電子国家エストニアについて
デジタル化の遅れが顕在化している我が国に対し、電子国家としての確固たる地位を確立しているのがエストニアです。私が9月に訪問した際に、政府関係者やスタートアップ企業経営者と意見交換をしてきましたので、それを踏まえてエストニアの取り組みについてご紹介したいと思います。その上で我が国の今後の進むべき方向性について考察することとします。
なお、11月30日に公表された「IMD世界デジタル競争力ランキング2023年版」によるとエストニアは18位、日本は32位にランク付けされ、日本の順位は過去最低を更新しました。同ランキングは、デジタル技術をビジネス、政府、社会における変革の重要な推進力として活用する能力と態勢を、国・地域ごとに測定、比較するものです[1]。
<エストニアの歴史的経緯>
エストニアの歴史を紐解くと、大半は占領の歴史と言えます。中世以降、デンマーク、帝政ロシア、スウェーデン、ポーランド、ドイツ、ソ連と多くの国に侵略されてきました。1918年にロシアからの独立を果たしますが、第二次世界大戦前後に再びソ連から侵略され、エストニアはソ連の軍事基地となります。その後、1991年のソ連崩壊後再びエストニアは独立を果たしました。しかしながら、社会主義から資本主義に移行したばかりのエストニアには経済的余裕はありません。また、主力産業も資源もありませんでした。そこで、旧ソ連の支配下の頃から持ち合わせていた暗号技術を中心とした最先端技術の研究所やその技術者を活用し、政府としてIT産業に注力しました。
今でもいつ国が占領されてなくなるかわからない、そして国民が散り散りになるかもしれない、そうなったとき電子国家として、国民・国家のデータさえあれば再建できるという考え方がエストニア人の心の中にあり、今日の姿の礎となっていると言えます。
<電子国家エストニア>
現在エストニアでは離婚を除いた、ほぼすべての申請手続きがオンラインでできます。さらに行政手続きだけでなく、医療、教育、投票、登記といった様々な分野で電子化が実現しています。税金の申告では国民IDカードとモバイルIDによって本人確認ができ、わずか3分で完了します。企業設立においては、24時間365日受付可能で、費用は日本の10分の1、所要時間は日本では3~5日要するのに対し数時間で完了します。出産時には、病院から出生証明書が電子的に提出され、住民登録がされます。そのデータに基づき、タイムリーな子育ての案内が保護者に届きます。保護者はその案内に基づいて、保育園等の申請をはじめ各種手続きをオンラインで行います。
医療においても電子化は進んでいます。救急医療におけるケースですが、救急隊員が駆けつけて患者を救急車で病院へ搬送する際に、タブレットに患者のIDを入力すると本人の基本情報を閲覧することができ、患者に初期対応を施すことが可能になります。受け入れる病院も事前に準備をすることができるため、救命率の向上に寄与します。電子処方箋もオンラインで発行され、薬剤師がセンターにアクセスし、薬を処方します。そして、薬局窓口ではIDカードによる本人確認を実施した上で、薬の受け渡しが可能となります。患者は患者ポータルサイトにより自分の医療データを確認できるだけでなく、誰がアクセスしたのかを把握できるため信頼性が確保されている仕組みと言えます。
また、モビリティにおいては、活発なスタートアップ企業の活躍により自動運転や物流配送等の実証が進められており、水素エンジンによる自動運転バスが走行しています。除雪状況の可視化という、日本でもいくつかの自治体に導入されているシステムもあります。ブロックチェーンを活用したエネルギーのマネジメントもされており、さらに教育のデジタル化が進んでいることにより、子どものうちからデジタルに慣れ親しむ環境が整っています。
デジタル化が進展する素地を持っていたエストニアですが、必ずしも導入がスムーズに進んだわけではありません。2001年に、電子国家エストニアを象徴する電子データ共有システムX-Roadができ、日本のマイナンバーにあたる国民IDカードは2002年に誕生しました。また、法人設立が30分でできる仕組みは2012年に、エストニアに住んでいなくても市民カードが持てる電子市民制度は2014年にできました。X-Roadは非常にセキュリティ性の高い都市OS基盤であり、エストニアの仕組み実現に大きな貢献をしていることは疑いようのない事実ですが、テクノロジーが独立して機能しているわけではなく、社会を規律する法律や規制、全体をマネジメントする政府機関があって初めて実現します。これらの仕組みが一体となって運用されているからこそ、電子国家を構成する様々なツールが社会にしっかりと根付いて機能していると言えます。歴史的に電子化を受け入れやすいという素地があったとはいえ、国民の合意を得るためには相当の手間と時間をかけて現在があるのです。実際、X-Roadを開始した直後は利用が低調でしたが、住民にとって利便性の高いサービスとの連携が開始されると、一気に利用が拡大しました。エストニアですら、こういった何らかのブレイクスルーを経ないと普及しなかったという現実があります。
<我が国への示唆>
一方で、我が国の状況をみてみると、デジタルを活用しなくてもそこそこ便利な生活を過ごしていると言えるのかもしれません。デジタルを活用すればもっと便利になるのに、と感じるシーンは多々あるものの、現状に大きな不満がないので、あえて現状を変えたくないと考えている国民が多いのではないでしょうか。現状に満足、少なくとも不満を感じていないからこそ、デジタル化しようとする動きに対してはネガティブな面ばかりが強調され、導入しない方向に流れてしまっていると言えます。危機感が乏しいために課題ばかりが強調され、現状を変えようという動きにつながっていかないのではないでしょうか。
とはいっても、あきらめる必要はありません。関心の高い地域の住民、自治体職員、企業が一体となって、時には政府からの支援を受けて、草の根的に徐々に進めていけば道は拓けると思います。たとえきっかけは外部から持ち込まれたとしても、地域の住民同士が交流することでデジタルデバイドを解消する仕組みを整え、自走していくことが重要です。そのためには子供と高齢者をつなぐ可能性を秘めているeスポーツが一つの有力なツールになるかもしれません。eスポーツ等を通じて多世代が交流し、デジタルデバイドを解消する仕組みができれば、次は例えば、歩数等を地域通貨に連携させるといった高齢者に関心の高い、恒常的に利用したくなるようなインセンティブの仕組みを構築して、地域に根付かせる土壌を作ります。そして子育て世代、そしてその他の世代へと対象者を徐々に拡大していくことで、良い循環を作り出すことができると思います。
エストニアでは多くの方々と話をしましたが、住民は特にデジタルを意識して生活しているわけではなく、既に生活の一部として溶け込んでいるという感じでした。デジタルは目的ではなく、我々の生活を支える手段の一つに過ぎません。最先端のデジタル技術を追い求めるというより、既存の技術の中で何を使えば便利な生活を実現できるのかを考えることが重要ではないでしょうか。自分たちだけで一から独自のシステムを構築しようとするのではなく、世界のどこかに便利なツールがあるのであれば、それを最大限利用するという柔軟な発想が必要なのではないかと思います。
エストニアにはエストニアの良さがありますが、我が国にも非常に困難な時代を何度も乗り越えてきた歴史があり、我が国の良さがあります。住民一人一人が本当に便利さを実感して主体的に動く仕組みができれば、他の地域でも参考にしようという動きが生まれ、一気にデジタル化が加速していくのではないでしょうか。そして、やがては他の国からも参考にしたいというモデルができ上がるかもしれません。こうしたことを目標にしながら、これからもチャレンジ精神の旺盛な自治体とともに、スマートシティ実現に引き続き尽力していきたいと考えています。
[1] https://www.imd.org/news/world_digital_competitiveness_ranking_202311/
※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。
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