世界の街角から:那須野が原に息づく開拓者精神
近年のテレワークの普及、働き方の多様化が進むなかで、都心のオフィスや自宅を離れ、風光明媚な場所で、仕事をしながら余暇を過ごす「ワーケーション」や「ブレジャー」[1]などの滞在型旅行が「新たな旅のスタイル」として盛り上がりを見せている。また、「二拠点居住」「ノマドワーク」など、自宅やオフィスの立地にとらわれず、移動しながら仕事に勤しむ生活様式を実践する人々もあらわれた。
また、生活者視点に立った新しいサービスや商品を生み出す場所として「リビングラボ」の立ち上げが国内各地で始まっている。リビングラボとは、「Living」と「Lab」を組み合わせた言葉で、生活空間そのものを実験場として、社会課題や地域課題の解決を目的とした事業の創出や技術の研究開発を進める取り組みである。
栃木県那須地域(那須町・那須塩原市・大田原市)では、一般社団法人ナスコンバレー協議会が中心となって、イノベーションを社会実装する国内最大規模のリビングラボ「ナスコンバレー」を2021年10月1日に立ち上げ、ソリューションの共創・実証実験・社会実装を進めている。
2023 年 9 月1日から2日にわたり、同協議会の主催で、「ナスコンバレー」2年の活動成果報告と、関係者および一般参加者向けの交流イベント『シン・未来構想サミット2023』が開催され、150名が参加した(図1)。今回は、那須地域の地理歴史に観光客ならびにイベント参加者目線で触れながら、新産業創出や地域活性化の取り組み、今後の展望について紹介する。
那須の広大な牧場
避暑地、牧場としての那須野が原の本格開発が始まったのは、明治維新以降である。大山巖と西郷従道が共同で農場を創設したのを皮切りに、明治の華族(特に薩摩藩出身者)は、こぞって那須野が原に牧場や別荘を構えた。海外留学や赴任経験で触れた欧州の農場への憧憬、郷土と同じ火山の麓という親近感があったのかもしれない。
筆者はまず、明治の元勲、松方正義が創設した千本松農場を訪問した。9月の初旬で天候には大変恵まれ、文字通り牧歌的な風景を楽しむことができた(写真1)。
しかしながら、肝心の乳牛たちは、トタン屋根のある餌場に籠もって酷暑をしのいでいる(写真2)。取材当日の最高気温は30℃を超えていたようで、小一時間牧場を歩き回った後は汗だくであった。本当に避暑地なのかといぶかしささえ覚えたが、地元の方々曰く、今年は異常気象とのこと。後ほど調べてみると気象台からの過去最高気温を記録したとの報道発表[2]があった。帰り際に、フルーツ直売所で梨とブドウを買い求め、涼を求めてログハウス調のソフトクリームショップに立ち寄る。牧場内で絞った新鮮な生乳を材料としたソフトクリームは、ほのかな甘みと脂肪分が感じられる優しい味。だが、猛暑はここでも襲ってくる。ぼやぼやしていると溶けて崩れてしまうので慌てて頬張った(写真3)。
那須野が原の地理と開拓の歴史
那須地域は今でこそ、都内から200㎞圏内、新幹線で約1時間、マイカーで2時間半と絶好のロケーションのリゾート地だが、古来は不毛の地であった。
那須野が原の西に連なる標高2,000m弱の那須火山群は、主に安山岩からなる成層火山であり、たびたび大規模な山体崩壊を起こし、裾野に大量の火山礫と黄色の火山灰を供給してきた。また、長年の浸食の結果、那珂川と箒川に囲まれた約4万ha(400km2)という日本最大級の広大な扇状地が形成されている。この扇状地の30~50㎝ほどの表土の下は火山性の岩石が主成分の砂礫層であるため、降水は瞬く間に地下深くに染み込んでしまう。江戸時代中期に、松尾芭蕉の足跡を辿った俳人、山崎北華の紀行文『蝶の遊』に、「手して掬ふ水もなし」との記述が残されている。那須野が原は、水不足に加えて内陸部で冷涼な気候もあいまって稲作に向かず、多くの人々が往来する奥州街道沿いという立地でありながら、手つかずの荒野が広がっていた。江戸時代後期には飲料水を確保する用水路は整備されたものの、田畑を潤すには至らなかったという(写真4)。
本格的な農業用水が整備されたのは、明治期である。1885年(明治18年)、当時「鬼県令」と呼ばれ、辣腕を振るっていた内務官僚三島通庸と地元有力者(印南丈作・矢板武)の運動により那須疏水と呼ばれる灌漑水路が開削された。まず、印南、矢板両名が私財を投じて試掘を開始し、粘り強い陳情と三島が内務省土木局長を兼任することとなったことを契機に、国の土木予算の1/10を投じた大規模直轄事業として遂行され、わずか5カ月で完成。不毛の荒野一帯を潤すこととなった(写真5)。
那須疏水の完成よって開拓が本格化すると、三島家や松方正義らの別荘は、当時の皇太子・嘉仁親王(=後の大正天皇)が静養する行啓先となった。1926年には、裕仁親王(=のちの昭和天皇)のご成婚を機に那須御用邸が建設され、現在に至るロイヤルリゾートが形作られたのである。
那須野が原の開拓は、戦後も続けられた。戦前、軍馬や農耕馬の放牧地であった共有地は、満州引揚者や復員軍人に払い下げられた。彼らは、寒冷な気候や酸性の土壌に屈せず、試行錯誤を繰り返しながら酪農をはじめとして、野菜や牛、豚を育て、共同しながら、農場経営を確立していったという。写真6の戸田調整池は1992年と比較的近年の完成であるが「水を求めて」との看板が掲げられているのが、印象的であった。
昼食は、『シン・未来構想サミット2023』の会場となったTOWAピュアコテージのレストランでふるまわれたカレーライスを頂いた(写真7)。
地元米「なすひかり」のごはんは、香りがしっかりしており、柔らかさと硬さのバランスがよい。地元野菜のシャキシャキとした食感とあわせて楽しみながら、砂礫だらけの原野を、気の遠くなるような作業で豊かな田畑に造り替えた先人の苦労には敬服するばかりであった。
日本最大級のリビングラボナスコンバレー
国内最大規模のリビングラボ「ナスコンバレー」は、東京ドーム170個分の私有地を含む広大な実証フィールドである。那須連山の主峰茶臼岳の裾野に広がる、日本駐車場開発株式会社が保有するリゾート「那須ハイランド」の敷地を活用し、会員企業32社と地元3自治体が官民共同となって、カーボンクレジット、Well-being、空き家再生、バイオマス等といった、社会課題、地域課題をテーマとした実証プロジェクトを推進している(図2)。主催団体である一般社団法人ナスコンバレー協議会の発表によれば、設立2年で、7件の事業化を含む37件の取り組みが着手、実行されたとのことである。広大な敷地面積と私有地であること、地元自治体との密接な関係性を活かし、複雑な法規制(例えば、航空機や建築物に関する法令)の障壁を比較的容易にクリアできることが最大の強みであることなどの説明があった。
また、美しい大自然に囲まれた、ナチュラルテイストなコテージで、多様なバックグラウンドの人々がフラットに対話するという、非日常的な体験もナスコンバレーの魅力である。火山の恵みである森林や温泉でくつろぎつつ、シャープな発想や構想を披露、共感しあいながら、じっくりと事業の計画を練り上げることができそうだ。ビジネス街のオフィスで、島型デスクや狭い会議室に座って議論しているばかりでは実現しえないようなことが、偶発的かつ連鎖的に起こり、新たなつながりや価値が生まれるのではないかとの期待が高まる空間である(写真8)。
訪れる人住まう人に優しいロイヤルリゾートづくりの取り組み
2023年3月、観光庁は高付加価値旅行者の誘客に向けて集中的な支援等を行うモデル観光地11地域を選定した。那須および周辺地域エリアはその一つに選定されている。セッションでは、那須地域のインバウンド観光客を国地域別に集計すると、アジア圏、とりわけ台湾からの来訪客が非常に多いとの紹介があった。登壇者によれば、栃木県は全国平均と比較してコロナ後のインバウンド観光客の回復は堅調とのこと。今後は、旅行会社主体で企画された発地型観光から、着地型観光への転換を図り、近隣観光地の日光(欧米観光客の来訪比率が高い)や会津の大内宿などと連携した、回遊型モデルルートを模索していく意向という発言があった。その実現には、地域の伝承に根差したコンテンツも重要だろう(写真9)。国レベルの取り組みとしては、海外からの「ワーケーション」を想定して、省庁間で連携して税制面の検討も行われているそうである。
ナスコンバレーの一部は日光国立公園に含まれており、自然を満喫できる上質なツーリズムも構想されている。このテーマに対する具体的な施策として、環境省が提唱する「国立公園満喫プロジェクト」が話題に上がった。地域と対話しながらメリハリのある保護と利用の両立を図る取り組みであり、富裕層やインバウンド観光客のさらなる誘致が進むことが期待される。
筆者にとって印象的だったのは、当日のセッションにおいて、複数の登壇者がキーワードとして、「オフグリッド」取り上げていたことである。会場では、用水路での小水力や牛糞堆肥のバイオマス発電を需要家目線で導入し、地域内で消費するモデルが提案されていた。人口減少に伴って現状維持が困難となりつつある地域インフラのあり方として、注目すべき提言である。旅行者目線でも、カーボンニュートラル、循環型消費という新たな価値も加わっていくことだろう。
観光を基幹産業とする地域の活性化には、デジタル化とデータ活用も欠かせない。登壇した地元首長によれば、土産物店にキャッシュレス決済の導入を促した結果、高額な工芸品が売れるようになったそうである。また、那須町ではふるさと納税の自動販売機が道の駅に設置されている(写真10)。栃木県内初の取り組みだったそうだが、設置後数カ月で100万円の寄付が2件あったとのことで驚かされた。ふるさと納税の返礼品としては、金額ベースでは宿泊ギフト券が最も多く、乳牛製品、肉、米、化粧水なども選択されるようにすることが、地域全体に効果を波及させていく上での課題だという。行政が保有するデータを、民間の事業活動に還元することの重要性を示す好例である。
おわりに
那須野が原は、近代において本州最大のフロンティアであったといえよう。その精神は時代に応じてあり方を変えつつ、今も息づいている。ナスコンバレーにおける公民連携は非常に密であり、「よそ者、若者、ばか者」を迎え入れてきた歴史と風土に根差しており、特筆すべき点である。
参加者間の対話の中で、いくつかの新たなビジネスの種も生まれた。一例として、空き家の防災活用を挙げたい。空き家問題は、歯抜けな街並みや無秩序な開発・土地利用を招きかねない地域社会全体の課題だが、わが国の住居ストックは、世帯数に対して相当過剰となっており[3]、放置すれば人口減少とともにそのギャップは拡大するだろう。一方で、豪雨災害は年々激甚化し、首都直下型あるいは南海トラフなどの大規模地震の発生も確実視され、誰しもが家を失うリスクを抱えている。懇親会では、空き家を「第二の生活拠点」と再定義し、平時には旅行先として定期的に滞在、被災時には生活再建の場として活用するというビジネスアイディアが披露され、多くの共感が集まっていた(写真11、12)。
人口減少社会において、より多くの人々が「集う」街づくりには、モビリティ、医療、教育といった課題の解決も必要となってくる。「通信」はこれらの課題を複合的に解決するにあたってのキーテクノロジーの一つであり、パネルディスカッションでも生活を成り立たせる上で欠かせないものの一つとして言及されていた。
ナスコンバレーには、より良い社会を創るという目的に向けて行動する社会人「インタープレナー」[4]が各セクターから集まっているという。このインタープレナーの緩いつながりから、自律分散型でレジリエントなネットワークやエコシステムが形成され、未来社会に実装されていく場として、那須野が原は21世紀社会においてもフロンティアであり、熱気を帯び続けている地であると感じた。
[1] 観光庁では、「ワーケーション」をテレワーク等を活用し、普段の職場や自宅とは異なる場所で仕事をしつつ、自分の時間も過ごすこと。「ブレジャー」を出張等の機会を活用し、出張先等で滞在を延長するなどして余暇を楽しむことと定義している。参考:https://www.mlit.go.jp/kankocho/workation-bleisure/
[2] 下野新聞社「8月の平均気温、栃木県内12観測地点で過去最高 佐野は29・6度、小山は28・9度
宇都宮地方気象台速報」(2023年9月1日)https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/784440
[3] 国土交通省 住宅局 「空き家政策の現状と課題及び 検討の方向性」(2022年10月)https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001518774.pdf
[4] 「インタープレナー」とは、自らの意思でより良い社会を創るという目的のために行動し、所属する組織を含めて自分が動かせるものを動かして価値創造を行っていく個人のこと。1995年に『失敗の本質』で知られる経営学者の寺本義也氏が論文で発表。発起人企業の一つである、SUNDRED株式会社は、「インタープレナー」を新産業の担い手と定義し、インタープレナーコミュニティの運営も行っている。
※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。
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