2022.6.13 InfoCom T&S World Trend Report

世界の街角から:ポーランド ~クラクフ

tomekwaleckiによるPixabayからの画像

「平原」を語源とするポーランドは、バルト三国の南に位置し国土は32.2万平方キロメートル(日本の約4/5)。教育水準は高く、賃金水準がまだ比較的低いこと、またドイツに隣接し西欧への輸出基地としても便利な立地から海外企業の拠点となっており、約300を超える日系企業が進出しています。文化的にも、「ピアノの詩人」と呼ばれたフレデリック・ショパンや天文学者ニコラウス・コペルニクスなどの偉人を生み出した国として有名です。

今回、筆者の旅の引き出しからご紹介するのは、ポーランドの首都「ワルシャワ」に次ぐ第二の都市で、11世紀から16世紀にかけて550年の長きにわたりポーランド王国の首都として栄えた歴史的な街「クラクフ(Kraków)」とそこから近距離にある名所です。欧州の中央に位置するポーランドは、度々世界大戦の戦場となってしまう悲劇に巻き込まれ、各都市には壊滅的な被害を被った歴史がありますが、クラクフは内陸部に位置したため戦火を逃れ、古都の街並みが多く残されており、中心部の旧市街は1978年世界遺産にも登録されています。首都ワルシャワからは鉄道で2時間半、長距離バスで4~5時間のところにあります。

「中央広場」

中央広場は、中世からそのまま残っている広場としては欧州最大級、総面積は4万㎡と広大です。周囲にはカフェや屋台が並び、観光客だけでなく、地元の人たちも集まり、いつも賑わっています(写真1)。

【写真1】中央広場

【写真1】中央広場
(出典:文中掲載の写真は、一部記載のあるものを除きすべて筆者撮影)

広場の中央部にはポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィチの像、織物会館、聖マリア聖堂などインパクトのある建物が多く、とても美しい広場でした。観光客用の馬車も走っており、毎日休日のような賑わいをみせていました。見どころの一つ聖マリア教会では、毎正時ラッパの生演奏がありますが、これは700年続くクラクフの伝統だそうです。

滞在中、何度かこの広場にあるレストランを利用させてもらいましたが、あちこちに映画『シンドラーのリスト』の撮影で訪れた時のものと思われるスティーブン・スピルバーグ監督が食事をしている写真が飾られてありました。

「織物会館」

中央広場の中心にある横幅が100m以上にも及ぶルネサンス様式の建物が織物会館です。15世紀ごろ東西から届く織物や衣服の交易所として様々な商品の取引が活発に行われ、東西貿易の一大拠点として賑わいましたが、現在1階は土産物ショップやカフェ、地階は考古学と歴史の博物館「地下博物館」となっていて、どちらも毎日大賑わいです(写真2)。

【写真2】織物会館

【写真2】織物会館

土産物ショップでは、ユニークなデザインやフォルムで世界的にも有名なボレスワヴィエツ陶器、琥珀のアクセサリー、木彫りや布製の小物などが数多く並んでいます。

「ヴァヴェル城」

クラクフ旧市街から南に徒歩10~15分ほど、ヴィスワ川のほとりの丘に建っているのがヴァヴェル城(写真3)。11世紀から1611年に首都がワルシャワに移されるまで国王の居城だった所で、歴代の王が増改築を繰り返し敷地内には大聖堂や旧王宮、王の墓、竜の洞窟など歴史的な建造物が数多くあります。

【写真3】ヴァヴェル城

【写真3】ヴァヴェル城

大聖堂には歴代の王41人が眠るとされ、塔に登って旧市街を眺めると美しい旧市街を見渡すことができ、今も変わらず古都のシンボルとして人々を魅了し続けています。

ヴァヴェル城にはポーランド建国前、地下に家畜や少女をさらって食べていたドラゴンが潜んでいるという伝説があり、出口にある定期的に火を吹くドラゴンの彫刻もグッドなフォトスポットです。

さて、ここからはクラクフから日帰りで行ける観光スポットを2つ紹介します。1つ目は、クラクフから南東に15キロくらい離れたヴィエリチカという町です。ここでは、世界遺産にも登録されているヴィエリチカ岩塩坑という“塩の宮殿”の見学ができます。

「ヴィエリチカ岩塩坑」

“ヴィエリチカ”とは、ポーランド語で“素晴らしい塩”という言葉が変化し町の名前となったものだそうです。13世紀半ばに開かれた岩塩の採掘場で、産出される岩塩は長きにわたってポーランドの重要な収入源となっていたようです。1996年に採掘は中止されて現在では観光名所になっています。

地下は深さ約300mまであり、途中大小2,000にも及ぶ部屋や礼拝堂、食堂、運動場などもある「地下国家」というのがピッタリの場所です。現在はその1/10程度しか公開されていないとのことでしたが、それでも見ごたえ十分。中は、迷路のようになっているので、現地のガイドツアーに参加するのがおすすめです。ガイドの案内によれば、ショパンやコペルニクスも訪れたと言われている欧州でも有名な施設とのこと。訪れる各部屋や通路には、岩塩で作られた彫刻がいたるところにあり、当時の岩塩採掘の様子がわかる展示もされていて岩塩採掘の歴史も学べます。特に、礼拝堂やシャンデリアなど、見どころはたくさんあり大満足でした(写真4)。

【写真4】ヴィエリチカ岩塩坑

【写真4】ヴィエリチカ岩塩坑

つづいては、クラクフから西に60キロくらい離れたオシフィエンチムへ。ここは第二次世界大戦中に占拠していたドイツの呼び方である「アウシュビッツ」という名で知られた町になります。クラクフからは、電車で2時間くらいのオシフィエンチム駅まで行き、そこからはタクシーで行けますが、クラクフからは路線バスや観光客向けのツアーも出ています。

「アウシュビッツ&ビルケナウ」

アウシュビッツ強制収容所は「人種による迫害という過ちを二度と繰り返さない」という学習のための施設として、現在も維持され一般に公開(入場は無料)されています。特に目についたのが、各国からの学生の団体。特にドイツの学生には必ず収容所見学が義務付けられているとのことでした。現地では、日本語のガイドも販売されています(写真5)。

【写真5】アウシュビッツ強制収容所

【写真5】アウシュビッツ強制収容所

建物の連なりが一見欧州の住宅が立ち並ぶ街並みに見えてしまう収容所で、収容所の正門にある有名な「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」の看板も芸術品のように見えます。しかしその建物周辺には、約220ボルトの電流が流されていたとされる鉄線が張り巡らされており(写真6)、ナチス・ドイツが百万以上に及ぶ人々を虐殺した絶滅収容所であったことが改めて認識されます。1979年には「負の遺産」として世界遺産に登録されており、年間数百万人もの観光客が訪れています。

【写真6】ビルケナウ第二収容所

【写真6】ビルケナウ第二収容所

一部の収容棟は内部も公開されており、ジェノサイド(大量虐殺)の様子がうかがえる当時の生々しい資料や展示物は、一生脳裏から離れることのない衝撃となって襲ってきました。日本からはややアクセスがしづらい場所ですが、舞台となった映画をはじめ、インターネット上やリアルの写真展などアクセスしやすいメディアも多いので、今後とも平和について、繰り返し考える切っ掛けとしていきたいところです。

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