昔の世界の街角から:国境を越える
コロナ禍が続き、海外に容易に行けない状態が続いています。学生の頃から海外旅行好きだった筆者にとっては、今の状況はまるで江戸時代の鎖国状態のように感じられるところですが、同じように思う方も大勢おられることと思います。特に日本のような島国で育った身としては、海外へ行く、つまり国境を越えるということには、毎回特別な気持ちを感じ、素朴に国境というところはどうなっているのだろうと興味津々でした。今回の「世界の街角から」では、「昔の世界の街角から」シリーズとして、筆者が旅行や出張でかつて陸路や海路で国境を越えたときのいろいろな写真を交えて、それぞれの国境について時系列に紹介してみたいと思います。再び読者の方が海外に自由に行けるようになったときの選択の一端になれば幸いです。
韓国→北朝鮮(1986年)
最初に紹介するのは1986年3月の韓国と北朝鮮の国境にある板門店(パンムンジョム)の休戦会議場です。厳密には両国間は休戦状態であり相手の存在を公式に認めていないので、国境線ではなく、軍事境界線ということになります。当時は冷戦真っただ中でしたが、韓国側からツアーに申し込めば、国連軍(米軍)の招待客の扱いを受け、南北の会談が行われる会議場などの見学ができました。写真2のテーブルの上のコードが境界線で、ツアー客もテーブルを一周できましたので、一瞬ですが境界線を越え北朝鮮側にも入りました。当時まだ学生でしたが、このときの緊張感は今でも鮮明に覚えており、国境というものに強烈な関心を持ち始めるきっかけになりました。ちなみにこの10数年後にも中国から北朝鮮観光に行く機会があり、北側からもこの場所に入ることができました。
台湾・金門島(2006年)
21世紀に入ってからも国境を毎年のように目指しました。写真3は、実際に国境を越えたわけではありませんが、台湾が実効支配している金門島(そのうち中国大陸側に最も近い「小金門」という島。写真4の中央の島が金門島でその左側)から中国大陸を臨む境界線ぎりぎりの位置から撮ったものです。この頃、既に中国と台湾の間はこの金門島経由で相互訪問ができる「小三通」の時代になっていましたが、依然として海岸線は立ち入り禁止の場所が多く、かつての大陸側からの砲撃を防衛するための遺構などもあり、両岸間の緊張感が伝わってきました。その一方で、金門島から対岸の中国アモイまでの定期船も頻繁に出ており、両岸の交流が進みつつある状況でした。
ロシア・サハリン→北海道・稚内(2007年)
2007年の夏にサハリンの中心都市であるユジノサハリンスクを訪れる機会を得ました。ここは戦前日本が統治していた樺太の中心地であり、昔は「豊原」と呼ばれていた街です。今でも写真5のような日本の統治時代の建物がそのまま残っています。その帰途、サハリン南端のコルサコフ(旧大泊)から定期フェリーに乗って北海道の稚内に北側から戻ってきました。サハリンと北海道の間の境界線がどこにあるかはわかりませんが、写真6はそのあたりでフェリーから見た稚内市内で奥に見えるのが利尻富士です。北海道に北から入国するというのはなかなか珍しいのではないでしょうか。
フィンランド→エストニア(2010年)
写真7は2010年夏にフィンランド・ヘルシンキからエストニアの首都タリンまで大型フェリーで日帰りしたときのものです。両首都間はフィンランド湾をはさんで対面しており、フェリーで3時間程度。船上からだんだん近づいてくるタリンの街は美しく、国境を船で越える醍醐味を感じます。エストニアはICT先進国として有名ですが、この景色はそれとは全く対照的で、このタリン旧市街は世界遺産にもなっている街並です。
デンマーク→スウェーデン(2011年)
写真9はデンマークのコペンハーゲンからスウェーデン南端の都市マルメまで鉄道で向かい、国境を越えたときのものです。写真10はちょうど両国をつなぐ国境の長い橋を通過しているところです。欧州では普通の電車で国境を簡単に越えられるところが多数ありますが、国境好きにとってはうれしくなります。このときも電車に乗ったのはそれが目的でした。
北キプロス→キプロス(2013年)
次は、2013年に訪問したキプロス(北キプロス)です。キプロス自体は地中海の東寄りにある、EUにも加盟する島国ですが、写真11の地図をよく見るとわかるとおり、そのど真ん中を点線が2本通っています。この線が北キプロス・トルコ共和国とキプロス共和国を分ける境界線です。1960年にキプロスは英国から独立、当初はギリシャ系、トルコ系が混在した国でしたが、1974年にギリシャへの併合派のクーデターをきっかけに、それに反対するトルコ軍が北キプロスを占領して内戦となり分断、1983年北キプロスは北キプロス・トルコ共和国として独立。それ以降キプロスは南北に分断されたままという状態です。二本線の間は国連軍が緩衝地域として設けた「グリーンライン」という境界線になっており、首都ニコシアの真ん中をこの線が通過しています。北キプロスはトルコのみが承認しており、日本も国交はなく、日本では公式にはこの地域を「トルコ軍占領地域」としています。この年の夏休み、トルコを旅行したので、その近隣で国境を越えられるところはないかと考え、トルコから日帰りでこの北キプロスに行って首都ニコシアにある国境を越えてみました。
写真12はニコシアの北キプロス側から南側に通ずる検問所です。この普通の路地のような道が北キプロスとキプロスの間の緩衝地帯です。写真13の左側が向こう側へ行くための通り道。以前は北キプロスのスタンプがあると南側から別の国に出るときに問題があるので別紙にスタンプを押さないといけないなど、いくつかハードルがあったようですが、筆者が訪問したときは既にそのようなことはなく、至って平和的な雰囲気でした。ただ、写真14のように、緩衝地帯にあった建物はすべて立ち入り禁止になっており、放置されて数十年経過した廃墟同然で、分断の長さを象徴するものでした。
香港→中国(深圳)(2013年)
写真15は、香港(羅湖イミグレ)から中国・深圳に渡る国境の川の上です。筆者が初めて渡った国境は1985年、ここと同じ場所です。その際は香港はまだ英国領、中国側も市場経済になる前のまだ閉鎖的な環境で、中国側イミグレで強く緊張感を覚える状況でしたが、それから数十年後、双方の関係は大きく変わり、今では深圳が香港を凌ぐ勢いになっています。この写真の後にも数回香港から深圳に入りましたが、その後高速鉄道開通を含めていくつも中国側への入境ができるルートが増えました。中国側の変化をこの場所で毎回強く感じるところです。
韓国・プサン→日本・博多(2014年)
2014年春、韓国プサンに出張した際に、スマホを紛失し、その後運よく見つかったので再度プサンの警察にスマホを取りにいった帰路、高速船でプサンから博多まで乗り、日韓間の国境を海路で越える機会を得ました。せっかく船で国境を通過するので、携帯電話の電波状況を確認してみました。プサン出航から対馬海峡を1時間くらいすると右舷に対馬が見えてきます(対馬北端からプサンまでは直線で40㎞程度)。写真18左は、対馬の北端近くでキャプチャーした船の位置(点)です。韓国のキャリア、SK Telecomの電波をつかんでいるのがわかります(端末は国際ローミング状態で接続)。当時、日本の領海内でも、十分にSK Telecomの電波が届いていたことがわかります。基地局からの電波は本当に遠くまで飛ぶものだと改めて感心したものです。このあと、写真18右の位置でやっと圏外になりました。ただ、さらに対馬から南下して陸地から離れてしまうと、日本の電波も再び圏外になってしまいました。海路による移動だと、このような実験ができてなかなか楽しいものです。
クロアチア→ボスニア・ヘルツェゴビナ(2014年)
2014年夏、クロアチアの「アドリア海の真珠」といわれるドゥブロブニクを旅行した際に、近隣の旧ユーゴ諸国にも日帰りで訪問してみました。クロアチアの飛び地であるドゥブロブニクからボスニア・ヘルツェゴビナの古都モスタルに行くには、2回国境を越えます。ボスニアがアドリア海に接する唯一の街(ネウム)の手前で1回目の国境を越えてボスニアに入ります。写真19はその検問所、高速道路の料金所のような感じです。写真20はネウム対岸のクロアチア側の半島です。その後、クロアチア領内に戻り、再び2回目のボスニアとの国境に来ました。写真21はボスニア・ヘルツェゴビナの看板。ボスニア語はラテン文字とキリル文字の両方を使います。ちなみに、「ボスニア・ヘルツェゴビナ」というのが国全体の名称で、ボスニャック人とクロアチア人で構成される「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人の「スルプスカ共和国」の二つから成り立っているという複雑さ。前者がラテン文字を使い、後者がキリル文字を使っています。この地域の難しさが改めてよくわかります。かつてユーゴ内戦で民族間で激しい対立をした要因がこのようなところにも感じられます。
イタリア・ローマ→バチカン市国(2014年)
国境を越えると、どうしても当該国間の過去の対立などの歴史的背景もあり、緊張感を覚えてしまうことがしばしばですが、その一方で無意識に国境を越えてしまうようなケースもあります。写真23はイタリア・ローマにあるサンピエトロ大聖堂の手前の場所ですが、この先の道路あたりからがバチカン市国になります。欧州にはバチカンをはじめ、いくつも小国がありますが、小国の国境を踏破することが筆者の夢でもあります。
香港→マカオ(2019年)
最後は2019年に訪問した香港~マカオ間の境界です。同年開通した香港とマカオおよび広東省珠海を結ぶ世界最長55㎞の海上橋・港珠澳大橋をバスで越えました。この日は天気があまりよくなかったので、海上全体にガスがかかっていましたが、天気の良い日は最高の絶景が見られるでしょう。マカオ・珠海側にも巨大な人工島があり、そこにそれぞれの「口岸」、イミグレーションの大きな建物が鎮座しています。写真26のポイントを越えると、珠海へ向かう道と分かれてマカオ領内に入ります。中国語とともにポルトガル語の表示も見えてくるので、マカオに入ったことが改めて認識できます。
今号では羅列的になってしまいましたが、国境越えをすると両側の文化の違いや、なぜここに国境があるのかといった歴史的な背景など、様々なことに思いを馳せることができます。冒頭に述べたように、まだまだコロナ禍で自由に海外への訪問ができませんが、国境の向こうで何が起こっているか、ICTという手段を使えばある程度は知ることができます。自由に活動ができるまでアンテナを高く維持していきたいと思うところです。
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