2022年2月25日掲載 InfoCom T&S World Trend Report

「ビジネスと人権」 ~日本企業にとってピンチかチャンスか?



E(Environment)、S(Social)、G(Governance)が注目される中、Sの要素の一つである人権、とりわけ「ビジネスと人権」についての関心が高まっている。また、その概念も自社の従業員や顧客といったこれまで主に考えられていた対象範囲を超えて、製品やサービスの製造・開発から廃棄・終了に至るまでのサプライチェーン全体を含む多様なステークホルダーに拡大している。世界ではサプライチェーンにおける人権尊重を企業に義務付ける法制化が欧米を中心に進んでおり、サプライチェーン上で人権侵害が発生すればそれが直接的な取引先で発生したものでなくても企業の法的責任が問われる可能性がある。日本企業は国内のみならず海外の調達先や取引先などを含む自社のサプライチェーン全体において人権に関するリスクを特定し、適切に対処していくことを今後さらに求められることになるであろう。

第二次大戦後の経済のグローバル化に伴い、先進国のグローバル企業による環境破壊や途上国における強制労働などの問題が世界で注目されるようになり、企業による環境問題や人権問題への責任ある対応を求める声が国際社会で高まった。こうした流れを受けて、国際人権規約(1966年)[1]、OECD多国籍企業行動指針(1976年)[2]、労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言[3](1998年)、国連グローバルコンパクトの発足(2000年)[4]などにより、「ビジネスと人権」に関する国際ルールやガイドラインの策定などが進められてきた。

それらの中でも、現在、各国の「ビジネスと人権」の取り組みの基礎となっているのが2011年に国連の人権理事会の決議で支持された「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合『保護、尊重及び救済』枠組実施のために」[5](以下、「指導原則」)である。指導原則は2015年のG7エルマウサミット首脳宣言[6]で強い支持が表明された他、2017年のG20ハンブルグ首脳宣言[7]においても指導原則等の国際的に認識された枠組みに沿った人権の促進にコミットすることが表明されるなど、広く国際社会において支持されている。また、2015年に採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」[8]においても明示的に指導原則が言及されており、SDGs(持続可能な開発目標)の文脈においても重要な位置づけを占めるものである。

指導原則は(1)人権を保護する国家の義務(10原則)、(2)人権を尊重する企業の責任(14原則)、(3)救済へのアクセス(7原則)の3つの柱(合計31原則)からなり、各々の主体がそれぞれ果たすべき義務や責任などを挙げている。なお、人権とは、先に記載した国際人権規約を含む国際人権章典やILO宣言に規定されるもの(指導原則12)とされている。

企業が注目しておく必要があるのは、指導原則は国家のみならず企業にも人権の尊重を明確に求めていること(指導原則11)、また、人権を尊重する責任は企業の規模、事業状況、所有形態及び組織構造にかかわらず、すべての企業に適用されるとしていること(指導原則14)である。そして、指導原則そのものに法的拘束力はないものの、その内容が各国において策定される行動計画や法律に採り入れられており、世界における「ビジネスと人権」の様々な取り組みの枠組みを事実上規定しているものであることも理解しておくことが必要である。

指導原則は企業に対して(1)方針によるコミットメント、(2)人権デュー・ディリジェンスの実施、(3)是正を可能とするプロセス(指導原則15)を求めている。概括すれば、自社の人権に関する方針を作成・公開し、人権への負の影響を調査・分析し、特定された顕在的・潜在的な負の影響に対する予防・是正措置を実施すること、また、モニタリング等によって再発状況を継続的に把握して対応状況を人権報告書などにより外部に公開していくこと、さらには、実際に負の影響が発生(または助長)してしまった場合は、相談窓口の設置や対応プロセスの整備などの救済措置を講じることを求めている。

指導原則に基づき各国は行動計画(NAP:National Action Plan)の策定や法制化を進めており、2013年の英国を皮切りに2022年1末時点で26か国[9]がNAPを策定している。また、欧米を中心に人権を理由としたサプライチェーン規制強化等のための法制化も進められており、例として現代奴隷法(英 2015年、豪 2018年)、児童労働注意義務法(蘭 2019年)、サプライチェーン・デュー・ディリジェンス法(独2021年)、サプライチェーン透明法(米加州 2010年)などが挙げられる。また、EUも人権デュー・ディリジェンスを義務付ける法制化を進めている。日本企業は今後も人権リスクの多様化に伴い各国で新たな法制化が進められることを念頭に置いたうえで、専門家などの協力を得て各国の法制度に関する正確な情報収集と適切な対応を進めることを一層求められるであろう。

日本政府は指導原則や「OECD多国籍企業行動指針」「ILO多国籍企業宣言」[10]等の国際文書を踏まえ、2020年10月に「『ビジネスと人権』に関する行動計画(2020―2025)」[11]を策定した。この計画により(1)国際社会を含む社会全体の人権の保護・促進、(2)「ビジネスと人権」関連政策に係る一貫性の確保、(3)日本企業の国際的な競争力及び持続可能性の確保・向上、(4)SDGsの達成への貢献を目指すとしている。また、この計画においては政府から企業に対して、(1)日本企業が国際的に認められた人権等を尊重し、指導原則やその他関連する国際的なスタンダードを踏まえ、人権デュー・ディリジェンスのプロセスを導入すること、(2)サプライチェーンにおけるものを含むステークホルダーとの対話や効果的な苦情処理の仕組みを通じて問題解決を図ることへの期待が表明されている。

計画の枠組みとしては、政府が具体的に取り組むべき事項を指導原則に則り以下の3つの観点から分類して整理するとともに、これら3つの観点のうち複数の観点から横断的に取り組むことが適切と考えられる事項を6つの「横断的事項」として整理し、それぞれについて行動計画を定めるものとなっている。

◆3つの観点

  1. 人権を保護する国家の義務に関する取組
  2. 人権を尊重する企業の責任を促すための政府による取組
  3. 救済へのアクセスに関する取組

◆6つの横断的事項

  1. 労働(ディーセント・ワークの促進等)
  2. 子供の権利の保護・促進
  3. 新しい技術の発展に伴う人権
  4. 消費者の権利・役割
  5. 法の下の平等(障害者、女性、性的指向、性自認等)
  6. 外国人材の受入れ・共生

ここまで国際社会と日本における現在の「ビジネスと人権」の取り組みを方向付けている大きな枠組みについて記してきたが、現在の日本企業の取り組み状況はどうであろうか。経済産業省と外務省が連名で2021年9~10月に東証一部・二部上場企業等2,786社に対して実施した「日本企業のサプライチェーンにおける人権に関する取組状況のアンケート調査」の結果[12]を紹介したい。回答した760社のうち人権方針を策定している企業は69%(523社)、人権デュー・ディリジェンスを実施している企業は52%(392社)、人権に関する取り組みについて情報公開している企業は52%(398社)、被害者救済・問題是正のためのガイドライン・手続きを定めている企業は49%(371社)などとなっている。

日本企業は何を課題と感じているのであろうか。人権を尊重する経営を実践するうえでの課題について、「サプライチェーン上における人権尊重の対応状況を評価する手法が確立されていない」「サプライチェーン構造が複雑で、対象範囲の特定が難しい」をそれぞれ約40%の企業が挙げている。企業が特に人権デュー・ディリジェンスなどサプライチェーン上の人権状況の具体的な把握や評価のあり方について試行錯誤を繰り返しながら取り組んでいる実態が浮かび上がっているのではないか。また、「十分な人員・予算を確保できない」と体制上の課題も約40%の企業が挙げている。なお、政府・公的機関に対する要望として、「ガイドラインの整備・好事例の共有」「企業への情報提供及び支援」などが挙げられている。

今回の調査結果により日本企業の取り組みは一定程度進んでいることは窺えるものの、欧米を中心にサプライチェーン上の人権配慮が法制化される動きが既に進んでいる状況に鑑みれば、日本企業の取り組みの一層の強化と加速が喫緊の課題であると考える。まずは企業自身が当事者として「ビジネスと人権」を経営戦略上の重要課題の一つと位置づけ、経営陣がコミットして主体的に自社内の体制構築や従業員の人権意識の向上、人権デュー・ディリジェンスの深化、社外の専門家やステークホルダーとの情報・意見交換、情報公開などの取り組みを強化していくことが重要である。

これに加え、政府・省庁等においても、取り組みを推進するための政策や法制度等のあり方の検討をさらに深めることや、行動計画を着実に実行することが求められる。また、まだ取り組みが緒に就いたばかりで試行錯誤を積み重ねている企業も多いと考えられることから、企業にとって実効性の高い支援を行うことが必要である。特に、企業が人権デュー・ディリジェンス等のサプライチェーン上の人権尊重のための具体的な取り組み方法等について課題を感じている現状を踏まえれば、専門家等との協力のもと企業に対しこれに係るより実践的な仕組みや情報を提供していくことが重要であろう。また、中小企業の中には取り組みを進めるための人的・物的制約を抱える企業も多いことから、関係団体などと連携したきめ細かな情報発信や理解促進のための取り組みを一層加速することも急務である。

「ビジネスと人権」は対応を誤ると企業に甚大な被害や損失をもたらす可能性がある一方で、適切な対応によりESG経営を求める投資家やエシカルな消費者などからの評価を高め、業績拡大や企業の成長、ブランド価値の向上など企業に競争優位をもたらすものでもある。消費者、投資家、取引先企業などのステークホルダーが人権尊重の取り組みを企業価値判断の重要な要素と位置づけ、消費、投資、取引等を決めていく動きは各国で今後さらに高まるであろう。これをピンチとするかチャンスとするかは企業の取り組み次第であるが、日本企業がこれをチャンスと位置づけてこれまで以上に能動的に取り組むことにより、ESG経営をさらに進化させていくことを期待したい。

[1] 外務省「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)」 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2b_001.html
外務省「市民的及び政治的権利に関する国際規約約(B規約)」https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2c_001.html

[2] 外務省「OECD多国籍企業行動指針(2011年改訂版仮訳)」https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/csr/pdfs/takoku_ho.pdf

[3] 国際労働機関(ILO)「労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言とそのフォローアップ」https://www.ilo.org/tokyo/about-ilo/WCMS_246572/lang--ja/index.htm

[4] グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン「国連グローバルコンパクトが提唱する10原則」https://www.ungcjn.org/index.html

[5] 国際連合広報センター「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために(A/HRC/17/31)」https://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/resolutions_reports/hr_council/ga_regular_session/3404/

[6] 外務省「G7エルマウ・サミット首脳宣言(仮訳)」https://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/ec/page4_001244.html

[7] 外務省「G20ハンブルグ・サミット首脳宣言(仮訳)」https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000271331.pdf

[8] 外務省「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ(仮訳)」https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000101402.pdf

[9] UNITED NATIONS HUMAN RIGHTS OFFICE OF THE HIGH COMMISSIONER

https://www.ohchr.org/EN/Issues/Business/Pages/NationalActionPlans.aspx

[10] 国際労働機関(ILO)「多国籍企業及び社会政策に関する原則の三者宣言」https://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/---asia/---ro-bangkok/---ilo-tokyo/documents/publication/ wcms_577671.pdf

[11] 外務省『「ビジネスと人権」に関する行動計画(2020-2025)』https://www.mofa.go.jp/files/100104121.pdf

[12] 経済産業省・外務省「日本企業のサプライチェーンにおける人権に関する取組状況のアンケート調査」集計結果https://www.meti.go.jp/press/2021/11/20211130001/20211130001-1.pdf

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