2024.3.28 イベントレポート InfoCom T&S World Trend Report

Samsung:ベールを脱ぎ始めた新ウェアラブルデバイスの可能性とその戦略 ~MWC2024を訪れて~

【写真1】MWC会場の入り口に掲げられたSamsungの大量ののぼり旗(出典:文中掲載の写真はすべて筆者撮影)

「SAMSUNG Galaxy」「Galaxy AI is here」――。

【写真2】MWC会場の入り口に掲げられたSamsungの大量ののぼり旗

【写真2】MWC会場の入り口に掲げられたSamsungの大量ののぼり旗

熱気と興奮を帯びた乗客ですし詰めの車両の中は、様々な言語が飛び交っていた。バルセロナの地下鉄Europa Fira駅で一斉に降り立った人波にもまれながら、歩いて程なく会場のGran Via展示場に辿り着くと、入り口には、スポンサーのSamsungが掲げた白いのぼり旗が無数にたなびいていた(写真1、2)。

会場の隣には、日本人建築家の伊東豊雄氏が設計を手掛けた印象的なツインタワーがそびえている。その前の環状交差点内にも、Galaxy Book 4シリーズの巨大広告と並んで冒頭のメッセージが掲げられており、自然と目に飛び込んでくる(写真3)。

写真3】会場前の環状交差点内のスペースに設置されたSamsungの巨大広告

【写真3】会場前の環状交差点内のスペースに設置されたSamsungの巨大広告

2月26日から29日にかけて、バルセロナで世界最大級のモバイル関連機器の見本市である「MWC Barcelona 2024」が開催された。世界中の移動体通信事業者や関連企業からなる業界団体である主催のGSMAによれば、出展・協賛企業は2,700を数え、205の国や地域から10万1,000人以上が来場した。これは前年の約8万8,000人を大きく上回り、10万人以上の来場者を迎えていたコロナ禍前の水準にすっかり戻った形だ。東京ドーム約5.5個分に相当する広大な全8ホールは展示ブースで埋め尽くされており、どこも自社が誇る先端技術をアピールするなど活気に満ちていた。

Samsungは例年どおり、一等地とも言えるホール3の中央スペースに数十メートル幅の広さで展示ブースを構え、天井から冒頭のメッセージをいくつも掲げていた。今回MWCの会場で、特に一過性のブームとは言い切れない程に注目を集めていたのが、進化著しいAIを活用した先端技術の数々だ。同社は「Galaxy AI」を搭載した最新スマートフォンである、Galaxy S24シリーズの体験コーナーを前面に打ち出し、多くの来場者を呼び込んでいた(写真4)。ただ、その背後に位置する形で、より多くの衆目を集めていたのが、まるでジュエリーショップのショーケースのように実機を並べた、同社の新たなウェアラブルデバイスである「Galaxy Ring」だ。これは今回のMWCで初めて公開されたものだ(写真5)。

【写真4】Samsungの展示ブースの様子

【写真4】Samsungの展示ブースの様子

【写真5】Galaxy Ringの展示スペース

【写真5】Galaxy Ringの展示スペース

説明員の女性によると、詳細は分からないと言葉を重ねつつも、この同社初となるスマートリングについて「サイズは男女兼用で9種、色はゴールド、シルバー、ブラックの3色が用意されており、販売地域は不明であるものの販売開始時期は2024年内が想定され、その機能はSamsungのエコシステムに組み込まれる」とのことであった。撮影に群がる来場者の合間を縫って顔を近づけ、リングの内側を覗いてみると、生体センサーと思われる複数の突起のようなものが見えた(写真6)。

【写真6】初めて公開されたGalaxy Ringの実機

【写真6】初めて公開されたGalaxy Ringの実機

価格やリリース日、バッテリーの持ちなど具体的な性能や機能はベールに包まれている。だが、この展示ケースの背面の白い壁に記された「AI Health」に続く「Everyday wellness powered by Galaxy AI(ギャラクシーAIによる日々のウェルネス)」のメッセージから、同社のAI機能と統合させたデジタルヘルスケア商品として、現状は位置付けられているということが明らかになった。ただ、同社はなぜこのタイミングで、この新たな指輪型の端末を市場に投入するのだろうか。狙いはどこにあり、それは果たして受け入れられるのだろうか。

<健康志向のユーザーの選択肢を増やす>

その答えの一つは、Samsungのデジタルヘルス部門責任者であるHon Pak氏がメディアの取材で明らかにしている。同社は既に、心拍数、睡眠パターン、活動量などのトラッキング機能を実装させたGalaxy Watchシリーズを世界展開している。しかし、今回のMWCが開幕した2月26日付の米メディアCNBCの記事において、同氏は「我々の顧客は選択肢が欲しいと言った。腕時計を身に着けたい人もいれば、腕時計と指輪の両方を身に着け、その両方から恩恵を得たいと考える人もいる。逆にもっとシンプルにしたい人もいる」と説明し、スマートリング市場への参入を決めたのは、顧客の声による後押しであったとしている。こうした機能を備えた腕時計型のウェアラブルデバイスは、Apple WatchやGoogleのFitbit等を含め、数多く展開されているが、健康志向のユーザーからは常時装着の煩わしさや負担がより少ない、別のデバイスを求めるニーズが高まっているのは確かなのであろう。現に、Pak氏は同じく26日付でSamsungの公式ニュースルーム上に掲載した、自身の論説文「デジタルヘルスのジレンマを解決する:Samsungのインテリジェント・ヘルス・プラットフォームのビジョン」において、Galaxy Ringの写真を付しつつ、「(このリングは)24時間365日、快適な装着を可能にする最小の形にした」と説明している。

ただ、スマートリング市場は既にブルーオーシャンとは言い切れないのも事実だ。特に健康管理機能を搭載したデバイスという観点に絞れば、単純にアクセサリーとしてのリング(指輪)市場を見た場合と同様に、まさにレッドオーシャンかもしれない。Industry Insiders社(印)がLinkedin上で一部公開しているレポート(2023年10月31日付)によれば、この市場の規模は2022年の2億3,298万米ドルから2028年には約5倍の11億4554万米ドルへと大幅に拡大していくことが予測されており、これは他の調査会社も概ね同様の見通しを示している。この市場ではGalaxy Ringと同様の健康管理機能を備えた、フィンランド企業によるOura Ringが先行しているが、その他にもスマートフォンからの通知機能や非接触式決済などの機能を備えた多種多様な製品が展開されている。また、Appleも独自のスマートリングを開発しているとの報道も見られる。その中でSamsungが、確かにそのブランド力や技術力、製品エコシステムに対するユーザー側の一定の信頼を勝ち得ているとしても、この新たな市場でシェアを獲得していくには、他のスマートリング製品との差別化を図り、何らかの独自機能や付加価値を提供していく必要があるだろう。これは新製品の開発における一般的な課題であり、Samsungも例外ではない。

【写真(参考)】バルセロナ市内中心地の カタルーニャ広場に面したビルに掲げられたSamsung S24の広告

【写真(参考)】バルセロナ市内中心地の
カタルーニャ広場に面したビルに掲げられたSamsung S24の広告

【写真(参考)】MWC開催前日、カタルーニャ広場に設けられたSamsungのサテライト展示場では、 プロモーションイベントとして、地元FCバルセロナの著名サッカー選手を招いて市民との交流イベントが行われていた

【写真(参考)】MWC開催前日、カタルーニャ広場に設けられたSamsungのサテライト展示場では、
プロモーションイベントとして、地元FCバルセロナの著名サッカー選手を招いて市民との交流イベントが行われていた

【写真(参考)】MWC開催期間中、Samsungの広告がバルセロナ市内の至るところで見かけられた

【写真(参考)】MWC開催期間中、Samsungの広告がバルセロナ市内の至るところで見かけられた

<付加価値高める多様な機能を実装する可能性>

この点に関連して、Hon Pak氏は上述の米メディアに対し、Galaxy RingをGalaxy Watchと併用した場合には、ユーザーが自身の健康に関する様々な洞察をより深く得られるようになるとしている他、「様々なユースケースを検討していることは確かである」とも述べている。また、同氏は上述の論説文において、中程度から重度の睡眠時無呼吸症候群の兆候を検出できる機能の許認可を、管理当局である米国食品医薬品局(FDA)から最近取得したとしており、良質な睡眠の確保こそが健康的な生活につながるとの観点を強調している。さらに、パートナー企業と連携し、高度なセンサー技術を通じて収集したユーザー各個人の睡眠に関する情報を、実世界での具体的なソリューションやサービスにつなげていくことが重要としている。具体的には、休息に理想的な睡眠温度を微調整できるスマートマットレスで、より最適な睡眠環境を作るといったアイデアが練られている。

同氏はこの他、非接触型決済機能に加えて、血圧測定や非侵襲型の血糖測定機能の搭載に取り組んでいると述べている。例えば糖尿病については、国際糖尿病連合(IDF)によると、都市化や高齢化、身体活動レベルの低下や肥満の増加等に伴い、世界で約5億4,000万人の患者がいるとされる。その数は2045年までに、成人8人に1人の割合となる約7億8,300万人にまで増加すると予測されている。採血の痛みや手間が伴わない、こうした血糖測定機能が常用の小型デバイスに実装されれば、これまでウェアラブルデバイスを着けてこなかった潜在的なユーザーのニーズを捉え、大きくシェアを伸ばせる可能性がある。ただし、この技術について管理当局のFDAが、単独で血糖値を測定または推定することを意図したスマートウォッチやスマートリングを認可・承認したケースは現状なく、不正確な測定結果により糖尿病のコントロールに重大な過誤を招く可能性があると、2月21日付文書で念入りに警告している点は考慮しなくてはならない。既に、こうした測定機能を搭載していると謳われる一部のデバイスが市場に出回り、医療現場等で混乱が生じていることが背景にあると考えられる。しかし、Samsungとしては、数値測定に対する一定の精度を担保する形で、この先端技術の開発を進め、規制当局からの許認可を他社に先駆けて取得したいと考えているはずである。

<AIと連動した個別の健康アドバイスも>

Samsungはこうしたユーザーの健康状況に関する情報を精度よく収集し、健康改善に向けて個別にカスタマイズしたアドバイスを、タイミング良くユーザーへ提供していくことを目指しているが、その鍵の一つとなるのが同社のAI機能となるようだ。Pak氏は上述の論説文に「デジタルヘルスのジレンマを解決する」とのタイトルを掲げている。このヘルスケア業界が直面している課題の一つは、様々なデバイスを通じて断片的に収集された個人の健康情報を統一のプラットフォームで、いかに効率良く集約し、より深い分析と洞察を加えてユーザーへフィードバックできるかという点にある。Pak氏自身の言葉を借りれば、「散在する健康データを統合してウェルネスを簡素化し、AIの変革力でデータを意味のある洞察に変えていく」ということである。

現状では、Galaxy Watchが収集した個人の健康情報は同社の専用スマートフォンアプリのSamsung Health上に反映・管理されている。今後はGalaxy Ringを含めて複合的に集められた個別の健康情報が、端末上のGalaxy AIにより分析され、ユーザーのその時の状況を捉えながら能動的に提供されていく可能性が考えられる。Pak氏自身もモバイル・デバイスはAIの主要なアクセスポイントになっていくと述べている。

今回、筆者もMWCのSamsungブースでAI機能が搭載されたスマートフォン端末のS24シリーズを実際に触ってみたが、その機能としては現状、リアルタイム翻訳や文章の要約、写真編集や気になる画像を丸で囲って対象を検索するといった、一般のコミュニケーションをより便利にさせるものに留まっているようであった。ただ、Samsungが大量ののぼり旗を掲げてアピールした「Galaxy AIはここにある」の真意を捉えるならば、Galaxy Ringは、Galaxy AIが担える機能を、今後、より発展させたうえで、S24シリーズを始めとしたAI実装のモバイル・デバイスと有機的に連動していくことが、最大のシナジーを発揮することにつながると同社が考えるのは自然であろう。

<広がる可能性>

健康という最も機微な個人情報を取り扱うセキュリティ面に関しても、同社は少なくとも、Samsung Knoxセキュリティ・プラットフォームと呼ばれる、各端末上に実装した防御メカニズムにより安全は守られているとしている。クラウド上ではなく、今回のMWCでもトレンドが明らかであった、端末上に実装させたAIが内部に蓄積された情報を活用し、各ユーザーに対し、カスタマイズしたサービスを従来では実現できなかった水準で提供していくことができるならば、これは独自の価値となるだろう。同時にこうしたプライバシー面への配慮に限らず、端末上のAIがローカルで処理するならば、オフラインでの利用や高速な情報処理、レスポンス、エネルギー効率の向上なども見込むことができる。

端末へのAI実装の観点では、米国のスタートアップHumaneが会場で小型のピンタイプデバイスを紹介していた。これは手のひらや近くの平面に情報を投影できるプロジェクターを備えたもので、操作自体も音声やジェスチャーで可能なこともあり、来場者の大きな注目を集めていた(写真7)。

【写真7】会場で注目を集めていたHumaneのAI実装小型デバイス「Ai Pin」のデモンストレーション

写真7】会場で注目を集めていたHumaneのAI実装小型デバイス「Ai Pin」のデモンストレーション

アメリカン・コミックスの『グリーン・ランタン』の主人公が身に着けて、特別な力を発揮していた「パワーリング」[1]ではないが、将来、スマートリング自体にAIが実装され、こうした直接的なアウトプット機能が提供されていくならば、より便利で広範なユースケースが想定できるだろう。そもそもSamsungは以前より、スマートホーム製品を専用アプリ「SmartThings」で一括管理・操作ができるサービスを展開するなど、ユーザーの生活環境全体を取り込む戦略を取ってきたが、今回のスマートリングもその大きな流れの一環と捉えられるかもしれない。

ともかく、AIとは端的に言えば何かを考えるためのツールである。ただ、より肝心なのは、その考えるための材料となるデータをいかに集めるかという点にある。この点において、他社がAIそのものの能力を披露する向きがある中で、SamsungがAIを汎用的なインテリジェンス機能と位置付けて、それに必要なデータを効率よく集められる装置として現状スマートリングにこれを求めたのは、理に叶った戦略と言えるだろう。いずれにせよ、Galaxy Ringの詳細は公になっておらず、今後の発表を待つ必要があるが、早ければ、今年7~8月に想定されている同社の新製品発表イベントGalaxy Unpackedでリリース日が発表される可能性がある。

最後に余談であるが、Samsungの展示ブースでGalaxy Ringの説明を担当していた冒頭の女性に、このGalaxy Ringの中から一つをプレゼントしてもらえるとしたら、どれが欲しいと思うかと興味本位で尋ねてみたところ、ブラックとの答えがすぐに返ってきた。「シルバーやゴールドは結婚指輪の色だから」との理由で、特別な機能を有した日常使いのファッションリングとして「クラシックなブラック」に惹かれるとのことだった。本稿では、同社のマーケティング面に関する動向までは考察が及ばなかったが、国や文化、個人の嗜好は様々なため、説明員の女性のさりげない言葉の一つに販売戦略の難しさの一端を垣間見た気持ちであった。

[1]グリーン・ランタンは宇宙全域を守る超警察機構に所属する隊員の総称。各隊員には着用者の意志を具現化する指輪「パワーリング」が与えられ、攻撃用ビームや防御用バリアーを作り出すことができる他、飛行能力や言語翻訳機能等を備えている。

※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。

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