健康経営の取り組みとICT
最近、健康経営の話題が取り上げられることが多くなっています。健康経営とは、従業員の健康増進に配慮して、健康管理を経営戦略として実践することによって、企業の発展を目指す経営手法のこと。従業員の健康状態が悪化することは、労働生産性の低下を引き起こすリスクがありますし、労働力を確保して人材の定着化を図ることは企業にとって重要な課題であり、従業員の健康に配慮することは有能な人材確保のために不可欠となっています。健康経営の取り組みは、1992年に米国で出版された「The Healthy Company」の著者で経営学と心理学の専門家ロバート・H・ローゼン氏が提唱したのが始まりです。米国では公的医療保険がなく、従業員の医療費負担が経営に重大な影響を与える事態となっていたことを契機に1990年代から広がりを見せています。企業業績との関係で、投資対リターンの実証研究もあり、米国の優良健康経営表彰企業とS&P500との株価比較の研究では、1999年の株価を基準とすると、2012年には優良健康経営表彰企業は株価が約1.78倍になっているのに対し、S&P500は約0.99倍で、平均以上のパフォーマンスとなっていると述べられています。
日本では、2008年2月から特定健診・特定健康指導、いわゆるメタボ健診が公的医療保険加入者全員を対象に制度化されたのを機に大企業を中心に取り組みが始まりました。また、2015年12月からは、一定規模の企業にストレスチェックが義務化されて、取り組みが拡大しています。経済的な背景として、健康保険組合の赤字に対する補てんについて企業の負担が重く、従業員の健康増進によって医療費削減を図ることも目的にあげられています。
国の取り組みでは、経産省と東証が共同で行う「健康経営銘柄」と経産省単独の「健康経営優良法人認定制度(大規模法人部門と中小規模法人部門)」があり、また、日本政策投資銀行の融資制度のなかでDBJ健康経営(ヘルスマネジメント)格付で優遇金利が設定されています。健康経営銘柄は東京証券取引所上場企業のなかから、原則1業種1社が毎年選定されていて、2018年は26業種から26社が選定されています。2015年の発足以降、4年連続で健康経営銘柄に選定されているのは、花王(株)-化学、テルモ(株)-精密機器、TOTO(株)-ガラス・土石製品、(株)大和証券グループ本社-証券・商品先物取引業、東京急行電鉄(株)-陸運業、SCSK(株)-情報・通信業の6社です。経営理念・方針、組織体制、制度・施策実行、評価・改善、法令遵守・リスクマネジメントの5つのフレームワークで評価した上で、財務パフォーマンス等を勘案して選定しています。非財務情報をベースとした銘柄選定がポイントになっています。一方、健康経営優良法人制度は、「未来投資戦略2017」に基づく施策の一つとして、経産省が2017年から実施していて、特に健康経営を実践している大企業や中小企業等の法人を顕彰するものです。健康経営優良法人2018では、大規模法人部門541法人、中小規模法人部門776法人が認定されています。例えば、2018年にはNTTグループから29法人が選ばれています。
具体的な参考事例として、花王(株)と日本航空(株)の取り組みを取り上げてみます。花王の健康づくりの取り組みは古く、2000年から全社的な健康診断標準化として始まり、当初の見える化中心から、現在のデータの活用実践に到っています。この間、経営トップからのメッセージ、“「健康」は個人生活の基盤ばかりではなく社会の基盤”との花王グループ健康宣言(2008年発行)で、健康づくりとして5つの取り組みを明確にしています。これは、会社として最低限行うべき健康管理のみならず、社員が自ら健康を維持増進する健康づくりを実践するもので、1.生活習慣病、2.メンタルヘルス、3.禁煙、4.がん、5.女性の健康、の5つの取り組みが中心となっています。この5項目は、健康経営に取り組む際の先進モデルとなっており、多くの企業でも取り入れられています。
日本航空のケースでも、花王と同様の5項目が重点項目として目標指標に定められ、2017~2020年の新中期経営計画で“働きがいと高い生産性”として人財戦略に取り入れられています。日本航空では経営破綻からの再生(2010~2016年)の過程で2012年に策定した中期経営計画と連動した健康推進施策を定めて全社でWellness活動に取り組んできています。中期経営計画と一体となった取り組みが特徴となっています。
ここで、こうした健康経営とICTとの係わりについて考えてみたいと思います。健康やヘルスケアとICTというと、どうしても地域医療や介護、オンライン診療、AIの活用などに注目が集まり、個別企業の健康経営方策では、見える化やデータの蓄積・活用などでICTに触れることがあっても注目度は低く、企業内や健保組合内の問題として扱われてしまい、社会的な広がりに欠くところがあったと思います。最近になって、労働人口の減少=人手不足を踏まえ、従業員の定着と心身の健康増進、他方でブラック企業の評判や事故・不祥事等による生産活動へのダメージ、社会的信用失墜への対応といった企業の社会的責任が強く意識されるようになって、ようやくICTの役割も注目されるようになってきています。例えば、メタボ健診と称される特定保健指導と連動したウェルネスプログラムにICTを取り入れて習慣化を図ることや、ストレスチェックの際にデータの蓄積や解析を進めることなど、企業や健保組合での取り組みが図られるようになっています。健康経営をこれまでのように福利厚生のコンテンツとして捉えるのではなく、経営戦略の一環として位置づけることで、企業の成長に貢献するとともに、社会保障費の圧縮につながることになります。地域のヘルスケア(健康、医療、介護)と違って、職場などを通じて企業文化に直結するだけに、ヘルスケアデバイスやビッグデータの活用などICTの出番は多いと思います。特に、それぞれの企業の社内技術を活用した健康増進活動に注目が集まっています。健康経営の効果測定は非財務情報に基づくものだけに難しい問題ですが、社内の健康増進活動の成果を、健康度×生産性×プレゼンティズム指標の組み合わせで測定していくのが現実的でしょう(この点、花王グループの健康宣言が参考になります)。
最後に、NTTグループにおける健康経営の取り組みでは、前述のとおり健康経営優良法人として、2018年にNTT、NTT東日本、NTT西日本、NTTコミュニケーションズ、NTTデータ、NTTドコモなど主要な29法人が選定されています。ただ、まだ経営戦略との連携や企業文化のレベルにまで達してグループ全体の動きになっているとは残念ながら見受けられません。今後の一層の取り組み、体制やトップのコミットメントなどを期待しています。併せて、NTTグループ全体の総合的な戦略として目に見える形で情報発信することが必要でしょう。
また、健康経営銘柄には、残念ながら今日までNTTグループの上場会社4社(NTT、NTTデータ、NTTドコモ、NTT都市開発)は選定されていません。健康経営銘柄は経産省と東証による1業種1社を原則とする、いわば官製銘柄ですが、こうした非財務指標の評価の重要性が高まる方向はESG投資などで明らかなので、この流れに対応した経営戦略が求められます。
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