再始動した米国で未来を見つめるスタートアップたち

1.はじめに
メキシコ人にとっては桜のような存在のジャカランダの花びらが地面を紫に染める。シリコンバレーのあたりでは、ジャカランダは6月上旬から咲き始め、7月上旬の花が散る頃に本格的な夏がやってくる。

【写真1】ジャカランダの写真
(出典:筆者撮影)
米国は新型コロナのワクチン接種が順調に進み、7月11日の時点で接種対象者の48.5%の人が2回のワクチン接種を完了している。各州のワクチン接種率を見ると、全国平均を上回っている州は例外なく2020年の大統領選で民主党が議席を確保した州だ。ただ、接種が一番進んでいる州と一番遅れている州では2倍近い差がある。また、ワクチン接種率が6月頃から鈍化しているという話もある。各州でワクチンを接種した人に懸賞を出すなどの工夫がされているが、接種率をあげるためのより一層の工夫が必要だろう。
それでもカリフォルニア州などでは店内でのマスク着用など一定の制限は残るものの、経済再開の宣言がされた。オフィス再開を9月末としていたGoogle社は予定を前倒しして、7月12日にオフィスを開けた。
満を持して、経済の再開を待ち侘びていたスタートアップたちが、シリコンバレーで著名なPlug and Play Tech Center(以下、「PNP」)社のPNP Summer Summit 2021に参加した。本稿では、PNP Summer Summit 2021にて発表があったスタートアップおよび企業の活動から、今後のトレンドについて考察する。

【図1】米国のワクチン接種状況
(出典:Google社)
2.PNP社とは
PNP社は、シリコンバレーで有名なベンチャーキャピタル兼アクセラレーターで、19のカテゴリーにおいて、スタートアップ投資やスタートアップ支援を行っている。PNP社は、創業間もないGoogle社やPayPal社などを支援していたことでも有名である。さらに、PNP社はスタートアップだけでなく、イノベーション活動に積極的な企業も支援していて、シリコンバレーの他、東京、京都、大阪を含めた世界の40カ所以上の活動拠点で、NTTコミュニケーションズなど、のべ500社以上の企業のイノベーション活動を支援している。
3.PNP Summer Summit 2021とは
PNP社はスタートアップおよび、企業のイノベーション活動に関するイベントを頻繁に開催している。その中で"Summit(サミット)"と呼ばれるものが一番規模が大きく、1年間に4回開催される。サミットでは様々なカテゴリーのスタートアップが自社のサービスをアピールするピッチや、企業のイノベーション担当者や起業家による基調講演を聴くことができるため、将来の成長が期待できるサービスや技術をいち早く入手できる他、シリコンバレー流の成功体験を学ぶ絶好の機会となっている。
PNP Summer Summit 2021では、6月14日からの4日間でEnterprise Tech、Health、InsurTech、FinTechに関するスタートアップピッチ、基調講演が行われ、6月21日からの4日間でIoT、Real Estate & Construction、Energy、Mobility、Travel & Hospitalityに関する154社のスタートアップピッチ、基調講演が行われた。
PNP社のオフィスは再開しているが、今回も新型コロナの感染拡大防止の観点でSummer Summit 2021もAll Virtualで開催された。PNP社もベストな場を提供するためにサミットで利用するプラットフォームについて試行錯誤している。PNP Summer Summit 2021では、イベントの概要、アジェンダ、スタートアップ情報、参加者同士のコミュニケーション、ビデオストリーミングがAll-in-OneになったAddendify社のプラットフォームが採用された。なお、Attendify社はSummer Summit 2021終了後、Hopin社に買収された。

【図2】PNP Summer Summit 2021のタイトル
(出典:PNP社)

【写真2】PNP社の本社
(出典:筆者撮影
4.基調講演
各プログラムにおいては、スタートアップピッチに先立って、基調講演、パネルディスカッションが行われた。ここでは、多くの企業が動向を注目している5GとIoTの基調講演、そして新型コロナで大打撃を受けた旅行業界に関するパネルディスカッションについて紹介する。

【図3】PNP Summer Summit 2021のプログラム
(出典:PNP社の資料をもとに筆者が編集)

【図4】Attendifyを利用したPNP Summer Summit 2021のバーチャル環境
(出典:PNP社)
(1)5G
5Gについては、Enterprise Techに登場したDeloitte社のPrincipalであるWendy Frank氏の基調講演の内容を紹介する。
5Gは高速・低遅延でアクセス手段を問わず、膨大な量のデータを送受信できるようになった。それにより、従来は中央集権的な垂直統合型が一般的であった企業システムのアーキテクチャーを分散型アーキテクチャーへと進化させることが可能となった。
デバイスや拠点が増えても同時に別々のルートで通信できることが5Gの分散化のメリットの一つだろう。近い将来、5Gで多くの物が接続されることで、多くのデータが生まれ、そのデータが新たなビジネス・利益をもたらすことになる。
5Gには、パブリック5G、プライベート5G、パブリック5Gと プライベート5Gを組み合わせたハイブリッド5Gが存在する。どのタイプの5Gサービスを採用するかで、通信品質、セキュリティレベル、保守内容が異なるので、導入前には十分な検討が必要だ。もちろん、セキュリティ対策にも注意が必要だ。接続するデバイスの数が増えれば、管理が複雑になるだけでなく、ハッカーにとって攻撃目標が増えることになる。ネットワークセキュリティだけでなく、端末、インフラ、データ、ユーザーを対象としたZero Trust Frameworkの導入が必要となるため、通信事業者やシステムインテグレーターなどのサポートを得て実現することが望ましいだろう。
(2)IoT
IoTについては、Vodafone社のHead of Technology & Business DevelopmentであるBritta Rudolphi氏の「Moving from Telco to TechCo(通信事業社からハイテク企業への脱却)」と題する基調講演の内容を紹介する。
Rudolphi氏は、「2Gでは場所、3Gでは人、4Gでは物をつなぎながらスムーズに進化が進んだ。5GはIoTにとって高速、高信頼なネットワークですべてを接続可能とするが、5Gの開発は簡単ではなかった。」と5Gへの道のりを振り返った。

【図6】Vodafone社の5Gの取り組み
(出典:Vodafone社の資料をもとに筆者が編集)
Vodafone社は、技術開発、将来に向けたパートナーとの共創をいずれもTranslator、Promoter、Pioneer、Business Enablerの4つのステップで行っている。技術開発におけるTranslatorは新たな技術開発、Promoterは新技術の活用、Pioneerは新技術による企業価値の向上、Business Enablerは新規ビジネス創造と位置付けている。将来に向けたパートナーとの共創におけるTranslatorは顧客の課題の理解、Promoterは技術を活用した方針策定、Pioneerは試作品開発、Business Enablerは製品の共同開発と位置付けている。
同社は2つの拠点に分けて、5G Lab、IoT Future Lab、Innovation Garage、5G Mobility Labの4つの研究所を開設した。興味深いのはInnovation Garageのコンセプトで、これはユニークなアイデアを持った学生との共創を目指している。
Vodafone社は企業へのプライベート5G環境の提供を目指して、公衆電話のブースくらいの大きさの5Gコンテナの試作品を開発した。そして、この5Gコンテナと業界のオートメーション技術を融合したリモートツアーの実験をしている。
Rudolphi氏が基調講演の最後に披露した、活動を通じて得た一番の学びは「自ら手を動かそう」だった。机上だけで、「ああやればできるよね」と言って手を動かそうとしない日本の企業は見習うべきであろう。
(3)旅行業会復活の鍵
ワクチン接種の浸透とともに明るい兆しが見えてきた旅行業界だが、新型コロナの影響は甚大で、世界的に2020年の旅行・ツアー市場はマイナス成長。2021年もマイナス成長と予測されている。パネルディスカッションに参加した業界エキスパートはコロナ禍からの復活の鍵とサステナビリティ(Sustainability)に向けたメッセージを伝えた。その概要は以下のとおりだ。
- 航空業界が活気を取り戻すキーワードはTrust(信頼)とReliability(確実性)で、誰もが衛生的であると思えること。
- 3つのClean(タッチ、空気、インテリア)の徹底。
- 飛行機の機体を衛生的に維持できる新たな素材の開発も必要。
- Zero Air TravelはZero Emission(ゼロエミッション)を実現できるが現実的でない。
- バイオ燃料はカーボンニュートラルの実現に向けた方法の一つ。
- サステナビリティに向けては、航空会社だけでなく、空港、サプライヤー、製造業者が一体となる必要がある。

【図7】2019年から2021年の旅行者の推移
(出典:PNP社)
5.スタートアップピッチ
ここでは、スタートアップピッチを通じて基調講演で貴重な話が聞けたEnterprise、IoT、Travel Hospitalityの業界に関する将来トレンドと投資家目線の注目ポイントについて考察する。
(1)Enterprise Tech
(1-1)注目ポイント
Enterprise Techでは、Cybersecurity、Finance、Operation & Legal、Growth & Customer Experience、Infrastructure & IT、Human Resources & Talent、Big Data & Analyticsをテーマにスタートアップを支援していた。
だが、筆者は、RegTech、HR Tech、Customer Engagementの動向が気になっている。政府、自治体向けのRegTechは徐々に関心が高まっていて、スマートシティをRegTechの一部と捉える人もいる。
HR Techでは、以前は人材開発、給与管理などが人気のサービスだったが、最近は新型コロナの影響もあり、「新しい働き方、業務の最適化と効率化」に関するソリューションが増えている。
また、コロナ禍においてCustomer Engagementは、小売業だけでなく大企業にとっても重要なテーマになっている。

【図8】PNP社が注目するEnterprise Tech
(出典:PNP社)
(1-2)注目スタートアップ
Enterprise Techでは13社がピッチを行った。ここでは、スマートフォンアプリをスーパーアプリにするプラットフォームを提供しているAppboxo社を紹介する。
WeChatのように一つのアプリから色々なサービスに直接アクセスできるアプリをスーパーアプリという。世界を見渡すとWeChatやAlipayなどのスーパーアプリが多くの加入者に利用されている。Statista社の調べによると、WeChatの加入者は2021年3月末時点で世界中に12億人以上いる。スーパーアプリは様々な外部アプリと連携することで多くのユーザーを獲得している。外部アプリと連携する方法はいくつかあるが、Webブラウザーを起動する方法、APIを利用する方法はベストな選択とは言えない。そこで、Appboxo社はアプリ内で外部アプリを起動するためのプラットフォームを提供している。
開発者はAppboxo社が提供するSDK、もしくはAppboxo社が提供する"Show Room"というアプリストアを利用して外部アプリをスマートフォンアプリと連携させる。Appboxo社のプラットフォームの導入メリットは増収、リテンション、アプリの多機能化になる。
(2)IoT
(2-1)注目ポイント
PNP社は、IoTの代表的な事例であるスマートファクトリーにおいて、ファクトリーオートメーションがブームを呼んでおり、以下の4つがキーワードになっていると説明した。
- Connecting(設備や資産と接続してデータを生成)
- Optimizing(ワークフロー最適化のためにデータを活用)
- Automating(できるところから人手による作業を削減)
- Tracking(人や設備の移動状況を監視)

【図9】PNP社が注目するIoTトレンド
(出典:PNP社)
(2-2)注目スタートアップ
スタートアップピッチではAI、Hardware & Advanced Productsの2つの領域に分かれて16社のスタートアップがピッチを行った。その中から、Supply Chain & Logistics、Mobilityの分野での展開も期待できる、荷物のライフサイクルに注目してトラッキングするセンサー(グローバルタグとロガー)とプラットフォームを提供しているMoeco社を紹介する。
Moeco社のソリューションには、
- リアルタイムにEnd-to-Endでトラッキング
- トラッキングの様子をリアルタイムに可視化
- 現場で取り付け可能
- APIを公開して、外部データとの統合が可能
という特徴がある。また、データの所有権は関係者にあるという認識に従い同社はデータの中身は見ない。
Moeco社のサービスの中核はとても薄い使い捨てのセンサーで、例えば段ボールに伝票と一緒に貼って使う。同社のCo-founder & COOのAlexa Sinyachova氏が自社のサービスを"Monitor Sensitive Condition"と説明するとおり、Moeco社のグローバルタグは位置以外に、温度、湿度、輸送の状況(反転、衝撃)、輝度などの配送環境、保管環境もモニターできる。また、グローバルタグがネットワークに接続されていない場合は、ロガーがデータを保管するようになっている。
使い方は、パッケージを開封してグローバルタグとロガーを取り出し、それらをトラッキングしたい荷物に貼り付けるだけだ。それだけでリアルタイムに荷物の状態をダッシュボードで確認できるようになる。
Moeco社のサービスを利用するには$5/センサーの追加費用が必要となるが、$5の価値はあると思う。

【図10】Moeco社の特徴(左上)と製品概要(左下)、
Moeco社のセンサーの使い方とモニター結果(右)
(出典:Moeco社の資料をもとに筆者が編集)
(3)Travel & Hospitality
(3-1)注目ポイント
これまでのTravel & HospitalityではAirbnbのような民泊アプリ、ツアーアプリ、旅行保険などを開発しているスタートアップが多かった。今回も一番多かったのは旅行者向けのマーケットプレイスだったが、それと同じ数のスタートアップがサステナビリティに関するソリューションを提案していた。サービス内容はスタートアップごとに異なるが、旅行業界向けのCommerceが増えたのもSummer Summit 2021の特徴だろう。
一般的な話として、企業をターゲットにした“移動に伴うカーボンニュートラル”に関するサービスも登場している。出張で利用するフライト、タクシー、ライドシェアなどの二酸化炭素排出量を計算し、従業員にカーボンニュートラルプロジェクトに参加してもらうことが狙いだ。企業の環境対策は不買運動、ブランドイメージ、株価にも影響を及ぼすようになっているため、企業を対象とした環境対策ソリューションは今後も多く登場するだろう。

【図12】個人ベースのカーボンオフセットトレンド
(出典:Ecosystem Marketplace(2020))
(3-2)注目スタートアップ
Travel & Hospitalityでは18社のスタートアップがピッチを行った。先述したが、サステナビリティに関するソリューションが増えたのが印象深かった。そこでここでは、成長著しい個人ベースのカーボンオフセット市場を加速させるソリューションを提供しているChooose社を紹介する。
「ボランティアベースのカーボンオフセット市場は2016年から2019年の3年間で3倍になった」という調査結果がある。Chooose社のCo-Founder & Head of Strategic PartnershipsであるMartine Kveim氏は「今後、規制強化やユーザーのカーボンオフセットへの関心の高まりで、個人のカーボンオフセット市場はさらに成長すると見ている。」とピッチの冒頭で説明した。Chooose社は企業、個人のカーボンオフセット活動を促進するall-in-one Platform(オールインワンプラットフォーム)を提供している。例えば、英国のヒースロー空港はChooose社のプラットフォームを使って、旅行のプランと一緒に旅行に伴う二酸化炭素の排出量を分析し、オフセット料金とオフセットするためのプロジェクトを提案している。もちろん、オフセットする/しないは利用者の自由だ。また、個人でもChooose社のWebサイトを通じてオフセットのためのプロジェクトを支援できる。Chooose社のサービスに加入する際にクレジットカードの情報を入力する必要があるのだが、この時点では料金は何も発生しない。Chooose社は一目でオフセット活動を確認できるダッシュボードを提供している。このダッシュボードはオフセット活動の励みになるに違いない。
Chooose社はグローバルでパートナー開拓を行っていて、日本の大手旅行代理店も同社のパートナーになっている。
6.まとめ
基調講演を通じて、2020年はほとんどの業界が新型コロナの影響を受けたことを再認識した。しかし、ある業界ではコロナ禍でも将来に向けて投資家が積極的にスタートアップに投資している。
ナスダックもダウ平均株価もコロナショックで2021年3月20日に大暴落したが、それ以降は波はあるが、最高値の記録を更新している。株価だけが先行している感があるが、誰もがコロナ後の明るい未来に期待しているともとれる。
今回の“スタートアップピッチ”ではEnterprise、IoT、Travel & Hospitalityに関するスタートアップを紹介し、業界に関する将来トレンドと投資家目線の注目ポイントについて考察したが、他にも注目すべき業界はある。コロナ禍でWFH向けのソリューション、業務の効率化・自動化に目が奪われがちだが、サステナビリティを実現する新素材に関するソリューションにも注目すべきだろう。PNP Summer Summit 2021では新素材のプログラムはなかったが、様々な業界で新素材を活用した新たなソリューションが生まれている。そしてサステナビリティについては、MobilityやTravelなど、エネルギー業界以外の業界でも新たなソリューションが生まれている。例えばMobilityにおいては、これまでは、"最短距離"、"最短時間"の提案がNavigationに求められてきた機能だが、"空気が一番綺麗なルート"や、"バッテリー消費が一番少ないルート"、"二酸化炭素排出量が一番少ないルート"を提案するNavigationが登場している。
飛行機が排出する二酸化炭素が問題視されているなか、具体的な対策が打ち出されていないように思える航空業界でも、カーボンニュートラルに関するソリューションやゼロエミッションに向けた電気で飛ぶ機体の開発競争が激しくなっている。
イノベーションに時間がかかると言われている業界でもスタートアップと連携することで一気にイノベーション・DXが進むケースがある。そういう意味で、今後も企業のイノベーション・DXを支援するスタートアップから目が離せない。
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