欧州「AI大陸行動計画」が示すパラダイムシフト ―規制から成長支援へと軸足を移すEUの戦略―

欧州委員会が2025年4月9日に発表した「AI大陸行動計画」は、EUのAI戦略における重要な転換点として注目されます。この計画は、AI分野で欧州が世界的リーダーとなることを目指した包括的な行動計画であり、従来の規制重視のアプローチから具体的な成長支援と競争力強化へと軸足を移した内容となっているためです。
戦略移行の背景
この変化には、複数の要因が複合的に作用していると考えられます。
まず、地政学的な背景として、第1期トランプ政権下では、NATO防衛費負担の圧力、EUのデジタル課税政策への介入、同盟国へのHuawei排除要請など、米国優先主義的な政策が展開されました。こうした動きにより、欧州は米国依存のリスクを強く認識させられることになりました。
第2期政権においてもその傾向は続いており、欧州のAI法をめぐっては米国政府がEUに対し、規制の撤回を求める書簡を送付していたことが4月末に報じられるなど、AI規制をめぐる米欧間の緊張が高まっています。さらに、ウクライナ支援をはじめとした安全保障政策においても、米欧間の温度差が依然として存在しており、欧州は対米関係の戦略的見直しを余儀なくされています。
加えて、より深刻な課題は、AI分野における競争力の格差です。スタンフォード大学の「2025 AI Index Report」によると、2024年の注目すべきAIモデル開発数は米国40、中国15に対し、欧州はわずか3でした[1]。カーネギー国際平和財団の報告では、2023年のAI分野のベンチャーキャピタル投資も米国680億ドル、中国150億ドルに対し、EUは80億ドルと、顕著な差があると指摘されています[2]。
欧州域内の通信事業者からも危機感が示されています。2025年3月のMWCバルセロナでは、スペインの大手通信事業者TelefónicaのムルトラCEOが、GAFAなど米国のハイパースケーラーの影響力拡大を念頭に、テクノロジー・メディア・通信(TMT)業界における過度な規制、業界の断片化、収益性の低さが、欧州の技術的な立ち遅れを招いているとの懸念を示しました。
こうした産業界の危機感は、政治レベルでも共有されています。フランスのマクロン大統領は、2025年2月に行われたCNNのインタビューで、欧州はAI競争に参加できていないとの認識を示し、AI政策の強化とともに、規制の簡素化や投資環境の整備の必要性を強調しました[3]。
このような多層的な文脈の中で、欧州は他国への技術的な依存を減らす「戦略的自律性(Strategic Autonomy)」の確保を重要な目標として掲げるようになっています。今回のAI大陸行動計画も、そうした方向性の中で理解することができます。
欧州AI政策の変遷
欧州のAI政策の歩みを振り返ると、2018年のAI戦略方針の発表以降、2024年のAI法(AI Act)施行に至るまで、一貫して倫理的・法的枠組みの整備に重きが置かれてきました。これらの取り組みは、「信頼できるAI」の実現に向けて重要な意義を持つものですが、一方で、産業支援や技術インフラの整備は相対的に後回しにされてきた面も否定できません。
年月 | 政策/イニシアチブ | 概要 |
---|---|---|
2018年4月 | 欧州AI戦略方針の発表 | 倫理的・法的枠組みの整備の必要性等を提起 |
2019年4月 | AI倫理ガイドラインの発表 | AI開発に係る7つの倫理的要件を提示 |
2020年2月 | AI白書の発表 | AIの"信頼性"と"卓越性"に係る政策方向を提示 |
2024年8月 | AI法(AI Act)の発効 | AIをリスク別に分別管理する世界初の法律 |
2025年2月 | InvestAIの発表 | AI投資に総額2,000億ユーロを動員と発表< |
2025年4月 | AI大陸行動計画の発表 | 以下「行動計画の5本柱」参照 |
行動計画の5本柱
今回のAI大陸行動計画では、AI分野において米国や中国が先行している現状を踏まえ、EUが国際的な競争力を高めるために、以下の5つの重点施策が打ち出されています。これらの施策は、AIインフラの大規模な拡充、産業分野への実装、人材育成など、多角的な観点からAIエコシステム全体を体系的に強化しようとする取り組みとなっています。
次世代AIコンピューティング基盤の構築 | AIチップ10万個を搭載する「AIギガファクトリー」を域内最大5か所に整備し、200億ユーロを投資。データセンター容量を5~7年で3倍に拡張。 |
---|---|
高品質データの整備と共有 | 「AIファクトリー」にデータラボを設け、信頼性の高いデータを整備。研究者や企業にAI学習・検証環境を提供する。 |
戦略分野でのAI活用推進 | 先進製造、航空宇宙、防衛、エネルギー、自動車、製薬での「apply AI戦略」を策定。AIファクトリーや欧州デジタル・イノベーション拠点との連携を推進。 |
AI人材とスキルの育成 | AI専門人材の育成とEU域外からの優秀人材受け入れを強化。 |
AI法の履行と企業支援 | 「AI法サービスデスク」を設置し、特に中小企業の規制対応負担を軽減。 |
戦略的機会と展望
今回の計画では、エネルギー効率性や環境負荷軽減が重要要件として位置づけられており、今後、域内に分散したAIファクトリーやデータセンター間の効率的な相互接続が不可欠になると考えられます。
この点において、日本の通信業界にとっても今後の展開次第では関与の余地がある政策かもしれません。AIの高度化に伴う通信トラフィックの急増や、それに比例したエネルギー消費の拡大が確実に予想される中で、たとえばNTTが開発を進めるIOWNに代表される省エネルギーかつ超低遅延な光ネットワーク技術は、欧州が志向する持続可能なAIインフラ構築との親和性が高いと考えられます。
いずれにせよ、こうしたEUの戦略転換は、グローバルなAI競争における新たな局面の到来を示すものです。今回のアプローチが今後どのような具体的成果を生み出していくのか、引き続き注視していく必要がありそうです。
[1] https://hai.stanford.edu/ai-index/2025-ai-index-report
[2] https://carnegieendowment.org/research/2025/05/the-eus-ai-power-play-between-deregulation-and-innovation?lang=en
[3] https://www.cnn.co.jp/world/35229256.html
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池田 泰久 (Yasuhisa Ikeda)の記事
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