NTTドコモの農業ICTへの取り組み (2)アグリガール座談会編~NTTドコモに見る新規事業成功のポイント
本誌2016年5月号で、筆者はNTTドコモ(以下「ドコモ」)の農業ICTへの取り組みを紹介した((1)概要編)。
同社の取り組みは、2014年に地域金融を担当する営業部門がJAグループに農業ICTサービスを提案したことがきっかけだ。同社ではコアビジネスであるモバイルサービスを農業に活かすために、農業に関する様々なツールを持つ企業と提携し、ソリューションを提供することをコンセプトに、畜産、畑作、稲作の分野で事業を展開している。
代表的なサービスが「モバイル牛温恵」だ。これは畜産分野のICTサービスで、母牛に体温センサーを取り付けてその体温を監視し、分娩の細かな経過や発情の兆候を検知・通知するサービスだ(図1)。これは大分県のリモートというベンチャー企業と業務提携して展開されている。
加えて、流通においてはJAグループの販売網を活用して農家への販路を形成している。
同社はこのようなビジネスモデルを構築し、全国の支社・支店の営業担当者約200名による体制で展開している。営業担当者のうち女性の有志社員が「アグリガール」を立ち上げ、その活動を様々な領域に広げていることは、「(1)概要編」でもお伝えしたとおりだ。
「(1)概要編」での紹介に引き続き、本稿では新規事業に焦点を当て、ドコモがどのように農業ICT事業を立ち上げ、軌道に乗せていったかを探るべく、最前線で日々活躍しているアグリガールを代表して、有本香織様、加納佳代様のお二人に話を伺った(冒頭写真、以下敬称略)。
農業ICT参入の背景
農業ICTの事業を立ち上げた背景を教えてください。
有本:農業分野での取り組みは、支社・支店が地域のニーズに個別に対応してきましたが、一つのサービスを全国展開するようになったのは2年前(2014年)からです。地域の金融を担当する法人営業のチームが、JAグループ様にスマートフォンやタブレットの提案をすることになったのがきっかけでした。
他社と差別化するために、農業の仕事のなかで使っていただけるICTサービスが付加価値になると考え、協業パートナーを探すようになりました。その第1弾が、大分県のリモート様というベンチャー企業が開発する「モバイル牛温恵」でした。リモート様はモバイルソリューションを発掘するコンテストに参加し、審査委員長特別賞/モバイルテクノロジー賞を受賞したのですが、そこに弊社が審査員として参加していたことがきっかけで業務提携をしました。
しかしながら、当時は数ある商材のひとつで、今のようには売れていませんでした。この「モバイル牛温恵」をJAグループ様に提案して、大変興味を持っていただき、業務提携をすることになりました。ここから全国展開に向けた活動に注力していくことになるのです。
農業ICTを推進する体制整備
JAグループ様との提携はどのように進めたのですか?
有本:2014年7月にJAグループである全農畜産サービス様と販売代理店契約をしました。「モバイル牛温恵」はJAグループ様の販売網を活用して、牛のエサや資材と一緒に販売されています。地域の農家様は電話一本でJAグループ様の商材を購入することができます。それほどJAグループ様との関係が強いのです。
私たちの部署は法人担当で、一軒一軒の農家様に営業するにはハードルが高かったので、JAグループ様の販売網を活用して、農家様にアプローチできるスキームで営業できることはメリットが大きかったと思っています。
「モバイル牛温恵」をきっかけに、JAグループ様の畜産部門などの新たな部署と一緒に仕事をすることになりました。 始まった当初は仕事のフローが慣れていないこともあり、ここはどうなっている? という確認作業が多くなりました。そこで、まずは関係づくりを重視しました。具体的には、全国のJAグループ様とドコモの支社・支店との顔合わせや共同勉強会を実施していきました。
Aグループ様や全農畜産サービス様に協力いただいてメンバーが集まりました。これにより両者が一体となって販売を推進することができるようになっていきました。弊社はマニュアルなどの営業に必要なツールを準備し、電波状況を調査するということを全国で実施していきました。
社内の営業体制はどのように構築されたのでしょうか?
有本:弊社の営業は、スマートフォンやタブレットをセットで販売できるならば何を販売してもいいのです。重要なのは、「モバイル牛温恵」というICTサービスをどうやって営業担当者に販売してもらうかでした。通信会社なので農業に関しては専門外ですし、障害が発生した時の責任も重い。そもそも畜舎を訪問することに抵抗もあったようです。
販売を開始する際に、私たちの組織の上層部から支社・支店に協力を依頼しましたし、私たちアグリガールも支社・支店に出向いて説明していきました。このような活動を積み重ねるなかで、協力してくれる営業担当者が出てきました。
ラッキーだったのは、地域への影響力が強い営業担当者が協力してくれたことでした。このため、徐々に販売数が増えていきました。このことは周囲に良い影響をもたらしました。それに伴って「モバイル牛温恵」を販売してくれる営業担当者が増えて、売り上げが急拡大したのです。農林水産省やJAグループ様をはじめ、様々なところから補助が出ていて、それも追い風になっています。
その後、農業ICT推進プロジェクトチームが発足して、現在では全国200名の体制で農業ICTを推進しています。
営業担当者の営業に必要なツールはどのように準備していったのですか?
有本:私たちは提案書、マニュアル、動画、チラシといった営業に必要なツールを準備しましたが、それは営業担当者に営業に集中してもらうためでした。例えば技術的な内容については、リモート様の社長による説明が動画で確認できます。準備したツールを見れば、サービスについて分かるように工夫しました。これらを揃えたことでJAグループ様や支社・支店の営業担当者は積極的に「モバイル牛温恵」を農家様に紹介してくれるようになりました。
また、「モバイル牛温恵」は命を扱う商材です。そのため24時間365日体制で問い合わせを受け付けることができるように、コールセンターをリモート様と共同で立ち上げました。一つのサービスを提供し、使っていただいていると、機器の操作方法から現場で発生した問題まで、様々な問い合わせがあります。コールセンターで一次受けして、そこで対処できない問題は私たちが対応を引き継ぎ、リモート様と協力しながら解決する仕組みを構築しています。
「モバイル牛温恵」に競合するサービスはあるのでしょうか?
加納:似ているICTサービスはありますが、完全な競合はないと思っています。「モバイル牛温恵」はこの領域では知名度も高く、販売個数も多いICTサービスではないでしょうか。「モバイル牛温恵」はこの1年で300件ほどの注文をいただきました。商品力もあり、それを販売する商流もあり、仕組みや体制が整っているので営業担当者は販売しやすい。また、農家様にも好評いただいています。とても良い流れができています。
今は肉牛を生産する農家様を中心に販売しています。仔牛は10カ月ほど繁殖農家様で育て、肥育農家様に引き取られます。その時の販売価格はこれまで45~50万円で推移してきましたが、この数年で70万円台に跳ね上がっています。仔牛の数が減少して価値が高まっているのです。
仔牛は10カ月ほどかかってようやく1頭生まれてくるので、分娩の時に事故があるとそれまでの苦労が台無しになってしまい、ダメージが大きいのです。
牛の分娩では5%を超える確率で事故が発生し、仔牛の命が失われています。経済的な損失も大きいので、「モバイル牛温恵」の費用対効果も大きいと農家様からはお言葉をいただいています。今は畜産農家様を中心に導入いただいていますが、今後は酪農家様にも提案していきたいと思っています。
有本: JAグループ様が弊社に協力してくださったのは、畜産農家様が減少しているという背景からの危機感があったと思います。農家様が減少すると、生産システムが破綻してしまいます。JAグループ様にとっても、牛のエサや資材の販売が減少してしまい、影響が大きいのです。
そのなかで、「モバイル牛温恵」は農家様の役に立つサービスとして期待していただいています。弊社のパートナー企業であるJAグループ様がそのような気持ちでいてくださることはありがたいことです。
「モバイル牛温恵」という意義のあるサービスにも出会えたし、一緒に販売を推進するJAグループ様にも出会えたし、支社・支店の助けもあって、このような展開になっていると思っています。
畜産から営農への広がり
営農分野でも取り組みが行われています。
有本:営農分野でのパートナー探しをしていましたが、その中でベジタリア様というベンチャー企業に出会いました。2014年11月に初めてお会いして、水田の水位、温度、湿度などの情報を取得してスマートフォンに知らせる水田センサーや農作業を管理する「アグリノート」について協業することになりました。
2015年3月には、両社の初めての取り組みとしてセミナーを共同開催しました。それと前後して、ベジタリア様のグループ会社であるウォーターセル様(新潟市)を介して、国家戦略特区である新潟市での水田センサーを活用した実証実験というビッグチャンスが舞い込んできました。上司は、地方創生に役立つならば良いと後押ししてくれました。そして2015年5月に新潟市様とベジタリア様、ウォーターセル様と革新的稲作営農管理システム実証プロジェクトに関する連携協定を結んだのですが、その場には弊社社長が出席してくれたため、弊社が農業ICTに取り組んでいくという強烈なメッセージになりました。
それからも取り組みは広がっています。農林水産省からは、全国36県で120台もの水田センサーを設置しての実証実験を行う機会をいただきました。全国規模で同じサービスを用いて実証実験を行うのは初めてのことのようです。実証実験の結果について、県の技術普及組織様や農政局様との意見交換会も実施しました。
水田センサーはドコモのネットワークと相乗効果はあったのでしょうか?
有本:スマートフォンやタブレットと相性の良い商材なので、それが非常に良かったと思っています。農林水産省様からは、水田センサーを設置したらすぐに使える点やサービスが簡単で分かりやすいため、小さな農家でも導入しやすい点を評価していただきました。
新規事業立ち上げに必要な要素
「モバイル牛温恵」での経験は営農分野でも活かされているのでしょうか?
有本:活かされていると思います。ベジタリア様にも「モバイル牛温恵」での取り組みをお伝えすることで、ドコモと組む魅力を感じていただきました。
ベジタリア様は東大発のベンチャー企業で、技術力に強みを持ち、優れた商品を開発しています。農業センサーで最も大きなシェアを持つ「Filed Server」を販売するイーラボ・エクスペリエンス様は、ベジタリア様のグループ会社です。ところが少人数で運営しているので、営業面まで手が回っていないようで、弊社が「モバイル牛温恵」を広く普及させてきた推進力に期待いただいています。もちろん弊社のモバイルインフラも評価していただいたというのはあったとは思います。
農業ICTに関わる技術はベジタリア様にあるので、お互いの強みを活かせるように両社で役割分担をしながら取り組んでいます。
この推進力について、参考にした取り組みはあるのでしょうか?
有本:参考にしたのは私が所属する地域金融の担当チームのやり方です。地域の金融機関にシステムを導入する際の支援もやっていますので、そのなかで支社・支店との連携を図っていく必要がありますが、そこでは信頼関係があることがとても大事だということを学びました。それをいかに構築していくかという点が活かされているように思います。
また、一緒にこのプロジェクトを始めた瀬戸は、以前iモードの部署にいた際に、やはり支社・支店と連携して取り組みを推進していたので、その時の経験も活かされています。
マニュアル作成やコールセンター業務などの社内業務を外部委託していますが、それも当初から考えていたのでしょうか?
有本:瀬戸がJAグループ様の営業担当になり、その後JAグループ様向けのサービス検討をしていく時に私が加わりましたが、プロジェクト立ち上げ時は部長の上原を含め3名のチームでやっていました。その後、加納にメンバーに加わってもらいメンバーは増えていきましたが、とにかく最初は人がいなかったんです。時間がない中でスピーディに進める必要があったので、外部に委託をしたという事情がありました。
アライアンス先や外注先と多くの取引がありますが、パートナーと連携する際のコツはあるのでしょうか?
有本:以前、私はドコモ・ドットコムに出向してモバイルコンテンツ企業のコンサルティング業務に携わっておりましたが、そこではドコモと外部委託先との間に入って成果物を仕上げていく、つまり橋渡し的な役割を果たしていたことがありました。その時の経験から異なる文化を持つ企業間のコミュニケーションの重要性について身をもって体験できました。
今回、その経験が非常に活きていて、パートナー企業様と連携する際にはお互いに考えていることをよく話し合い、また業務も相手の仕事だからと線を引くのではなく、ゴール達成に必要なことは一緒になって取り組むようにしています。例えば、マニュアル作成であれば自分でポイントを整理し、ある程度イメージを作成してから、最後は専門家に分かりやすく体裁を整えてもらうという具合です。
他社との連携による事業展開と自社開発による事業展開はどのような点が違うのでしょうか?
有本:まずは費用を抑えられるということです。セミナーや実証実験などの費用は弊社も負担していますが、自社開発より少ない金額で事業をスタートできます。
加納:自社開発であれば立ち上げまでに1年近くかかりますし、営業先の開拓も自分たちでやることになります。スピード感が全然違います。このスキームは、外部パートナーと組み新たな価値を創出していくという弊社事業戦略の「+d」とも合致しています。
今後の展開
今後のビジネス展開はどのように考えていますか?
有本:今考えているのは地方創生です。農業分野を軸に教育、医療、観光にも広げていきたいと考えています。支社・支店連携の取り組みをベースにしたいと思っています。各分野には担当の部署があるので、連携しつつ推進していきたいと考えています。
座談会を終えて
ドコモは、農業ICTのノウハウを持つベンチャー企業およびJAグループとのアライアンスにより事業を展開している点が特徴だとお伝えしてきたが、実際に話を伺うと、事業化に当たっては彼女たちの経験が大きく活かされていることがわかった。その中でも、アライアンス企業の事業性に対する目利きや事業の仕組み作りがポイントであると筆者には感じられた。
事業の仕組みとは、自社とアライアンス先のそれぞれの強みを活かした役割分担、営業活動に必要なツール作り、JAグループの商流を活用した営業しやすい仕組み、きめ細やかなサポート体制等である。そして、仕組みの構築だけでなく、ステークホルダーとの関係性づくりも重要である。この成功事例を皮切りに、新事業が次々に創造されることを期待したい。
これまでスマートホームやヘルスケアIoTなど、個別のサービスが断片的に提供され、個別のエコシステムが形成されてきた。今後は、サービス、プラットフォーム、デバイス、ネットワークなどIoTの各領域が相互に連携する動きを受け、エコシステムが形成・拡大されていくものと予想する。
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