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2010年7月7日掲載

『社会的共通資本』の観点を含めた総合的ICT産業政策を

経営研究グループリーダー 市丸 博之
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 インターネットによる個人レベルも含めた情報発信は、ネット上に巨大なデータベースを作りだした。その膨大性ゆえ、求める情報・知識にたどり着くため、Googleに代表される「検索」技術が開発され発展した。

 検索等のいわゆるICT「プラットホーム」事業は、その運営のための収入源をネット広告に求めたため、広告収入に多く依存していた既存のメディア業、すなわち新聞社、雑誌等の出版業、TV等の放送業の財務基盤を侵食するに至り、景気悪化の影響もあって、これら業界の経営は厳しい状況に直面している。更にICT「プラットホーム」事業は、ユーチューブへの事件映像の投稿や、音楽やゲームや小説のアプリケーションストアなどに見られるように、消費者と供給者を個人レベルで直接結びつけることで、従来のメディア業を中抜きにし、その事業の存在自体を脅かす事態の発生が懸念されるようにもなっている。
このような旧来メディア産業の危機は、新たな技術の開発とそれを用いた新たなビジネスモデルの発展による新旧産業交代という経済史上の一般的事象ともみえるが、メディア産業の「社会的共通資本」としての性質ゆえに、それだけにとどまらない、社会・文化上の問題をはらんでいる。

 まず第一に、「個人の問題関心の狭視化への懸念」である。インターネットにより個人のアクセスできる情報の分野・種類は膨大となった一方で、マスメディアの衰退は、個人の接する情報の分野・種類の減少を招く危険があるのではないかということである。従来のマスメディアでは、新聞でもTVでも、様々な分野から選択された情報が、個人の好みにかかわらず提示される。広告においても、不特定多数を対象とするマス広告である。様々な分野の情報のシャワー(多様情報の一括提示)のなかで、従来知らなかった分野でも、たまたま目に触れた世間の注目の片隅にある記事や広告がきっかけで関心が生まれ広がる。辞書やかつて多くの家庭に鎮座していた百科辞典を気ままに読むことで新たな分野への関心が生まれた経験をもつ人も多いと思うが、それと同様である。一方インターネットで得られるのは、検索された情報・知識であり、検索されない情報や知識は得られないということである。(広告も同様である。マス広告とは違い、インターネット広告ではアクセス者のもともとの関心に関る広告提示をおこなう検索連動広告や行動ターゲティング広告が増大している。)「検索」自体は、何を知りたいかという個人の問題関心を前提としている。ではその問題関心はどう形成されるかといえば、その個人の持つ情報や知識に依存する。従ってインターネット利用による個人の情報なり知識の拡大は、この当初の情報知識からの問題関心の範囲内に留まってしまう傾向が強く、個人の情報知識の偏りと問題関心の狭視化を招いてしまう懸念がある。(かつての流行語をもじって言えば「一億総オタク化」の懸念とでも言おうか)。

 第二に、「個人の判断のガイドとなる社会的評価機能への懸念」である。インターネットで得られる情報・知識の評価は、あくまでその個人がしなければならないということである。情報の真偽の判定にはじまり、その情報を自ら解釈してその価値を評価し、自己の行動を決定しなければならない。その評価や解釈に、高度な理解力あるいは労力を有するような情報や専門知識は、そこにたどりつけても、それを整理して理解できなければ、自己の行動は決定できない。判断の拠り所となる専門家の評価が別途必要となるのである。一次情報を分析し、判断し、その情報に一定の評価を下し、より分ける職業が存在する意義はここにある。金融界での信用格付け機関や証券アナリスト、ジャーナリズムにおける新聞社や出版社の編集者、評論家など。そしてこの評価評論の機能は、多かれ少なかれ、その対象とする分野のプレーヤー(企業や作家等)の発掘・育成という側面をもつ。
こうした言わば、文化や経済分野の社会的評価機能は、利害関係者からの中立性を要する意味もあり、評価者は評価ということ自体だけでは十分な対価を得られない。歴史的にメディア業において、広告収入依存が高いのはこのためである。(サブプライム問題を契機に、当該企業から対価を得て格付けをおこなっている信用格付け機関の評価判断の中立性に疑問が提示され、公有化も含めた規制強化の議論が続いているが、格付け制度登場のもともとの契機は、証券会社が顧客に無料で配った株式格付けパンフレットであった。)

 出版業者に超過利潤を生み、経済効率上は弊害が大きいと批判が多いものの、事実上出版業の財務基盤を助けてきた再販制度は、電子書籍には適用されない。これにより書籍の価格主導権がネット流通業者に移ることによる価格競争の激化の可能性も、ネット流通業者による広告収入の切崩しに加え、従来のメディア業の「社会的評価機能」の存続の懸念を高めている。
更にこの社会的評価機能自体がネット流通業に侵食される動きも出ている。ニュースサイトにどのニュースを掲載するかの選択は、サイト業者の判断である。また最近、言論・表現の自由の観点から出版界が反対してきた有害コミックの青少年への規制条例が、都議会で否決された。その一方で、その有害電子コミックのアプリケーションストアへの取り扱いをネット流通業者が拒絶する懸念がいわれている。
問題はこれら業者は、従来の社会的評価機能の担い手が受けていた、公の規制なり監督なりを受ける仕組みになっていないことである。

 このように、社会全体としての「社会的評価機能の維持」と言う観点からは、メディア業の経営悪化は、単なる産業構造の変化ではすまない問題である。
ネット流通におけるコンテンツ創造者の著作権保護のあり方・見直しの議論は盛んだが、更に、そのコンテンツ創造者を発掘・育成するという役割も含めた、社会的評価機関としての放送・出版・ジャーナリズムという「社会的共通資本」の制度設計(その在り方、担い手をどうするか)の観点をも含めるという意味で、ICTの利活用による社会経済の効率化の観点ばかりではない、社会・文化的影響も考慮した総合的なICT産業政策を期待するものである。

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