ただ、この1年の生活で改めて感じたことは私達の生活は折々の季節を肌に感じながら、いろいろな催事やイベント、出合いや付き合いの中で季節感を味わって過しているということです。毎年の祭りやスポーツイベントなどを始め、学校の運動会や文化祭、会社の人事異動に伴う歓送迎会や忘年会、企業・学校などのOB会といった社会全体から個人的なものまでその時々に集まって語らい感じ合う場が設けられて共有してきたことがコロナ禍でほとんどなくなってしまいました。その結果“恒例の○○”と名付けた会合が中止となり、毎年顔を合わせてきた友人・知人とも会えなくなり寂しい1年間となっています。シニアにとっては正直、今の季節はあと何回過せるのか、この人ともいつまで会って話ができるのかと、ふと感じることが多くありますので本当に悔しく寂しい限りです。自然の中で季節を味わうだけでなく、年を取るに従って人との接触によって季節を感ずるようになっています。親しい友人とも会えなくなり、お互い愚痴を言え(聞け)なくなって身辺の出来事も分からなくなってしまいます。日々に疎しの状態です。人とも会わず外出する機会が減ると途端に運動不足にも陥りますので、精神面だけでなく肉体的にも健康維持に支障が出るので要注意です。私達の日常生活は個人的にも社会的にも季節感に彩られていることがよく分かったこの1年でした。失われた季節感の後遺症が心配になります。何か社会的な健康管理(維持)政策を今から考えておく必要があるのではないかと思います。コロナ禍が収束すれば直ちに日常が復活するとはならないかも知れません。
私達日本人の生活では季節感がいかに大切なのかを改めて思い知った1年でしたが、新型コロナ感染症はまだまだ続きそうなので季節感を少しでも取り戻したいと考えて、半年前から俳句の真似事を始めました。私自身、文章を書くことは苦ではなく長く書く説明などいわゆる散文には慣れていますが、短くまとめる俳句などの韻文はまったく不得手なので真似事程度でもよいから挑戦してみようと思い立った次第です。その背景には季語という厳格な季節性を求める俳句によって季節感を取り戻して少しでも残りの人生を味わい深いものとしたいということがあります。季節感の喪失はシニア世代にとっては季節の移り変わりを感じることができる回数が減ってくるだけに本当に寂しいものです。特に自然の移ろいは変わらず巡って来る一方で、人の賑わい、人の集まり、人との語らい、気の置けない人との会合など人との接触に基づく時の変化=季節感は何にも換え難いものであることが本当によく分かりました。この感覚はシニア世代にとってはとても寂しく切実です。若い人達にとってもコロナ禍は大変な試練であると思いますが、まだ先の人生が長いので変化が期待できるでしょう。しかし、シニア世代では先のことではなく今のことが一層大切になります。なかでも毎年繰り返す季節感、とりわけ人との交わりこそ大切なものなのです。
昨年はNTTやドコモなどのOB関連の各種行事が中止・延期になり多くの人達とも全然会えていません。また、NTT入社50年記念パーティーが中止・延期となったのを始め、高等学校卒業の同期会も中止となり寂しい1年でした。その他にも40年以上続いている大蔵省・金融庁出向者の集まりや親しい友人達とのゴルフ会・飲み会も皆中止となりました。残念です。それに変わってZoomを使っての打合せが増えていますが恒例とまでは言えず季節感を伴うことはありません。この点ではICT、情報通信の貢献はまだまだです。情報通信によって人生のなかの季節感を生み出すことができれば何よりです。この種の新サービスを期待したいです。そして俳句の季語に取り入れられたら最高なのですが…。
最後に、この風見鶏の投稿も残りあと1回、3月をもって最終にしたいと思っています。季節感とともに話題の種もなくなりそうなので潮時です。
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