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情報通信 ニュースの正鵠
2009年10月15日掲載

空気は読めるが周りは見えない人達

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 一カ月ほど前の話になるが、9月2日の朝日新聞朝刊に、先の総選挙における民主党の地滑り的勝利についてのインタビュー記事が掲載されていた。コメントをしていたのは「柔らかい個人主義の誕生」などの評論で有名な山崎正和さん。

 山崎さんは、「熱い『反自民』があったわけではないのに政権交代が生まれたのは」、「日本社会に広がる『リーダーなきポピュリズム』」が原因であると分析。2005年の選挙で小泉自民党が圧勝したのも、今回の選挙で鳩山民主党が圧勝したのも構造は同じであると指摘した。すなわち、前回は「郵政民営化」、今回は「政権交代」というワンフレーズに反応し、大多数の人がムードにのって動いたということだ。

 山崎さんはその背景として、電子メディアが普及し、「携帯メールが届いたら3分以内に返信しないと嫌われる」ような風潮が生まれ、「じっくり考えるよりも、すぐに反応する、すぐに断定する。なんでも二者択一で考える」社会に進んでいることなどを指摘した。そして「空気を読めない人」が否定的に捉えられる社会の中で、選挙前に「民主300議席へ」と盛んに報道された今回の選挙は、「人々にとっては状況に乗りやすいし、誘われやすかった」と述べた。

 携帯電話などの電子メディアの普及が人々の行動様式を変化させ、それが民主党の圧勝にも影響しているという説明は興味深い。

 私は、「情報社会論」という講義を大学で担当しているのだが、携帯電話の急速な普及は、授業の重要なテーマの一つである。その授業の中で今年、ある学生が面白いことを言っていた。「僕が携帯を持った理由は他人を困らせないためです。『自分には必要ないから』などという理由で携帯を持たないのは自分勝手だと思います。急な連絡を取る時に困ってしまいます」というのだ。

 20年前にはほとんどの人が持っていなかった「携帯電話」という新しいコミュニケーション・ツール。一人に一台普及した現在では、もはや「あると便利」なものではなく、「持っていないと周りに迷惑をかける」ものになっているのだ。

 人類の歴史を振り返っても、これほど急速に、そしてまた、これほど深く生活に入り込んだ製品は、他に例がないのではないか? 携帯電話が人々の行動様式に影響を与えているのも必然と言えるかもしれない。

 少し前に、こんな経験をした。

 平日の朝、私鉄から地下鉄への乗り継ぎ駅でホームに降りたところ、体調を崩して苦しそうにベンチに横たわっている人がいた。周りには、同駅始発の地下鉄を待つサラリーマンや学生など20名程度の人がいたのだが、約半数は携帯電話に夢中、1/4はイヤホンで音楽に没頭、そして残りの1/4はチラチラとその人の方を気に掛けながらも何もしていない様子。そこで私が駅員を呼びに行った。

 通勤時間帯だったので、急いでいる人もいただろう。しかし、私が駅員を呼びに行って、その人が車イスで運ばれるまでの所要時間は2〜3分。その場にいた20名全員が1分1秒を争う緊急の用事を抱えていたとは思えない。

 仲間に対しては「メールを3分以内に返信しないと嫌われる」という神経質なまでの気の遣い方をする一方で、すぐそばに倒れている人がいても、それが「仲間」でなければ気にならないのか? それとも、その場の空気を読んで、「周りの人が何もしていないから、自分も何もしなくて大丈夫」と考えたのだろうか?

 会議中もメールチェックに余念がないサラリーマン。友達との食事中も携帯を優先する大学生。電車に乗れば多くの人が携帯とにらめっこ。良い悪いは別として、携帯電話は「いまいるその場所」と人とのつながりを希薄にした。

 携帯電話が現代人の生活を飛躍的に便利にしたことは言を俟たない。しかし「そこに居るけれど心はここになく、サイバー・スペースに飛んでいる」という人達ばかりが闊歩する社会になってしまっては味気ない。それではまるで荘子に出てくる説話「胡蝶の夢」のようだ。

 急速に普及し、今なお進化を続ける携帯電話。この文明の利器とうまく向き合っていきたいものだ。


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