ホーム > レポート > Broadband Future >
ブロードバンドフューチャー
2001年6月掲載

ブロードバンドとeラーニング

■ブロードバンドを支える有料コンテンツビジネスの重要性

 Broadband Future4月号「ブロードバンドの意義と市場構造」で取り上げたように、ブロードバンドの担い手であるキャリアやISPの収益性は、高まる業界内外の期待とは裏腹に、徐々に不透明感を増しつつある。キャリアやISPがインフラに多額の投資を行い、競ってブロードバンド化を推し進めるのと並行して、このインフラを利用した新規ビジネスを行おうとするコンテンツプロバイダーや、既存事業をてこ入れしたいオフライン企業が挙って参入を試みている。しかしこれらの事業者は当然新たなコストとして帯域やホスティングといったインフラ利用料金を支払う必要がある一方で、最終的に一体どこから収益をあげられるのかという点で問題をまだ先送りしたままなのである。例えそれがB2BであれB2Cであれ、または本業を補完するためのプロモーション的位置付けであっても、事業者にとって“新しい価値を生み出す”という根本的な目的を達成できない限り、現在あるようなブロードバンドブームは決して長続きしないだろう。つまりコンテンツビジネスの成否は、日本におけるブロードバンドの本格普及に大きな影響を及ぼす重大な要因の一つなのである。

 その意味で、映画や音楽、ゲームといったエンターテイメントビジネスに大きな期待が集まるのは当然の流れであるのだが、米国でさえ今だ不透明なこの市場の立ち上がりの遅れが、ブロードバンド全体の破綻につながるような状況だけは避けなければならない。本稿ではそのような観点から、実際に利用者から料金を徴収し、事業者に直接的な収益をもたらしうるアプリケーションの一つとして、eラーニングを取り上げたい。

■なぜeラーニングが有望なのか

 eラーニングベンダー大手のIQ3が行った市場調査によると、国内成人のうち約9割が「何らかの物事を学びたい」という意思をもっており、企業に勤める男女の約7割が「資格の取得やスキルアップに関心がある」と回答するなど、日本人の学習や資格に対する関心の高さは、eラーニングの潜在的市場性を十分に予見させるものとなっている。

 エンターテイメントコンテンツは、主婦や子供を含む消費者全般にとって関心の高いものであり、潜在的に大きな市場性をもつ一方、プライベートな時間に居間などでリラックスしながら視聴したいという特性から、テレビやステレオに勝る明らかな長所(価格、利便性)がなければビジネスとして成立させるのは難しい。一方教育系コンテンツでは、市場は当面ビジネスパーソンや高い向上心をもった一部の学生層などに限定されるものの、プライベートな時間であっても明確な目的にために机に向かい、限られた時間やお金を費やすことも厭わないという特性をもっているため、制作や配信に関わるコストを回収できる可能性が高いと考えられる。

■集合教育と比較したeラーニングのメリット、デメリット

 eラーニングは、従来型の集合教育がもつ様々な物理的制約を伴った画一的な教育というデメリットを解消できるという意味で、教育手法全般に大きなインパクトを与える可能性を秘めている。eラーニングのインパクトは、講師の質に教育効果が大きく左右されるような現在の教育システムから、小数の質の高い講師による均質な教育へ、護送船団的、画一的な教育から、受講者のレベルにあった個別教育へ、更には時間や場所といった物理的制約や、会場、移動といったコスト要因を取り払い、迅速な情報更新によるタイムリーな教育サービスを提供できるといったものである。

表

■eラーニングの分類

 eラーニングは大きく企業内教育、スキルアップ教育、生涯教育、学校教育の四つに分類することができる。企業内教育は主に企業側の支出により、業務に必要とされるスキルを半ば強制的に獲得させるものである。スキルアップ教育は主にビジネスパーソンや将来に備える学生が、自らの意思と支出により自己啓発を図るものであり、英会話やITスキル、ビジネススキルの資格取得などがこれに含まれる。生涯教育には主にリタイアした高齢者や主婦による趣味的な講座が含まれる。学校教育とは一般に既存の小学校から中学校までの義務教育や大学までの高等教育を指すものである。

■まずは企業向けサービス、IT関連講座から

 eラーニング市場はまず企業向け分野から立ち上がっており、米eラーニングベンダーの大手であるSmart Force社やDigital Think社なども収益の多くを企業向けサービスから獲得している。NTTデータ経営研究所によると、eラーニングの国内潜在市場規模は1兆円程度であり、中でも企業内教育が最も大きな市場になると予測されている。その主な根拠としては、受講者の目的が明確であること、時間や場所の制約にとらわれずに受講できること、最新の情報をタイムリーに学習できること、集合学習と比較した費用対効果が高いことなどがあげられている。

 2000年に入り、日本でも徐々にeラーニングに対する関心が高まった背景には、マイクロソフトやシスコシステムズといったIT関連ベンダーの資格取得に対する社会的需要が顕在化したことがあげられる。現状ではITスキル系コンテンツが最も有力視されており、特に資格保有者の数と質が企業の技術力を示す指標として重要な地位を占めるコンピューターベンダー、システムインテグレーター、人材派遣会社などで需要が大きくなっている。シスコシステムズ日本法人は、2001年4月から技術認定資格取得者向けサービス“リモートラボ”の提供を開始した。これは米国のセンターに設置してあるルーターやスイッチをインターネット経由で実際に操作できるところに特徴があり、「企業合併に伴って両社のネットワークを統合しなさい」といったシナリオに沿って、課題の解決を目指すという。このシステムを開発したスマートリンクは、こうした機能によって「ペーパー上の“知識”でなく“実践的スキル”を身につけることができる」と指摘している。調査会社のIDCジャパンによると、国内のIT教育、トレーニング市場は2004年までに約2,000億円に達すると予測されている。

 NTT-Xは、ITプロ養成を掲げ“イーキューブ・ラーニング”を2000年2月にスタートした。eラーニング事業における米最大手スマートフォースをはじめ、グロービス、Dai-X、日本能率協会マネジメントセンター等の有力教育事業者との提携により、IT分野からマネジメントスキルまで、インターネットサイトで良質なコンテンツを提供している。豊富な技術・運用ノウハウとWBTシステム国際標準化でのリーダーシップを背景に、企業向けにフルカスタマイズを行う“イントラネットサービス”、企業向けASPの“エンタープライズホスティング”、eラーニング事業者向け“LSPソリューション”を展開している。同社は「市場性、収益性の高いIT教育分野からサービスを開始した」(NTT-Xイーキューブカンパニー勝田裕史氏)と説明しており、現時点では企業向けサービスが収益の大半を占めている模様である。一方、個人ユーザも6,000人が利用しており、「今後更に市場は伸びる」と期待を寄せている。同社は現在のナローバンド環境での実績に手ごたえを感じており、ブロードバンド向けにも「経営能力養成やセミナーでの映像配信を目論んでいる」ということである。
◆NTT-X(イーキューブ・ラーニング) http://e-cube.ne.jp/

■スキルアップ教育におけるeラーニング

 米国公認会計士(CPA)などの資格取得を支援するビジネススクールANJOインターナショナルでは、2000年6月から映像を使ったインターネット講座を開講しているが、2001年5月末現在で既に全受講生の約10%に相当する約400人がこのネット講座を利用している。元々希少価値の高い教材を提供していること、多忙で定期的な通学が困難な社会人を主な対象としていることが同社の強みである。同社の安生代表取締役社長は「今後はIT関連講座や簿記などの実務講座のほか、企業向けの社員研修、ブロードバンド環境を生かした家庭へのコンテンツ配信を強化する予定で、既に複数の事業者と具体的な検討を進めている」と説明している。
◆ANJOインターナショナル(ビジネススクール) http://www.anjo.co.jp/

■生涯教育におけるeラーニング

 早稲田大学は、一般・社会人向け公開講座「早稲田大学オープンカレッジ」の講義映像や資料を、昨年設立した早稲田大学ラーニングスクウェア株式会社(以下WLS)を通じてeラーニング用コンテンツとしてオンデマンド提供する。6月から試験配信を行い、9月からは実際に開講を予定している。当初は文学・芸術分野を中心に10講座を用意、それぞれ20分程度のセッションを15〜30回で構成する。受講料の詳細は未定だが、1講座当り1万円程度を想定しいているという。WLSは個人や事業者へ向けた豊富な講義コンテンツの販売のほか、既存学習施設を核としてeラーニングビジネスを展開したい事業者へのシステムコンサルティング、支援サービスも行う考えである。こうした生涯教育は、今後向学心の高い高齢者や活動的な主婦が増えるに従って、ビジネスとしてだけでなく、社会的意義の大きい事業となるだろう。
◆Waseda Learning Square http://www.wls.co.jp/index.html

■学校教育におけるeラーニング

 米国ではUniversity of Phoenix Onlineが他校に先駆けてeラーニングの取り組みを推進しているほか、ここにきてスタンフォード大学やMITといった超一流校もオンラインでの学位取得に向けた試みを開始している。University of Phoenix Onlineは社会人教育を専門とする企業Apollo Groupが運営する大学“University of Phoenix”のオンライン部門で、2000年9月にはトラッキングストックによるIPO(株式公開)を行っている。インターネット関連企業が軒並み評価を大幅に下げた年初来からのバブル崩壊でも踏みとどまり、アナリストの評価も依然高水準で推移している。同社は実在の大学であるUniversity of Phoenixの教材コンテンツをオンラインに応用するために1989年に設立され、2000年8月時点で1万6,000人の学生を確保するなど、オンライン大学としては米国で最大規模を誇っている(2000年度の売上規模は1億ドル超)。学生はオンライン図書館で学術誌や新聞、雑誌などの文献検索が行えるほか、アカデミックカウンセラーや教授による個人アドバイスも受けることができるなど、伝統的な大学が提供しているサービスのかなりの部分をオンラインで実現している。また興味深い試みとして、教授陣の募集もオンライン上で行い、別に本業をもった多様性のある人材をそろえ、彼らのビジネス経験を教育に生かそうとしている。
◆Phoenix Online http://www.phoenix.edu/index_flat.html

 よりアカデミックな研究や公共性に主眼を置き、ビジネス展開への積極性という面で違いはあるものの、同様の試みは日本でも既に行われている。WIDE University School of Internet(SOI)は慶応大学、東京大学を中心に設立されたWIDEプロジェクトの取り組みの一つであり、大学間での授業交換や、大学による社会人教育の可能性などを探索するために1997年より実験が続けられている。SOIでは企業経営者などの外部講師を積極的に招聘し、映像を利用した講義コンテンツを無償で提供しており、登録者数は約7,000人となっている(半分以上が社会人で、社会人比率は年々増加している)。SOIワーキンググループのチェアである、株式会社スクールオンインターネットの大川代表取締役所長は、「多様なバックグラウンドをもった社会人によるレポートは品質の高いものも多く、学生にとって大いに刺激材料となっている」と取り組みの効果について説明している。

 また大川所長は、「効果的な学習ということを考えると必ずしも映像が最適とは言えないが、講師がどういう人で、何を考えているのかがリアルに伝わるという点がブロードバンドによる大きな恩恵だと思う」と指摘しており、「隣の人をつついて質問するというようなインオフィシャルなコミュニケーション」もBBSやメールを活用することで一部補おうとしている。SOIでは今後マレーシアを初めとする海外への授業コンテンツ配信や、海外を含む多彩なゲストスピーカーを招く仕組み作りを強化し、「知の創造プロセスの共有」を追求していく方針である。
◆WIDE University School of Internet http://www.soi.wide.ad.jp/contents.html

 文部科学省も大学設置基準について、「文字,音声,静止画,動画等の多様な情報を一体的に扱うもの」「電子メール等により教員や補助職員が設問解答,添削指導,質疑応答等による指導を行うもの」「授業に関して学生が相互に意見を交換する機会が提供されているもの」という要件を満たせば遠隔授業の一形態として認める方向である。これはまさにストリーミングによる映像(または音声)配信、メンタリングサービス、掲示板などのコミュニティ機能を想定したものであると考えられるが、更に今後は海外の大学が提供するインターネット講座を日本から受講する場合の単位認定なども行う方向であり、大学教育における本格的なグローバル競争時代が到来しようとしている。

■eラーニングにとってブロードバンドが意味するもの

 こうして見ていくと、eラーニングのばら色の側面ばかり強調され、将来の教育手法は全てインターネット上に収斂するという議論が起こりがちであるが、eラーニングは将来に渡って集合教育を完全に代替するものではないだろう。例えばeラーニングは、成績上位者と下位者の格差拡大や、臨場感の欠如など、先述したような負の側面も有しており、特に対面でのコミュニケーションが重要な位置を占める学校教育分野(特に義務教育)においては、全面的な導入は困難であろう。こうしたデメリットを補うための個別進捗管理、メンターサービス(*)や、テキストだけでなく音声や映像を用いた教材、双方向コミュニケーションツールなどをどれだけ効果的に提示できるかが、eラーニングにとって今後の大きな課題となる。現実的には、従来型集合教育のうち非効率な部分から一部eラーニングで補い、適宜集合教育と組み合わせながら教育効果の最大化を図るという姿勢が必要となるだろう。

*質問に対する回答のほか、復習問題の送信や個別アドバイスなど受講者にとってペースメーカーの役割を果たすもの

 普及プロセスにおけるもうひとつの課題としては、一等地などの物理的なスペースや豊富な教員数をコアコンピタンスに据える既存スクールの動向があげられる。こうしたスクールにとって、「物理的なスペースが不要」で「少数精鋭の教員による有料講義」というeラーニングの方向性は、既存資産が逆に高コスト要因へ転換する可能性を促進するため、大きな脅威となるに違いない。電話網からIP網へ、ナローバンドからブロードバンドへという流れは、通信業界だけでなくこうした従来型の実体経済にも影響を及ぼすことになるだろう。通信事業者が技術革新や競争激化に伴うネガティブチョイスとして、IP電話やネットワークの更改を進めているように、各種スクールも来るべきeラーニング時代での生き残りをかけて、徐々に歩を進めようとしている。

 ブロードバンド時代にはデジタル化された多くの知的生産物がインターネットを経由して共有可能となる。eラーニングにおけるブロードバンドの意義は、講義にリアルな映像コンテンツを取り入れることによる「臨場感・安心感の提供」と、メンタリング、ライブディスカッションといった双方向機能による「緊張感の維持」「インオフィシャルなコミュニケーションの補完」などに集約されるだろう。これにより先述した短所を最小限に抑えることができれば、これまでeラーニングに懐疑的だったユーザにとっても現実的な選択肢となるに違いない。ADSLやケーブルインターネットの普及率が右肩上りで推移するというニュースが飛び交う中で、そのネットワーク上を流れる優良なコンテンツの一つとして、2001年はeラーニングに注目してみたいと思う。

通信事業研究グループ 宗岡 亮介

▲このページのトップへ
InfoComニューズレター
Copyright© 情報通信総合研究所. 当サイト内に掲載されたすべての内容について、無断転載、複製、複写、盗用を禁じます。
InfoComニューズレターを書籍・雑誌等でご紹介いただく場合は、あらかじめ編集室へご連絡ください。