2019年6月26日掲載 ITトレンド全般 InfoCom T&S World Trend Report

顔認識技術は諸刃の剣



ここ最近、顔認識技術に関する報道を目にすることが多くなってきた。その界隈の市場が賑わってきたとも言えそうだが、一方で不穏な内容の記事も散見される。具体的には、プライバシー侵害や監視社会につながるといった論調のものだ。本稿では、法制度面での動きが見られた米国の状況を踏まえ、同技術の利用実態やその功罪についてレポートする。

サンフランシスコ市が顔認識技術の禁止を決議

米国サンフランシスコ市は2019年5月、警察を含む当局が顔認識技術を使用することの是非を問う投票を行い、これを禁止することを決議した。シリコンバレーを抱えるサンフランシスコ市には技術面で先進的なイメージがあるが、顔認識技術についてはメリットを遥かに上回る、市民の権利や自由を脅かす危険性があるとして慎重な判断が下された。進化の著しい同技術によるプライバシー侵害の恐れが高まっていることを受けた格好だ。連邦政府の管轄下にある空港や港湾は禁止対象とはならないものの、サンフランシスコ市は米国の地方自治体として初めて顔認識技術の利用を禁止することになった。また、隣接するオークランド市や、マサチューセッツ州も顔認識技術に対して否定的で、サンフランシスコ市と同様の動きが見られる。

発展著しい顔認識技術

顔認識技術は近年、ディープ・ラーニングの発展に伴って劇的な進化を遂げている。同技術は米国に限らず世界各国で導入されており、犯罪の抑止や早期発見に役立てられている。例えば、米国の税関・国境取締局(CBP)は主要国際空港のセキュリティ・チェックにおいて、カメラで撮影した旅行者の顔をパスポート上の顔写真と照合するといったシステムを運用している。

現状、顔認識技術の活用先としては、このようなセキュリティ・チェックの効率化を目的とする公共分野の事例が目立つ。CBPのケースでは、多数の不法長期滞在者を検知するのに役立っているという。また、豪州のシドニー・キングスフォード・スミス国際空港や中国の上海虹橋国際空港などでも、顔認識技術を導入することで搭乗までの一連の手続きが効率化されるといった成果があがっている(前者は試験運用だったため現在は終了している)。

しかし、顔認識技術に期待を寄せているのは公共分野だけではなく、小売や金融といった業界でも顔認識技術の採用が進んでいる。例えば、中国のケンタッキーフライドチキンの店舗には“Smile to Pay”という顔認証決済システムが備わっている他、中国招商銀行、中国農業銀行、中国建設銀行といった大手金融機関は顔認証ATMを設置している。また、試験運用段階ではあるが、深圳市の地下鉄では「顔パス」の乗車システムの導入に向けた取り組みが行われている。

とはいえ、当然ながら、人工知能(AI)を搭載した顔認識技術も完璧というわけではない。一部では、白人に対して有色人種、男性に対して女性は顔認識の精度が落ちるという研究結果も出ている。中国・寧波市でも、信号無視を取り締まる監視システムが誤認識し、無実の人を違反者として大型スクリーンに映し出してしまったという事例があったそうだ。これは一見すると笑い話のようだが、冷静に考えると重大なプライバシー侵害に他ならない。

顔認識技術の過度な使用に対する反動

Microsoftは2018年12月、顔認識技術に関する見解を発表し、早急に同技術を法的に規制すべきであると主張した。根底にある考え方は、顔認識技術によって社会が享受できるメリットはあると認めつつも、同技術が濫用されることによるリスクはこれを凌駕するというものだ。Microsoftは自らも顔認識技術の開発を進めているが、これは同技術のリーディング・カンパニーであるからこその警鐘であり、企業の社会的責任に立ち戻ることで導き出された結論だろう。このような理性と矜持に基づいた判断は賞賛に値する。

顔認識技術に限ったことではないが、人間を監視・追跡する技術の過度な使用については、世界中がこれまで以上に神経を尖らせ始めている。特に当局による監視が厳しい国として知られる中国では、生体情報を活用する各種認識技術が兵器化するのではないかとの懸念が強まっている。民族間の摩擦が絶えない新疆ウイグル自治区やチベットの現地当局が顔認識技術を駆使して不都合な人物を恣意的に摘発し、不当な弾圧を加えているとの報道もある。経済協力開発機構(OECD)は2019年5月、パリで閣僚理事会を開催し、中国がAIを国民監視の手段に使うことを牽制する内容の勧告を採択している。

米国でも最近、大統領やその周辺を警護するシークレットサービスが一般市民も対象とする顔認識技術の導入を検討しているとの噂が囁かれ、国家権力が同技術を使用することに対する懸念の声が上がっている。名目が公安などのもっともらしいものであっても、小さな風穴が空くだけでそれが悪用や濫用につながる可能性は否定できないというわけだ。

まとめ

顔認識技術が、厳格なリアルタイム監視社会を助長するような全体主義的かつ危険なツールに変容してしまうことを懸念する声は小さくない。原子力技術がそうであるように、顔認識技術も間違った方向に用いられれば、世界は一気に破滅へと向かう。全体主義的な色が濃くなるとプライバシー侵害が頻発するというのはこれまでの歴史が証明しており、その歴史は繰り返されることになるかもしれない。技術は極めて速いペースで進化していくため、何の歯止めもなければ、加速度的に社会に浸透していく。これらを考慮すれば、サンフランシスコ市の今回の票決は、少なくない利便性と引き換えに一定の秩序と熟慮の時間を確保するためのものと見ることができ、英断だと評価できるのではないだろうか。

しかし、サンフランシスコ市の今後の状況は注視していく必要があるだろう。例えば、市警察は顔認識技術を使えなくなるわけだが、指紋やDNAといった従来の生体情報だけで十分な治安維持を実現しうるかという問題はこの先も提起され続けることになるはずだ。また、国際競争力の観点から、他国の技術面の躍進を座視することを許容し続けられるのかという葛藤も湧いてくるだろう。問題の本質は当人の同意なしに自分の顔写真が何らかのデータベースに登録されてしまうという可能性であり、このようなことが起こり得ないように担保した上で顔認識技術が活用される状態が望ましい。群衆の中から特定の人物を割り出すといったような一対多のユースケースには入念な吟味が求められる一方、iPhoneのFace IDのような一対一のユースケースはユーザーのメリットが非常に大きいことから、問題の本質に照らしながら、切り分けて考えるべきなのかもしれない。いかにして顔認識技術を有用なツールとして利用可能にできるかは、現代に生きる人類の選択にかかっている。

※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部無料で公開しているものです。

小川 敦のレポート一覧

会員限定レポートの閲覧や、InfoComニューズレターの最新のレポート等を受け取れます。

ICR|株式会社情報通信総合研究所 情報通信総合研究所は情報通信のシンクタンクです。
ページの先頭へ戻る
FOLLOW US
FacebookTwitterRSS