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InfoComアイ
2004年8月掲載

AT&T、ビジネス向け通信事業への集中を決断

 7月の「Infocomアイ」で紹介した(注)ように、米国で通信事業の競争ルールの転換が行われることが確定的となった。この情況変化を受けて、長距離電話会社、地域電話会社、携帯電話会社、ケーブル・テレビ会社やIP電話などの新興企業が、一斉に新しい「ビジネス・モデル」を模索し始めた。引き金を引いたのは裁判所の判決だが、この動きの背景には通信ネットワークのIP化と「いつでも何処でも」情報にアクセスできる環境に対する利用者の強いニーズがある。このような通信市場の構造変化に対応して、通信会社は、如何に「選択」し何に「集中」するかを考えざるを得なくなった。これは米国だけの動きではなく、いずれ世界の通信事業の共通的課題となるだろう。以下に、変革を迫られ生き残りを模索するAT&Tの動きを紹介する。

(注)「新段階に入った米国における通信事業の競争」本間雅雄(InfoComアイ 2004年7月)

■米国における競争ルールの大転換

 地域通信事業のベル電話会社が提訴していた、加入回線や市内交換機能などいくつかの網要素をワンセットにして大幅な割引価格(ベル電話会社側は赤字と主張)で競争会社に提供することを義務づけていた「アンバンドル網要素プラットフォーム」(UNE−P)が96年通信法に違反しており無効とする判決があった。一方、AT&Tなどの競争市内会社(CLEC)が、市内光回線の割引料金での提供や市内銅回線のDSLなどとの共用義務を廃止する連邦通信委員会(FCC)規則が通信法に違反するとして差し止めを求めていた裁判では、CLEC側が敗訴した。

 裁判はワシントンDCの連邦控訴裁で争われ、政府側が控訴する選択も残されていた。しかし、携帯電話、ケーブル・テレビによる電話サービス、最近台頭してきたIP電話などがベル電話会社の市内電話の強力な代替手段となること、ブロードバンドを07年までに全米に普及するとする大統領の選挙公約や、96年通信法の制定以来泥沼化した訴訟合戦に終止符を打ちたいとするホワイト・ハウスの強い意向を受けて、政府側は控訴を見送った。このためFCC規則は、去る6月16日に失効した。FCCは、ベル電話会社から今年中は卸売り料金の値上げはしないという確約を取り付ける一方、「新規則」の年内制定に向けて動き出している。

 AT&Tはこの通信政策の変更で、地域通信会社が保有する加入者回線を、安い料金で利用することが困難になるとみて、家庭向け電話事業での競争はもはや困難と判断した(注)

(注)米国における固定電話の加入数(うち90%は4大ベル電話会社の顧客)は2000年には1億8000万だったが、2004年末には1億4500万となる見込み。現在、AT&Tの市内電話顧客数は400万。AT&Tは最近の3年間、長距離市場を毎年平均10%づつ失ったが、現在でも3000万の顧客を保有し、シェア25〜30%でリーダーの地位にある。ベル電話会社4社合計の長距通信の加入数は、現在4000万、市場シェアは35〜40%で、AT&Tよりも大きい。また、ベル電話会社が競争相手に提供するUNE-Pの卸売料金(現在平均月額19ドル)は、今年末以降に20%程度のの値上げが認められる見込み。(米国CIBC World Marketsのアナリストによる予測 Bells win a battle,not necessarily the war / The New York Times online July 23,2004)

■AT&Tの業績は急激に悪化

 AT&Tは7月23日に04年第2四半期(4〜6月)の業績を発表した。連結売上高が前年同期比13.2%減の7636百万ドル、営業利益が66.2%減の348百万ドル、営業利益率が7.1%ポイント減の4.6%へと悪化した。競争激化によるシェアの低下と料金の値下げが影響した。

 同社の収入の4分の3を占めるビジネス顧客向け売上高は、前年同期比12.7%減の5611百万円と振るわず、なかでも長距離音声収入はトラフィックがほぼ同水準だったにもかかわらず、料金の値下りで17.6%減少した。データ収入も、料金の低下、弱い需要及び新サービス・パッケージへの移行などによって10.4%の減となった。この結果、売上高営業利益率は2.7%に低下した。

 家庭向け通信事業の売上高は、競争の激化、ワイヤレスとインタネットへの代替及びより有利なサービスや料金プランへの移行によって長距離音声収入が減少し、前年同期比14.6%減の2001百万ドルとなった。売上高営業利益率は11.9%に低下した。

 AT&Tは、この第2四半期の業績発表の中で重大な方針転換を表明した。「地域電話サービスに関する最近の規制政策の変更により、AT&Tは家庭向け地域電話サービス及びスタンドアロンの長距離電話サービスで、最早競争することは困難である。現在の住宅用顧客がAT&Tのサービスを希望する限り、AT&Tは高品質のサービスを今後も提供し続けるが、今後このセグメントには新規顧客を獲得するための投資は行わない。」(7月22日の同社ニュース・リリース)というものだ。

■家庭向け電話事業からの撤退を決断

 前掲のニュース・リリースでは、家庭向け地域電話からの撤退の理由を以下のように説明している。「米国の世帯の40%超は、今やバンドルされた通信サービスのいくつかを組合せた料金プランに移行している。最近における規制上の決定は、AT&Tが家庭向けに競争力のあるバンドル・サービスを提供することを財政的に不可能にした。AT&Tは、バンドル・サービスの競争に、スタンド・アロンの長距離サービスを販売することだけでは効果的に対抗できない、という決断を下した。」

 「この決定は、AT&Tが今後ビジネス分野の業務に集中することを意味する。ビジネス向け市場ではAT&Tがリーダーであり、我々が自らの命運を支配しており、明らかな競争優位を有している。我々の挑戦は、短期的には通信産業を取り巻く厳しい環境に影響されるかも知れないが、当社のコスト構造、顧客ベース、強いバランス・シート及びキャッシュ・フローは、長期的な成功のために投資を継続する柔軟性を我々に与えてくれると確信している。」(同社ドーマンCEOのコメント、ニュース・リリース)と述べている。

 しかし、AT&Tは家庭向け電話事業から全面的に撤退するわけではない。去る6月30日に、DSLなどのブロードバンド回線を利用した住宅用IP電話サービス「AT&Tコールバンテージ・サービス」を、全米72の主要市場で開始した。最近、同社はこのサービスの提供地域を32州及びワシントンDCの100主要市場に拡大している。また、再販方式(MVNO)による移動通信事業への再参入も計画しており、すでにスプリントと提携している。ベル電話会社の既存市内電話網に接続して提供する家庭向け地域電話サービスからは撤退するものの、ブロードバンドとそれを利用するIP電話や携帯電話事業では、「熟慮したアプローチに基づき」、積極的な市場開拓を進めようとしている。

■ビジネス向け事業への集中

 AT&TのドーマンCEOは、第2四半期の業績発表の際におけるアナリストとの電話会議で、「我々がビジネス市場に集中することは、我々の命運を我々自身が握っている間に、わが社の強さを利用できる最良の方法であると、私は確信している。」、「ビジネス向け市場でライバル会社との差を広げ、業界をリードするコスト構造と財務的な強さのさらなる改善に努める。」と語っている(注)。このビジネス・モデルの変更は、6月の競争ルールの転換によって、地域通信会社が保有する市内回線を割引価格で利用できなくなったことが契機だが、問題はそれ以前から進行していた。

(注)AT&T posts 80% drop in net,confirms consumer retreat(The Wall Street Journal online / July 23,2004)

 つい最近までAT&Tは、ケーブル・テレビ事業でトップ(AT&Tブロードバンド、コムキャストに買収)、携帯電話事業で第3位(AT&Tワイヤレス、資本分離、シンギュラー・ワイヤレスと合併予定)を占め、市場の変化に最も柔軟に対応できるポジションにあった。しかし、地域電話会社に対抗するため、ITバブル期にエンド・ユーザーに直接アクセスする回線を保有するケーブル・テレビ会社の性急で不毛な買収に巨費を投じた挙句、二事業ともバブルが破裂して資産価格の下がった時点で、手放さざるえなくなるという致命的ミスを犯した。

 その後、米国はITバブルを脱し経済も回復軌道に乗ったが、通信事業の過当競争は改まらず、料金は下げ止まる徴候を見せていない。長距離電話会社と地域電話会社間の競争だけでなく、新興企業による長距離市場への参入が相次ぎ、そのうえ携帯電話会社とケーブル・テレビ会社が加わり、最近では IP電話や無線LANオペレーターなどが登場し、いわゆる「カットスロート(破滅的)」競争の状態が続いている。AT&Tにしても、新規参入の容易な家庭向け通信事業で減収減益になることは予期していたと思われるが、04年第2四半期の業績では頼みのビジネス顧客向けサービスの売上が12.7%減、その中のドル箱である長距離音声収入が17.6減(対前年同期比)となったことは予想外だったのではないか。しかも、競争の激化による料金の値下りで、ビジネス部門の売上高営業利益率は僅か2.7%まで下がってしまった。ビジネス向け事業に特化しても、料金が下げ止まらない限りAT&Tの業績の回復は極めて厳しい状況にある。

■AT&Tに残された選択肢

 第2四半期の業績などを勘案して、米国の格付け機関のムーディーズ・インベスターズ・サービスは、去る7月29日にAT&Tの信用格付けをジャンク・スティタス(Ba1)に格下げすると発表した。容赦ない競争が、収入の不振を予想以上に長引かせる懸念があるから、というのがその理由である。AT&Tは13四半期連続して対前年同期比で利益が悪化しているが、それでもそのバランス・シートはいまだ健全で、負債総額は過去3年間で80%削減し、112億ドルとした。この6月末で25億ドルのキャッシュ・フローを持ち、今後も生み出せると反論している。

 しかし、AT&Tの債券がジャンク・スティタスに格付けされれば、かなりの機関投資家は株式や債券を買わなくなる可能性がある。また、発行残高65億ドルの債券の利子は、ジャンク・スティタスに格下げされれば、約定によって自動的に引き上げられる。このことは経費の増加や投資の削減つながる可能性もある。フィッチ・レーティングスも1週間前に、AT&Tの格付けをジャンク・スティタスに下げている(注)。S&Pも8月3日にAT&Tの長期債務の格付をジャンク・レベル(BB+)に引き下げた。

(注)Moody’s cuts AT&T’s debt to junk status(Financial Times online / July 29,2004)

 ビジネス向け通信事業に特化し、自力で生き残りを図るAT&Tの戦略は、上記のような厳しい経営環境のなかでは、リスクが大きくまさにナロー・パスではないか。AT&Tの生き残りにはほかにどんな選択肢があるのだろうか。

 AT&T出身で通信政策にも詳しいミネソタ大学のオドリズコ教授の見方は次の通りである。AT&Tの家庭向け電話事業が維持が困難なのは明らかで、そこからの撤退は予想の範囲内だが、これだけでは十分ではない。AT&T、MCI及びスプリントの大手長距離通信事業3社のビジネス向け事業は、それぞれ単独では規模が小さ過ぎる。3社がそれぞれの家庭向け事業から撤退したうえで経営統合し、ビジネス向け事業に集中した通信会社を誕生させるのが正しい選択だとしている。経営資源の集中で、世界に例のない優良通信会社に生まれ変わる可能性があるとも指摘している(注)。しかし、長距離3社の合併で、料金の値下がりに歯止めがかかるだろうか。

(注)米AT&T、家庭向け電話 撤退(日経産業新聞 04.7.28)

 AT&Tに残された第2の選択肢は、地域電話会社との合併ではないか。米国の大手地域電話会社では、固定電話加入数の減少が続き、ケーブル・テレビからの攻勢とIP電話の脅威に直面しているが、好調な携帯電話会社を子会社に持ち、また長距離通信市場にも進出している。最近ではDSLなどのブロードバンド事業が伸びてきており、なんとか連結ベースの売上高を増加させている。ビジネス向け通信分野で見劣りする地域電話会社と家庭向け電話事業から撤退する長距離電話会社との合併は、市場が相互補完的でメリットがある。長距離通信会社を買収できる財務的な基盤をもっているのは、大手地域電話会社以外に見当らない。実現には至らなかったが、かつて地域電話事業第3位のベルサウスとAT&Tの合併交渉が行われた経緯もあり、ベル電話会社のいずれかとの合併は可能性が高いのではないか。(2003年秋にベルサウスが検討したAT&Tの買収株価は24ドル、これに対し現在(8月5日)の株価は14ドル。)

 96年通信法の狙いは、地域と長距離の固定通信会社が相互に市場参入することによって「すべての市場に競争を」実現することにあった。しかし実際には、この両者の競争に新興長距離会社の参入、携帯電話やケーブル.テレビなどからの競争が加わり、通信市場は過当競争の様相を呈している。競争ルールは変わっても、過当競争のつけ(泥沼の料金競争とサービスの劣化)は依然として米国の通信会社(特に長距離通信会社)の体力を蝕んでおり、技術革新に対する投資に消極的になっている。米国の通信事業が携帯電話やブロードバンドで、欧州やアジア勢に遅れをとった理由もここにあるのではないか。今回の競争ルールの転換とそれに基づく各社のビジネス・モデルの刷新が、行き過ぎた競争にブレーキをかける役割を果たすことが出来るか、今後の動きを注意深く見守りたい。

特別研究員 本間 雅雄
編集室宛>nl@icr.co.jp
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