT&T(持株会社、および長距離/国際通信のLong Lines )
Western Electric(機器メーカー: AT&Tが100%保有)
Bell Laboratories(ベル研究所: AT&TとWEが折半所有)
Bell Operating Cos (電話運営会社: 22社はAT&Tが100%所有、2社はマイノリティ株主)

 つまり、研究所が開発した機器をWEが製造・据付を行い、通信事業では、長距離通信はAT&TのLong Lines Departmentが全米をほぼ独占する形で、また主要都市部はベル系地域電話会社が市内および近距離通信を行っていた。地方都市や僻地での市内通信では、いわゆる「独立系(非ベル系)電話会社」もあったが、主要な通信機器は特許独占でWEのいいなりの価格で機器を購入するよりなかった。このため連邦政府司法省が「WEはその独占的地位を利用して不当に高額の機器を独立系電話会社等に販売している」として独禁法訴訟を提起し、永年争われてきた。

■1984年のAT&T分割(The Divestiture) 

 1983年にようやく政府とAT&Tの話合い和解が成立し、裁判所のもとで「同意審決」が出された。しかし、その過程でAT&Tは「研究所と機器製造部門」を手放すことに強く抵抗したため、急遽、その代償として「ベル系地域電話会社」をスピンアウトし、AT&Tとの資本関係を絶つこととなった。AT&T100%所有だった22社のベル系地域電話会社は7社の地域持株会社の傘下に再編成された。

 それまで親子の関係で幹部の定期的な交流もあったAT&Tとベル系地域電話会社は、完全に絶縁されることとなった。長距離通信の接続でベル系地域電話会社が独立系電話会社よりも有利な扱いをAT&Tから受けないようにするため、ベル系地域電話会社は「長距離 (LATA間)通信」を禁止され、その業務は市内と近距離に厳しく限定された。

 これでベル系地域電話会社とAT&Tはアクセス・チャージの支払い等で対立関係が生じた。さらに通信の広域化のトレンドや顧客のワンストップ・ショッピングの要望から「長距離通信」と「市内/近距離通信」の垣根が流動化し、お互が相手方の市場に進出を図るようになるにつれて、利害が真っ向から対立するようになっていく。ベル系地域電話会社の切り出しは、AT&Tにとって将来の大きな禍根を残すこととなった。

■長期戦略ビジョンで積極展開

 1984年の「AT&T分割」で重荷だった政府の独禁訴訟に終止符をうち、AT&Tは将来に備えて果敢な挑戦を始めた。

 まず、AT&Tはそれまで禁じられてきた「コンピュータ事業」への進出は認められ、コンピュティングと通信の融合時代に備えて、1991年にコンピュータ事業者NCRを買収してIBM追撃を企図した。

 1993年には、全米第一位の携帯電話事業者のMcCaw Cellular Communications Inc.を買収した。

 1999年には、米国第二位のCATV事業者のTCIを買収し、さらに翌2000年にはMediaOneをも買収して、米国最大のCATV事業者となった。

 これらの買収は、市内通信のインフラとして活用し、ライバルとなったベル系地域電話会社の市内インフラに依存しないで「市内/長距離/国際サービスのすべてを自前のインフラで提供できるAll-Distance Company」を目指すという雄大なビジョン戦略に基づくものであり、注目を集めた。

■その後のベル系地域電話会社の統合

 1984年のAT&T分割では、7社(SBC, Pacific Telesis, Ameritech, Bell Atlantic, Nynex, BellSouth, US West)のベル系地域電話会社が誕生したが、1996年電気通信法施行以降、買収統合が進み、現在は4社(SBC, Verizon, BellSouth, Qwest)に集約され、いまやAT&Tの最強のライバルとなったベル系地域電話会社は一層巨大化している。

■1996年電気通信法によるベル系地域電話会社の長距離通信事業への進出

 1996年電気通信法は、ベル系地域電話会社の長距離通信事業の禁止の原則は引継いだが(ただし、自己の営業区域以外では長距離通信の競争促進のため自由とした)、市内市場をライバル事業者に十分に開放したと認定されたベル系地域電話会社は、州単位で州当局およびFCCの審査をパスした場合には、自己の営業区域から発信する長距離通信事業についても、いわば例外的に参入を認められることとした。

 当初はベル系地域電話会社が申請しても市内網の開放が不十分との理由で却下されるものが多かった。しかし、1999年12月にBell AtlanticがやっとNew York州に関し最初の認可を取得してからは順次認可され、2003年12月Qwestから出されていたArizona州に関する認可で、ベル系地域電話会社は全米(48州)で認可取得を完了した。これでベル系地域電話会社はどこででも長距離通信サービスの提供もできることとなったわけで、いわば例外と原則が入れ替わったことになる。

 長距離通信市場ではこれまでは長距離通信事業者間だけで激烈な競争が展開されてきたが、財務や、技術力もあり、囲い込んだ市内通信顧客をもった強力なベル系地域電話会社も長距離通信市場に参入し始めたわけで、競争はさらに激しさを加えつつある。

■成長事業を相次いでスピンアウトしたミス

 AT&TはCATV(TCI)と携帯電話(MacCaw Cellular)の大型買収で借入金が急増していたところに、さらに2000年に入って不況の影響もあり、大幅な赤字が続き、資金繰りも急激に悪化した。株価も急落した。銀行からの借り入れも負債格付けの急落で難しくなった。

 2000年10月には、4事業部門を分社化するリストラ案を打ち出した。

 すなわち、

  1. 企業顧客部門 (AT&T Business (新AT&Tの親会社) 長距離通信 )
  2. 消費者顧客部門 (AT&T Consumer 長距離通信)
  3. 広帯域(CATV)部門 (AT&T Broadband (1999年にTCIから買収したCATV等))
  4. 携帯電話部門 (AT&T Wireless)

を分社化し、それぞれの業績反映株式(Tracking stock)等の発行を可能とするものであった。

 このリストラ計画は、ビジョンに基づいて事業の将来に備えるようなものではなく、いわば当面の急場を凌ぐためのものであった。成長分野で設備投資資金が必要な携帯電話事業部門の要請にも応えられなくなっていたので、携帯電話は準備完了次第に別の独立会社とすることとし、2001年7月にAT&T Wireless Services Inc.として独立した。NTT DoCoMoが16%の持分を取得した。

 AT&Tは市内通信のインフラに利用する野心的な戦略から1999年にCATV最大手TCIを約1,100億ドルで買収したが、双方化の技術も実らず結局失敗、また、負債削減のため 、結局2002年7月Comcastに470億ドル(ほかに250億ドルの債務肩代わり)の安値で売却を余儀なくされた。リセールによる市内事業への進出も撤退に追い込まれた。

 このように、携帯電話や広帯域通信などの成長分野で将来の事業の核となるべき事業部門を切り出さねばならなかったことが今日の苦境の最大の原因になっている。

■その他の悪材料

  • 「以前の子会社に吸収される交渉か」の報道
    2001年9月には、「もとの子会社だったBell SouthにAT&Tが救済を求め、吸収される交渉が行われている」との報道がなされた。最近も2003年10月に同じ交渉がもたれたが、価格面で折り合わず決裂したという。わが国でたとえれば、NTT持株会社(NTTコミュニケーションズをも含む)がNTT西日本に併合されるようなものである。

  • 英国の BTとの国際JV (Concert)を解体清算  (2001年10月)

  • 株価5ドル割れの危機で株式併合(2002年4月。5株を1株に。ムーディズがJunk債すれすれの格付け)

■AT&T凋落の原因

 以上なような下降のスパイラルの原因を挙げてみよう。

(1) 経営戦略のジグザグ

  • 1984年の分割時の戦略ミス (製造部門WEの温存のため地域電話会社を放出、代償として得たNCR等のコンピュータ事業進出も実らず)
  • 1993年McCaw Cellular買収(1994に完了)
  • 1999年に新CEOのArmstrongのもと、CATV最大手TCIを約1,100億ドルで買収、市内通信のインフラに利用する野心的な戦略も結局失敗(双方化の技術実らず)、結局2002年7月Comcastに470億ドル(ほかに250億ドルの債務肩代わり)の安値で売却。リセールによる市内事業への進出も撤退。

(2) 長距離通信市場でのシェア喪失

  • 伝統的な長距離通信ライバルのMCI、Sprintとのcut-throatの料金値下げ戦争に加え、インターネット・バックボーン系の新興事業者(WorldCom, Global Crossing,等)、さらには衛星事業者も参入。ベル系地域電話会社もここ2-3年に48州で長距離通信事業に進出認可取得、順調に顧客を獲得中。

(3) 拡大戦略の挫折と財務悪化

  • 英国のBTとの国際通信JVの破綻  ・中国進出も撤退
  • 携帯電話/CATV買収費用や過大なケーブル敷設投資で有利子負債急増。財務を圧迫。

(4) 資金繰りの急迫から苦し紛れの事業分割 (2001.5.実施)

  • 成長分野の携帯電話部門を100%売却。

(5) IT不況

  • 2000年頃から表面化した不況で通信需要が大幅減退。他の事業者も軒並み破綻や苦境。

(6) 企業文化

  • かっての独占時代の体質が残存か。初めて部外から会長に就任したArmstrongは「AT&T本社では厚いじゅうたんに靴が埋まるほどだ」と尊大、官僚的な企業文化を批判。

■AT&Tに明日はあるのか

 果たして、AT&Tは立ち直れるのか。

 明るい材料は皆無といってよかろう。前述の2003年第4四半期業績発表の席上、AT&TのCFOは「AT&Tは大丈夫なのか」と問われて、「AT&Tというブランド力がある」と答える以外なかった。

 残された主力の固定網長距離通信事業では、既に述べたとおり、ベル系地域電話会社も新たに参戦し、さらに一旦破綻し会社更生手続で債務を軽減され身軽になった新興事業者(MCI,Covad,等)が死に物狂いで低料金を武器に顧客獲得戦争に再登場しつつある。

 たしかに米国景気も立ち直りつつあり、通信需要も多少回復するであろうが、今後の成長分野の広帯域通信や携帯電話事業のスピンアウトで自らの事業分野を絞ってしまったAT&Tには、ただ過去の蓄積を食い潰していく以外に道はないのであろうか。

寄稿 木村 寛治
編集室宛>nl@icr.co.jp
▲このページのトップへ
InfoComニューズレター
Copyright© 情報通信総合研究所. 当サイト内に掲載されたすべての内容について、無断転載、複製、複写、盗用を禁じます。
InfoComニューズレターを書籍・雑誌等でご紹介いただく場合は、あらかじめ編集室へご連絡ください。