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情報通信 ニュースの正鵠
2011年12月14日掲載

Twitterと早稲田の国語と一般意志2.0

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 もう20年以上も前の話になるが、私が受験生だったころ、首都圏の私立大学の入学試験のなかで「早稲田は国語が難しく、慶応は英語が難しい」と言われていた。

 ちなみに「難しい」というのは必ずしも「レベルが高い」ということではなく、「対処がやっかい」という意味だ。

 例えば、早稲田大学の入試の国語には、しばしば「正解が不明な問題」が登場する。大学入試の過去問を集めた書籍に、赤本(教学社)と青本(駿台文庫)があるが、同じ問題に対する回答が両者で異なっている場合があるのだ。

 そして、受験予備校では有名講師が気勢を上げる。

 「早稲田で去年出題されたこの問題。赤本では1が正解、青本では2が正解と書いていますが、本当の正解は3番です!」

 講習を受けた受験生はこう理解する。「要するに考えても無駄ってことだな」

 専門家が時間をかけて考えても意見が分かれるような問題について、限られた試験時間内に受験生が頭を悩ませてもどうにもならない。そういう問題に遭遇したら、直感で選ぶか、「迷ったら3番」のようなパターンで回答を決めてしまって、他の問題に取り組んだ方がよっぽど効率的だ。

 熟考して選んだ回答も、パターンで選んだ回答も、点数計算上の価値に違いはない。大学受験で試される国語力は、こうした見切りのテクニックを含めて評価される。

◇◆◇

 話は変わるが、私はTwitterのパッシブ・ユーザである。自分でつぶやくことはしないが、情報収集で時々使う。

 Twitter内のオピニン・リーダー的な人を数十人フォローしておけば、時事問題からエンターテイメントまで、幅広い分野について最新の話題を効率よく眺めることができる。

 彼らの守備範囲はとても広い。原発事故が起きればその危険性を分析するし、光速を超えるニュートリノが観測されれば相対性理論について解説してくれる。日本がTPPに参加すべきかどうか、話題の新製品がイイか悪いかも瞬時にわかる。

 なかにはピントはずれな意見も混在しているが、Twitterはもともと、気軽に情報発信できることがウリのツールなので、そうした使われ方はサービスの趣旨にあっていると言える。

 ところで私は最近、Twitterで情報発信する人たち、あるいは、情報収集する人たちの思考プロセスが、そのメディア特性に最適化されたものになりつつある、あるいは、今後なっていくのではないかと感じている。

 前述したように、Twitter上では話題が次から次へと移り変わっていく。ある人の訃報に言及して「心よりお悔やみ申し上げます」と言った1分後に、最近始まったテレビドラマについてつぶやいている人もいる。同様に、ニュースもどんどん消費されていく。最初に話題になってから数時間も経つと「昔のニュース」という印象になるほどだ。

 こうしたスピード感のなかで、自分の意見を付加しながら情報発信をしようと思うと、個々のニュースのディテールに深入りすることは非効率。むしろ個人の価値観のパターンにあてはめながら、これは○、これは×といった具合に評価する方が効率的だ。

 例えば、「フリーのジャーナリストはいいけど、記者クラブに依存しているマスコミの記者はダメ」とか、「アップルの経営は素晴らしいけど、日本メーカーはなっていない」とか、「SNSは大衆の英知を結集させるけど、ソーシャル・ゲームは情報弱者を食い物にしているだけ」など。人それぞれ、いろいろなものごとについて漠然とした価値観(先入観)を持っている。さまざまなニュースを瞬時に処理しようとすると、そうした価値観が判断軸となっていくのではないか。

 現実には、あらゆることがらにトレードオフがつきものなので、単純にいいとか悪いと即断できるような話は必ずしも多くないと思うのだが、140文字という字数制限を持つTwitterでは、そうした曖昧さは支持されにくい。一つのニュースについてじっくり考えて慎重な発言を行うよりも、○×式の価値観ラベルをくっつけて情報をズバズバ片付けていったほうがメッセージ力は強くなる。

 いろいろな分野について、自分なりの価値観フィルターを用意しておけば、さまざまな話題に対して、脊髄反射のような迅速さで反応することが可能になる。限られた時間のなかで高得点をあげることが求められる大学入試において「難しい問題は考えない」というテクニックが有効であるのと同様に、次から次へとニュースが流れてくるネットの世界では、「価値観フィルターによるラベリング」が効果的な情報処理方法と言えるだろう。

◇◆◇

 話はまた変わるが、最近話題になっている東浩紀さんの「一般意志2.0」を先週末に読んだ。

 途中の論理展開が面白い本なので、部分引用でその魅力を伝えることは難しいのだが、インターネットで可視化される人々の無意識を「一般意志2.0」と定義し、それを国家運営の制約条件として活用していこうというアイディアは非常に興味深い。

 しかし東自身が示唆しているように、こうした仕組みを本格的に社会に実装していこうとするならば、情報通信技術は、さらなる進歩を遂げなければならない。

 ネットのサービスでは、インタフェースなどの設計思想がユーザの行動に影響を与える。Twitterを通じて可視化されるのは、人々の無意識がそのまま顕在化したものではなく、Twitterというツールに最適化された表現の総体である。同様にニコニコ動画のコメントの集合から立ち現れるものは、ニコニコ動画のカルチャーを色濃く反映した意見になる。

 こうした情報のなかから、アーキテクチャによって誘引された要素を差し引いて、「正味の一般意志」を抽出することは可能になるのだろうか?

 容易ではないが、価値のある挑戦と言えるだろう。


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