映像コンテンツ制作における5Gの可能性

はじめに
様々な産業において5G活用に向けた検討や実証実験が世界的に進められているが、それは映像コンテンツ制作の分野でも同様である。特に欧州では放送事業者が機器・設備メーカーや通信キャリアとともに5Gを業務に活用する検討を進めており、モバイル通信規格の標準化活動への関心も高い。そこで本稿では、欧州における映像コンテンツ制作分野での5G活用について、最近の事例を2つ取り上げ、その動向を紹介したい。
事例1:5Gリモートプロダクション
「5Gリモートプロダクション」は、ライブイベント会場から離れたスタジオから映像コンテンツ制作を5G経由で行う試みで、2020年9月にオランダ・アムステルダム等で実施された。9月のアムステルダムは、国際的な放送機器サービス展示会「IBC」が開催されて放送業界関係者で賑わうが、2020年は新型コロナウイルス感染症の影響により対面での展示会は開催が見送られた。代わりとしてオンラインイベントが開催され、その中でIBCアクセラレータープログラムのひとつ「5Gリモートプロダクション」のデモンストレーションが実施された。
デモンストレーションでは、アムステルダム運河の客船ステージでアーティストが演奏する様子を複数のAI対応カメラ等で撮影し、その映像を通信キャリアVodafoneの5Gネットワーク経由でリアルタイムに伝送して、英国・ロンドンの編集スタジオでリモートプロダクションする試みが行われた(図1、図2)。カメラの他に、客船に設置されたステージ照明、客船を上空から撮影するドローンの撮影機器も5Gで接続された。客船のような陸上から離れたイベントステージや飛行するドローンからの映像を用いたコンテンツ制作はまさに5Gが力を発揮する領域と言え、これまで視聴者に届けられなかった映像をリアルタイムに届けられる可能性を感じさせるものだった。
この「5Gリモートプロダクション」は英国公共放送BBCをプロジェクトリーダーに多くの放送関連組織が参加して実施されており、放送業界の5Gへの関心の高さをうかがうことができる。

【図1】「5Gリモートプロダクション」が行われた客船(アムステルダム)
(出典:IBC動画よりキャプチャー)

【図2】「5Gリモートプロダクション」の構成(点線内:客船ステージ関連部分)
(出典:IBC動画のキャプチャーに筆者追記)

【表1】「5Gリモートプロダクション」参加組織
(出典:IBC)
事例2:5G-RECORDS
「5G-RECORDS」は、プロフェッショナルのコンテンツ制作環境における5G活用の可能性を検証するプロジェクトだ。2014~2020年にわたる全欧州規模の研究およびイノベーションを促進するためのフレームワークプログラム「ホライゾン2020」の最終段階として採択されたプロジェクトのひとつであり、2020年9月から2022年8月までの24カ月間、総額約7.5百万ユーロの予算で実施される[1]。本プロジェクトは、プロフェッショナル環境での活用に向けた5Gの技術的改善点を明らかにすることを視野に入れており、検証結果をもとに、モバイル通信規格の国際標準化団体3GPPにおける標準化活動への提案も計画されている。また、欧州における新しいマーケットやマーケットプレイヤーの登場を支援することも目的とされる。プロジェクト参加組織を表2に示す。

【表2】「5G-RECORDS」参加組織
(出典:5G-RECORDS)
本プロジェクトでは3つのユースケースが計画されている。当然ながらそれぞれ注目すべきポイントがあり、以下で順に取り上げていきたい。
①ライブ・オーディオ・プロダクション
「ライブ・オーディオ・プロダクション」は、ライブイベント等で用いられるマイクやイン・イヤー・モニター[2]の無線接続に5Gを活用することを検討するものだ(図3)。欧州ではこれら番組制作・イベント向けの機器はPMSE(Programme Making and Special Events)機器と呼ばれる[3]。ドイツの有名オーディオメーカーSennheiserによると、現在PMSE機器は各メーカー独自の無線技術に基づいて作られているが、5Gは番組制作・イベントにおける要求条件を満たす可能性のあるモバイル通信規格だという[4]。本ユースケースでは、既に標準化されている3GPP規格(リリース15/16)に加えて、今後の標準化が予定されている規格(リリース17)のプロトタイプをオーディオ機器に用いることも計画されている[5]。本ユースケースにおける主な要求条件を表3に示す。

【図3】「ライブ・オーディオ・プロダクション」のイメージ
(出典:5G-RECORDS)
Sennheiserによると、モバイル通信規格やIT技術をPMSE機器に適用することで、インターフェースのシンプル化や機器セットアップの簡便化といった現場スタッフの負担低減に加えて、オーディオ領域における新たなサービス提供の可能性も期待されるという4。
②マルチカメラ・ワイヤレス・スタジオ
「マルチカメラ・ワイヤレス・スタジオ」は、プロフェッショナル環境での映像コンテンツ制作において、カメラの無線接続に5Gを用いることを検討するものだ(図4)。本ユースケースでは屋内(スタジオ)と屋外の2つのシナリオが想定されている。屋内シナリオでは、5台程度のカメラを用いて、IPベースの放送システムと5Gの統合を模索する。屋外シナリオでは、単一ソースのカメラ映像の伝送において既に実用化されているボンディングソリューション[6]をどのようにして超えていくことができるのか模索する。本ユースケースでは、5G規格と放送IP規格(SMPTE ST 2110)を変換する「5G – ST 2110ゲートウェイ」を開発し活用する計画だ。本ユースケースにおける主な要求条件を表4に示す。

【図4】「マルチカメラ・ワイヤレス・スタジオ」のイメージ
(出典:5G-RECORDS)
映像コンテンツ制作での活用に向けた5Gの性能向上に関しては、リリース17をターゲットとする提案がEricssonより3GPPに提出されている[7]。本ユースケースの取組みによりシンプルでオペレーションのしやすい映像コンテンツ制作環境を構築できるようになれば、品質の高い様々なコンテンツを従来よりも低いコストで視聴者に届けられる可能性があるだろう。
③ライブ・イマーシブ・メディア
「ライブ・イマーシブ・メディア」は、スポーツやライブイベント等において、リアルタイムの自由視点映像(Free Viewpoint Video : FVV)を制作・配信するインフラに5Gを活用することを検討するものだ。競技コートやステージを取り囲むように設置されたカメラからの映像は、高速通信を実現しやすい高い周波数帯(いわゆる「ミリ波」)の5Gを活用してエッジクラウドに伝送され、コンテンツ制作がなされたのち、会場内のユーザー端末に5G経由で配信される計画となっている(図5)。ユーザーが好きな角度からコンテンツを視聴できる自由視点映像は既に様々なサービスで利用され始めているが、多くの場合は有線接続されたカメラが固定的に配置されるFVVシステムとなる。本ユースケースは、5Gの高速な無線接続という特性を生かし、可搬型のFVVシステムが設置費用を低減し、高い柔軟性を備えることを期待するものだ。本ユースケースの主な要求条件を表5に示す。
5Gの今後の性能向上によって可搬型FVVシステムが実現すれば、従来よりも多様なイベントを自由視点で楽しめるようになる可能性がある。

【図5】「ライブ・イマーシブ・メディア」のイメージ
(出典:5G-RECORDS)
おわりに
これら2つの事例に見られるように、5Gは今後の性能向上も含め、映像コンテンツ制作を高度化する可能性を秘めている。また、通信キャリア等におけるクラウド領域の取組みの進展[8]により、映像コンテンツ制作のためのコンピュートリソースを5Gと親和性高く利用できるようになるだろう。映像コンテンツ制作に必要な設備環境が変化するなかで、どのような新しいユーザー体験やワークフローが登場するか、国内外の動向に引き続き注目したい。
[1] https://cordis.europa.eu/project/id/957102
[2] In-Ear Monitor (IEM)。アーティストはマイクが拾った自分の声や楽器の演奏などを適切な音量とバランスで聞くことができる。通称、イヤモニ。
[3] 日本では「特定ラジオマイク」など。
[4] Sennheiser “Audio PMSE and 5G” (2020.5)
[5] 5G-RECORDS Presentation (2021.2)
[6] 複数のSIMカードと専用の伝送機材を用い、モバイル回線を複数束ねた大容量の伝送ネットワークを仮想的に構築することにより、モバイル回線経由でカメラ映像を伝送するソリューション。ベストエフォートのモバイル回線を用いる場合、他ユーザーのトラフィックでネットワークが混雑していると期待する品質を得られない場合がある。
[7] Study Item “Study on Media Production over 5G NPN” (Ericsson)
[8] 例えば、ソフトバンクはパナソニックの社内分社であるコネクティッドソリューションズとともに、ソフトバンクのモバイルネットワークに接続されたクラウド(ソフトバンクデータセンター)上で映像コンテンツ制作を実施できるシステムを共同開発したことを発表している(2020年12月23日)。
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