アフターコロナという言葉もようやく過去のものになりつつあった2024年10月中旬、オーストラリアを訪れた。出産・育児とコロナ禍により、海外旅行は7年ぶりで、子にとっては初めてだ。時差が小さいこと、日本と大きく環境が変わらないこと、英語圏であること、そして遺跡や歴史的建造物よりも印象的な風景や動物を中心に……などと考え、シドニーとウルルに行くこととした。
ウルル(エアーズロック)
羽田からシドニーまでは約9時間。初日は移動に一日を費やし、シドニー空港近くのホテルで一泊した。翌日空港へ戻り、国内線でエアーズロック空港へ向かう。所要時間は3時間半である。
離陸から1時間ほど経つと、窓の外には、ひたすら赤茶色の大地が広がる。どこまでも何も変わらないのではないかと思えたころ、ようやくウルルが見えてくる。写真を撮る人あり、窓に張りつく人あり、期待感が機内に広がる。飛行機は傾きながら何度も旋回を続け、乗り物酔いしやすい筆者にはそろそろ限界だというタイミングで着陸した。この地の名物とされる強風の影響を受けたとのことである。
ウルル(エアーズロック)は、世界最大級の一枚岩で、西にある岩石群カタジュタとともにウルル=カタジュタ国立公園を構成する。一帯は1985年に先住民アナングへ返還され、現在はオーストラリア政府の国立公園担当部署が99年間という条件で賃借している。探検家のウイリアム・ゴスが発見した当時の地域長官の名前にちなみエアーズロックとも呼ばれていたが、1995年以降はアナングの呼称である「ウルル」が正式名称となっている。
日の出や日没は観光の大きなハイライトでもあり、ウルルを訪れる際は基本的に宿泊が必要だ。宿泊先は空港からバスで10分ほどのところにある、エアーズロックリゾート内の6つのホテルとキャンプのみで、施設数によって観光客数も一定程度制限されている。
荷物を置いて休憩した後、夕方から夜にかけてのツアーに参加した。大型バスに乗り、周辺のいくつかのポイントを散策しながらウルルを一周。その後、少し離れたところで日没を眺め、暗くなる中で夕食をとり、南半球の星空観察へ向かうという流れである。
この時期、オーストラリアの季節は春だが、ウルルのある大陸中央部は事情が異なる。10月の平均最高気温は32℃。私たちが行った日も、既に夕方の時間なのに暑く、1時間ほど歩くということで、売店で追加の水を購入した。真夏には最高気温が40℃を超えるとのことだ。
乾燥した土地とはいえ、実際に歩いてみると思いのほか草木が生えており、大樹といえる木もある(写真1、2)。途中には、数メートル四方の小さな池があり、その周りの岩肌には水が流れ込んだ跡も残っている(写真3)。私たちが訪れる2週間ほど前には大雨が降り、周囲一帯が洪水状態だったそうだ。

【写真1】ウルルの大樹
(出典:筆者撮影 オーストラリア連邦政府(気候変動・エネルギー・環境・水資源省)の許諾を得て掲載)

【写真2】ウルルの樹木
(出典:筆者撮影 オーストラリア連邦政府(気候変動・エネルギー・環境・水資源省)の許諾を得て掲載)

【写真3】ムティルジュの泉
(出典:筆者撮影 オーストラリア連邦政府(気候変動・エネルギー・環境・水資源省)の許諾を得て掲載)
歩いていると、絶えず虫が周囲を飛び回る。事前に読んだガイドブックには「ハエが目の水分を狙って近づいてくる」とあったので、ハエ除けネットを持っていったのだが、これはこれで視界が遮られて邪魔になる。微妙なところだが、個人的には、多少の鬱陶しさを我慢すれば、蚊や蜂のように刺してくる虫よりはまだマシだと感じた。
バスでウルルを一周していると、途中で何カ所か「ここから写真撮影禁止」との注意があった。特に北側は全域が撮影禁止区域である。周囲を回ってみると見え方は場所によって異なるが、商用映像やパンフレット用の撮影には事前許可が必要で、結果として似た映像・写真になることが多いらしい。とはいえ、このアングルが最も「映える」ようには感じる。
先住民の居住地や、聖地として重要な意味を持つ場所は保護され、立入禁止となっている。かつてウルルに登ったことがある読者もいるかもしれないが、登山は2019年10月26日以降禁止された。長年、聖地であるとして反対してきたアナングの声が、ようやく聞き入れられた形である。
ガイドは、アナングの伝承や生活の様子などを生き生きと語ってくれた。ただし、適切な方法を取らない限り伝承の再話は控えるようにとのことで、興味がある方は国立公園のウェブサイトを参照いただきたい[1]。なお、チャールズ・ダーウィン大学がガイド向けプログラムを提供しており、公式ガイドとして活動するには同課程の修了が必須とのことであった。
散策を終えた後はサンセットポイントへ向かい、ドリンクを片手に日没を待つ。夕日を受けて赤茶色に輝くウルル。写真などで見慣れた姿ではあるが、遮るものもなく目の前にあるということが何だか信じられないような気がした。
日が沈むにつれて、岩の色は深みを増し、次第に闇の中へ溶け込んでいく。おそらくその風景は折に触れて思い返すされることだろう(写真4、写真5、6)。

【写真4】日没のウルル
(出典:筆者撮影 オーストラリア連邦政府(気候変動・エネルギー・環境・水資源省)の許諾を得て掲載)


【写真5(上)、6(下)】日没のウルル
(出典:筆者撮影 オーストラリア連邦政府(気候変動・エネルギー・環境・水資源省)の許諾を得て掲載)
ほとんど雲のない晴天で、月が出るのも遅かったため、夕食後には星空を楽しむこともできた。21時頃に月が昇るまでの数時間の貴重な星空である。街灯のある場所から少し離れると辺りは真っ暗で、目が慣れてくると、まさに満点の星空である。南半球の星座を初めて肉眼で見た(写真7)。

【写真7】ウルルの星空
(出典:筆者家族撮影 オーストラリア連邦政府(気候変動・エネルギー・環境・水資源省)の許諾を得て掲載)
翌日は、昼過ぎのシドニー行きの飛行機に乗るという慌ただしい旅程だったため、その前に自分たちでも散策してみようと、朝食後にエアーズロックリゾート周辺を歩くことにした。周遊バスも走っているので散歩気分で出かけた。朝9時台だったが、やはり暑い。1kmほど離れたラクダ牧場を目指して、ゆっくり30分ほど歩いただろうか(写真8、9)。

【写真8】道路沿いの風景
(出典:文中掲載の写真は一部記載のものを除きすべて筆者撮影)

【写真9】ハエ除けネットを被る筆者。
このあと笑っていられない状況に
(出典:筆者家族撮影)
牧場でラクダ(写真10)に乗る人や、カンガルーを見た後、周遊バスの時間に合わせて乗降場所へと向かったが、大勢の人が歩いてくる。どうやらバスは予定より早く到着したようで、そのまま出発してしまっていた。

【写真10】乗る人を待つラクダ。
ウルルのラクダツアーもある。
次の周遊バスが来るのは20分後。もし遅れれば、今度はホテルからの空港行きバスに間に合わなくなる。仕方がないので歩いて戻ることにした。往路より日は高くなり暑さも増している。子どもの体調を考えるとあまり急ぐこともできず、乾燥と焦りで喉も渇いてくる。もはやのんびり散歩とはいかなくなり、必死の勢いで歩いていたらしい。空港行きバスとほぼ同時にホテルに到着し、冷房の効いた車内に乗り込んで心底ホッとした。
正味一日ほどの短い滞在だったが、自然の中に少しだけ居場所をもらっているような感覚があった。この土地で長年暮らしてきた人々の適応力や、観光地として整えてきた人々の苦闘を思った。
シドニー
シドニーに到着し、翌日からの2日間で、オペラハウス、シドニー湾周辺の開拓時代の遺跡、動物園、水族館、シドニー大学などを訪れた。
気温は同時期の日本とほぼ同じ20℃前後で、晴れていると暖かく過ごしやすかった。街路のあちこちに美しい紫色の花が咲いていて目を引く。このジャカランダは「南半球の桜」とも言われるそうで、色は全く違うが、確かにどこか桜を思わせるものがあった(写真11)。

【写真11】タウンホール前のジャカランダ
オペラハウスの特徴的な造形と白く輝く屋根の美しさは想像以上であったが(写真12)、当初予定より10年遅れでようやく完成したことを初めて知った。デンマークの建築家ヨーン・ウツソンが、海に突き出す形状と貝殻や帆を思わせる独創的なデザインでコンペを勝ち取ったものの、着工当初から地質や構造上の問題が指摘されていた。最終的にこれらの課題は解決できたが、費用の大幅な増加もあって政権との関係が悪化し、ウツソンは1963年に責任者の職を辞して帰国、その後二度とオーストラリアの地を踏むことはなかった。オーストラリア人のピーター・ホールらが設計を引き継ぎ、10年をかけてようやく完成に至ったという。

【写真12】対岸からのオペラハウス
オペラハウスの完成から50年が経過しているが、改修・保全や清掃のおかげか、内部はまるで新しい建物のようだった。公演準備中のため絶対に音を立てないよう注意を受けながら、大ホールの座席部分に入ることができた(写真13)。

【写真13】オペラハウス大ホール内部
(出典:筆者家族撮影)
上階からシドニー湾を見下ろしていると、ガイドから、対岸には国王の宿泊施設があり、湾内には警備艇が停泊していると説明があった。ちょうどチャールズ国王も同時期にオーストラリアを訪問していた。オーストラリアは現在も英連邦構成国であり、国家元首はチャールズ国王である。
やや余談になるが、10月21日夜、ホテルでテレビを見ていると、国王が首都キャンベラの国会を訪問して演説した際、上院議員リディア・ソープ氏が「私たちの土地を返せ」「あなたは私の国王ではない」などと叫び、議場から退出させられたと報じられていた[2]。ソープ議員は初のアボリジニ出身議員だが、これまでも言動が物議を醸しており、必ずしもアボリジニの代表的存在ではないとのことで、少々突飛な出来事ではある。ただ、オーストラリアの政治体制や先住民の位置づけには継続的に議論がある。2023年には、先住民を憲法上「最初の国民」として明記し、意見を反映する諮問機関を設ける内容の改憲案について国民投票が行われたが、結果は否決となった[3]。また、立憲君主制から共和制への移行を求める声も根強い。
他に印象深かった場所として、いくつかの囚人関連のスポットがある。
オーストラリアは1786年から1868年までイギリスの流刑地とされ、移送された囚人は開拓に従事した。市内中心部にあるハイド・パーク・バラックスは、囚人の一人が設計し1819年に建設されたもので、当初は男子用刑務所、のちに女子移民の収容所として使用された建物である。国内各地の施設とともに「オーストラリアの囚人遺跡群」として世界文化遺産に指定されている。
入場者はイヤホンガイドを借りることができ(日本語もある)、展示に近づくと自動的にその説明が流れるようになっている。囚人が語りかけてくるようなシーンもある。展示では、オーストラリアまでの長い航海や、到着後の過酷な労働の様子が可視化されていた。
開拓の過程でアボリジニとの戦いが避けられなかったことを示すジオラマ展示もあった。博物館の公式サイト等にも、開拓に伴い、もともとその地に住んでいたアボリジニが、より肥沃でない奥地へ移動せざるを得なかったという記載がある。
オペラハウスから西方向へ歩いたところには、ロックスという地区がある。最初の入植者が開拓を始めた土地で、文字通り岩を切り崩して造成していった場所だ。入植当時の建物などを生かした観光地になっている。
上陸記念碑の「ファースト・インプレッション」には、オーストラリアの入植に貢献した囚人、兵士、移民家族の姿が三面に彫られている(写真14、15)。


【写真14(上)、15(下)】
それぞれ、移民(The Settler)、囚人(The Convict)(兵士の写真はなし)
「カドマンの家」は、入植時代の姿をほぼそのまま残すこじんまりとした建物で、シドニーで最も古い家屋の一つとされている(写真16)。名称の由来となったジョン・カドマンは、馬を盗んだ罪でイギリスから流刑になった囚人で、のちに自由民となって政府の船の管理人としてこの家に住んでいた人物である。建築当時の1820年ごろ、この家のすぐ前は海岸だったが、その後の埋め立てによって海岸線は100mほど西へ移動したとのことである。

【写真16】カドマンの家
囚人とはいえ軽微な罪状の者も一定数いたこと、囚人が国家建設に大きく貢献したことから、流刑地という過去は、自らのルーツとしてオーストラリア人には肯定的に捉えられているようである。
動物園・水族館も訪れた。コンパクトな都市型の施設にもかかわらず、内容は充実している。
私はこの旅行まで本物のコアラを見たことがなく、特段の印象も持っていなかった。某お菓子や、昔の某損害保険の広告イラストのイメージが先行していたせいかもしれない。しかし動物園で実物を目にすると、仕草も相まって実にかわいらしい(写真17)。特に写真18のコアラは美形で、ぬいぐるみでもこれを超えるのは難しいのではないか。別の1頭が注射を打たれていたが、逃げようとしたり、イヤイヤという仕草を見せたりと、その様子もまた愛らしかった。

【写真17】寝るコアラ
(出典:筆者家族撮影)

【写真18】美形コアラ
(出典:筆者家族撮影)
おわりに
ポイントを絞って余裕のある旅行にするつもりだったが、振り返ってみると短期間の割には結構あちこち巡っていた(結果的に史跡も多くなった)。とはいえ、広大で多様性に富むオーストラリアの中ではごく一部を垣間見たにすぎない。他の地域や都市も含め、ぜひ再訪してみたい。子どもにも感想を聞いてみたところ、「シドニーはまた行きたい。芝生(シドニー大学、写真20)でごろごろしたのとホテルのプールが楽しかった。ウルルはもういいかな」とのことだった。まあそんなものだろうが、今回のオーストラリア旅行の記憶は多少は残ったようで、親としてはそれで十分である。
[1] https://uluru.gov.au/discover/culture/stories/
[2] https://www.bbc.com/japanese/articles/cd0z10d224xo
[3] 2023年国民投票について、鶴岡路人「オーストラリア憲法改正国民投票の否決から日本は何を学ぶか」https://www.spf.org/iina/articles/tsuruoka_22.html
※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。
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