ICT雑感:「あの頃」~受験と大学教育、ツールとしてのICT~
肌を刺すような冷気が徐々に緩み、コートを脱ぐ頃には、生暖かさを感じる空気に包まれるようになる。春の訪れだ。街中では、入試会場に向かう受験生に続き、3月から4月にかけて卒業式や入学式・入社式に向かう学生・新入社員の姿も見かけるようになる。人生の大きなイベントを迎える若者が多い季節でもある。
卒業と入学の間に一年ほど予備校に通った身として、決してもう一度あの頃に戻ってやり直したいとは思わないが、毎年この時期、そうした緩んだ空気に触れると、浪人生活が始まった40年ほど前のいつもとは違う“春休み”が何となく懐かしく思い出されるのだ。
「いつやるか、今でしょ」で名を馳せたH先生、カリスマ予備校講師ながら、今やクイズ番組からバラエティーのMCまでこなすマルチタレントだ。3大予備校と言われたS予備校、Yゼミナール、K塾の後発で、現役生向けのTハイスクール(衛星予備校)の国語教師。TはVOD方式で有名講師の映像授業を提携先のFC塾に配信するやり方で成長してきた塾だ。直営のハイスクールを含め、全国1,000校体制でオンラインとリアルのハイブリッド型で展開しているが、高校生の学習ペースに合わせて学力を積み上げていく授業が基本で、15,000本の授業を配信し、うち3,000~4,000本が毎年更新されるという。個々人の学力や部活などのスケジュールに合わせて教室や自宅で学習でき、担任の指導で毎週同じペースで学習を進められるようサポート体制もとっている。
少子化の影響で大学も定員割れとなる時代に、受験市場でもYゼミは全国で20 校の募集を停止、閉校した。そんな中で、ネット時代ならではの「月額980円、プロ講師の授業、受け放題」を謳うオンライン予備校が急成長している。R社が立ち上げた「受験サプリ」(現「スタディサプリ」大学受験講座)だ。標準的な予備校・塾を利用すれば年間50万円かかるのに対し、総額で1万円。パソコンやスマホで誰でも利用できるサービスだ。従来型の予備校・塾と比べ、建物等のコストはかからず、校舎ごとに講師や職員を置く必要もない、投資・人件費を圧縮した価格破壊型のビジネスモデルになっている。もちろんICT投資は欠かせないが、基本的に変動費は殆どかからず、低価格でも一定数の契約数を確保すれば、利益幅は大きい。
つい最近、小・中学生版の「勉強サプリ」(現「スタディサプリ」小・中学講座)の責任者から話を聞く機会があった。「どれくらいの規模のサービスを目指すのかという覚悟によって、黒字化するためのプライシングが決まる。月額980円は、全体で数十万人の壁を越えないと黒字化できない」レベルとのこと。リアルな塾とは違い、双方向での質問・指導はできないが、生徒の視聴途中の離脱率や確認テストの結果などで常に授業内容を見直すとともに、どこで躓いているかをデータで把握し、その生徒が躓いたところに戻してやるようなサービス改良の開発もしているという。
「勉強サプリ」は「最初にR社のサービスに触れる“マイファーストR”のサービスであり、今後、幼稚園や小学校低学年向けを含め、一貫してつながっていくサービス体系を目指す」という。それこそ“ゆりかごから墓場まで”をサポートするしたたかな戦略だ。
ネットとリアルのハイブリッド型のTとネットの力で新たな市場を開拓した「受験サプリ」。少子化が進み、市場が縮小していく中で、ともに成長している両者だが、かつて自身が経験したリアル・マスプロ型の予備校と毎月500円ほどのテキストを買って聞くO社「ラジオ講座」(1995年3月終了)との対比で言うと、それぞれICTを活用した発展型と言えるかもしれない。
さて、受験後に祈るような気持ちで迎える合格発表。これもひと昔、ふた昔前とは様変わりだ。大学のサークルの資金稼ぎだったのだろうが、遠方の受験生は電報か電話での合否通知を500円ほどで頼んでおいたのが、今ではネット上の発表が当たり前となり、スマホで簡単に確認できる時代だ。失敗して掲示板前からトボトボと家路につくこともない。
大学のICT環境整備も進んでいる。Wi-Fiは当たり前。かつて休講情報は掲示板まで見に行く必要があり、出欠をとる講義は代返もありだったが、今や休講はネットで確認、代返もできないようにしているようだ。今ではどこの大学もLMS(学習管理システム:Learning Management System)を導入しているらしい。授業前に使う「掲示板」、授業中に使う「出席管理」「アンケート」「小テスト」、終了後に進捗・成果の確認を行う「ドリル」「レポート」、個別相談が行える「相談室」、教材の保管・管理ができるDBなど、いい大人にここまで世話をやくのかと思われるほどの機能を持つ。大学全入時代の、ある意味、不登校・ドロップアウトを防止する対策とも言えるかもしれない。
“コピペ”という言葉もなかった時代、レポートもいろいろな書籍・文献を買ったり、借りたりで、手書きで仕上げたものだ。もちろん“引き写し”もなかったと言えば嘘になるが、今はネットで論文や必要な情報がいくらでも入手でき、格段に便利になった反面、安直に利用するとコピペを検知するソフトで、単位取り消し・不認定もある。ICT利用の明と暗の側面だ。
かつて大教室で延々と喋り続けるだけの教授もいたが、毎年同じ教科書で同じ講義を繰り返すなら、それこそTや「受験サプリ」のように講義内容を録画し、その動画を配信すればお互いにハッピーではないかと言ったら言い過ぎだろうか。
ICTの活用で、地理的、時間的、経済的制約を乗り越えて勉強できるようになったことは間違いない。勉強した成果を試される試験(受験)でも、今の時代、以前より同じレベルに到達するまでの時間は短縮されているのではないだろうか。知識、スキルを身につけるためのツールとしてのICT は、それを使いこなしてこそのものだ。もちろん、言うまでもないが、これほど便利になっても、最後は本人の意欲・やる気がなければ意味がない。
「いやあ、キミの答案ねえ、ここのところはよく書けているんだけどねえ。ただねえ、単位認定できるかどうか、微妙なところだねえ」
ここぞのやる気を問われる卒業間際の最後の後期試験。自信が持てなかった手応えに、採点結果が出る頃を見計らって、下宿アパート隣室の先輩に同行をお願いし、研究室まで押しかけたところ、返ってきたお言葉だ。教育者として褒めることも決して忘れない。
「いや、先生、就職も決まっておりましてですね、何とか単位を認めていただかないとホント困るんです。親に合わせる顔もありません」
必修科目を取りこぼせば留年が確定する。こちらも必死だ。
「そこを何とか、先生、お願いします」
ひたすら頭を下げて食い下がる。汗をふきふき、「先生・・・・・・、何とか・・・・・・」といった場面で、いつも目が覚める。この年齢になっても未だに夢に出てくるほろ苦い思い出だ。懇願した少壮気鋭のT助教授、当時まだ30代前半だったことは今回初めて知った。既に定年退官されておられるが、今もご健在でいらっしゃるのは何よりだ。
情報通信総合研究所は、先端ICTに関する豊富な知見と課題解決力を活かし、次世代に求められる価値を協創していきます。
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前田 治緒(転出済み)の記事
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