より実効性のある公益通報者保護制度の確立に向けて

勤務先で不正行為などが行われていることに気づいたら、読者諸氏はどのような行動をとるだろうか? 内部告発文書を巡る問題がマスコミやSNSなどで大きく取り上げられたことなどを契機に、公益通報者保護制度に対する関心が一段と高まっている[1]。同制度は公益通報者の保護を通じて労働者などによる公益通報を促し、事業者の法令違反を早期に発見・是正することにより国民生活の安心と安全を守るためのものだ。
不正・不祥事は、国内外を問わず内部関係者による外部への通報を契機として明らかとなることも多い。労働者は内部の不正行為をいち早く知り得る立場にあり、不正・不祥事の防止や早期発見・是正に果たす役割は大きい。一方で、不正行為などを通報した場合、解雇や懲戒などの不利益を一方的に被るおそれがあり、公益通報者の保護のあり方が近年各国で課題となっていた。
そうした中、1990年代後半から「不正を通報する労働者は公益を守る重要な存在である」との考えの下、各国で公益通報者を保護するための法整備が進められた。例えば、欧米では英国で公益開示法(1998年)が、米国でサーベンス・オクスリ-(SOX)法(2002年)やドット=フランク法(2010年)などが制定された。わが国においても企業などによる不正・不祥事が後を絶たない中、こうした公益通報者保護の国際的な趨勢も踏まえ、2004年に公益通報者保護法(以下、「同法」)が制定された。これにより公益通報を行ったことを理由とした通報者の解雇や不利益な取り扱いが禁止されるとともに、公益通報に対して事業者や行政機関がとるべき措置が定められるなど、公益通報者を保護する法的枠組みが出来上がった。
しかしながら、同法施行後も、自動車メーカーによる認証申請不正問題や中古車販売会社による自動車保険の保険金不正請求問題など、内部通報制度が適切に機能しなかった事案が相次いで発覚し、大きな社会問題となった。大企業といえども内部通報制度に依然として不備があることが明らかになり、同法の抑止効果・実効性に対する懸念や、改正を求める声も高まった。
果たして同法は十分に機能していたのか? 2023年11月に消費者庁が実施した調査[2]でまず明らかになったのは、内部通報制度の認知度の低さだ。制度を「知らない」「名前は聞いたことがある」と答えた人の割合は全体で61.4%だった。従業員5,000人超の企業でも47.7%と、約半数の人が内部通報制度を理解していないことが明らかとなった。また、内部通報窓口の設置について、「設置されていないことを知っている」「設置されているかわからない」と答えた人の割合は全体で69.8%、従業員5,000人超の企業でも45.7%だった。勤務先で重大な法令違反を目撃したとして通報しない理由で最多だったのは、「誰に相談・通報したらよいか分からないから」だった。さらには、年代が若く、制度を知らない人ほど一番通報しやすい先として「インターネット上のウェブサイト、SNS等」と答える割合が多くなる傾向も明らかとなった。通報窓口の未設置状態や周知不足を放置すると、不正・不祥事がインターネットやSNS等を通じて外部に発信され、企業自身が把握する前に顕在化して大きな社会問題に発展するという、ネット社会ならではのリスクが現実化する可能性を示すものと言える。
また、実効性の面では、法律はできたものの通報者が内部通報制度に不信感を抱いていたり、人事異動などで報復を受けていたりする実態も明らかとなった。通報を後悔した理由について、「相談・通報したが、不正に関する調査や是正が行われなかったから」が57.2%[3]と最多だった。ダイハツ工業の認証申請不正問題を調査した同社第三者委員会の報告書 においても、「内部通報を行っても、(中略)隠ぺいされるか、通報者の犯人探しが始まるだけです」との社員の生々しい声が紹介されている。2番目に多かったのは、「人事異動・評価・待遇面などで不利益な取り扱いを受けたから」の42.1%だった。これらのデータから、同法には実効性の面でまだまだ課題が多いことがわかる。
こうした回答が多数を占めた背景には、わが国の企業風土や労働慣行に起因する事情も多分にあると考えられる。特に、共同体的な慣行や内向きで閉鎖的な企業風土などを色濃く残す企業ほど理想と現実のギャップは大きく、内部通報制度の導入や強化に対する社内の抵抗も大きいと言われている。日本企業が直面する大きなジレンマの一つであろう。
さらには、そもそもの法的枠組みについても指摘が相次いだ。例えば、保護対象となる通報者の範囲が現役の労働者に限定されており狭すぎるといった指摘や、民事的な効果だけでは不利益な取り扱いの抑止に不十分なのではないかといった指摘だ。
施行後より指摘されてきたこれらの諸課題への対応を図るため、同法は2020年に16年ぶりに改正された。この改正においては、従前よりも一歩踏み込んで、内部通報に適切に対応するための体制整備などが事業者に義務付けられた[4]。この中で、通報に対応する業務への従事者を指定する義務も課された。また、通報者を特定させる情報の守秘も従事者に義務付けられ、違反した場合は30万円以下の罰金を科すこととされた。併せて、保護対象もそれまでは労働者のみであったが、(1年以内の)退職者、役員も追加された。さらには、体制整備義務に違反した事業者には助言、指導、勧告などの行政措置を行うこととされた。これらにより、事業者における体制整備が進み、通報件数の増加や内部通報制度に関する認知度の向上も認められるなど、法改正の一定の効果があったことが消費者庁の調査[5]で確認されている。
一方で、同調査は、従業員数300人超の企業であっても、内部通報の方法や不利益な取り扱いの禁止等について、法律の指針が求める規程の整備や周知を行っていない事業者が一定割合存在していることや、内部通報窓口が設置されていても、通報に対して組織的な対応が行われていない可能性があることなどを明らかにしている。また、従事者の指定義務を認識しながらも従事者を指定していない事業者が約11%いることや、内部通報制度を導入している事業者であっても窓口の年間受付件数を「0件」、「1~5件」又は「把握していない」と回答した事業者が約65%いることも判明するなど、法改正後においても内部通報制度の実効性には依然として様々な課題が残されていることも明らかにされた。
世界に目を転じると、近年、公益通報者保護に関する法整備は急速に拡充され、わが国に先んじて公益通報者の保護をより強固なものにする動きが加速している。例えば、欧州連合(EU)は2019年に公益通報者保護指令を定め、従業員数50人以上の事業者に内部通報への対応手続きの策定義務を課すこと、また、通報の妨害、通報者への報復、通報者の身元の漏えいについて、自然人および法人に対する罰則を国内法で規定することを加盟各国に求めた。これを受け、全27加盟国で国内法制化が完了している。また、同年のG20大阪サミットにおいては、G20各国が公益通報者保護のための効果的な制度を整備し実施するための基盤を成すものとして「効果的な公益通報者保護のためのG20ハイレベル原則」が採択されている。さらには、国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会は、2024年に公表した訪日調査報告書でわが国の公益通報者保護法の脆弱性を指摘し、次の同法の見直しにおいて「同法を自営業者、請負業者、供給業者、労働者の家族及び弁護士に適用すること、公益通報者に報復する事業者に対する制裁措置を設けること、及び公益通報者に対する金銭的インセンティブ又は同様の報酬制度を提供することを含め、公益通報者の保護をさらに強化すること」を勧告している。
こうした国際的な動きに通底するのは、①契約関係の性質に関わらず、できる限り広範な人々を保護すること、②公益通報を理由として不利益な取り扱いを行った者に対する制裁を国内法で規定すること、③不利益な取り扱いが通報を理由としていることについて、通報者の立証責任を事業者に転換すること、など公益通報者の保護を一層強化する考え方だ。このような国際的な公益通報者保護強化の潮流は、わが国の公益通報者保護法制に一層の実効性の向上を迫ることとなった。
また、ビジネスの現場においても国際的な人権尊重の潮流や、ESG(環境・社会・ガバナンス)投資の拡大とも相まって、企業の透明性と倫理的行動がこれまで以上に問われる時代である。コーポレートガバナンス・コード(原則2-5)は「上場会社は、その従業員が、不利益を被る危険を懸念することなく、違法または不適切な行為・情報開示に関する情報や真摯な疑念を伝えることができるよう、また、伝えられた情報や疑念が客観的に検証され適切に活用されるよう、内部通報に係る適切な体制整備を行うべきである。取締役会は、こうした体制整備を実現する責務を負うとともに、その運用状況を監督すべきである。」としている。グローバルに事業展開する日本企業にとっては、取引先やサプライチェーン上の企業に対しても各国と同様のコンプライアンス水準が求められることから、内部通報制度の整備はもはやビジネスにおける国際競争力の観点からも避けて通れないテーマだ。
このような国内外からの要請に応えるべく、2024年5月から消費者庁の「公益通報者保護制度検討会」において、有識者による議論が進められてきた。その結果が同年12月に「公益通報者保護制度検討会報告書[6]」として公表された。これを受け、政府は本年3月4日に「公益通報者保護法の一部を改正する法律案」を閣議決定し国会に提出した。主なポイントは次のとおりだ。
- 公益通報を理由とする解雇・懲戒処分に刑事罰の新設(法人・個人)
- 公益通報を理由とする解雇・懲戒処分の因果関係の立証責任を通報者から事業者に転換
(現行制度では処分の違法性を立証する責任は通報者側にあるが、改正後は事業者側が処分の妥当性について立証責任を負う) - 正当な理由がなく公益通報者を特定する行為や、公益通報をしないことを約束させる行為の禁止
- 従事者指定義務に違反する事業者に対する立入検査権限の新設。勧告に従わない場合の命令権及び命令違反時の刑事罰の新設
- 公益通報者の範囲にフリーランスを追加(現在は労働者、退職者、役員)
刑事罰の新設と、解雇等処分の因果関係の立証責任を事業者側に転換することを含む今回の改正案は、昨今の国内外からの要請に応えて公益通報者の保護をより強固なものにするとともに、報復行為に対する抑止力を高めるものであり、わが国の公益通報者保護制度の実効性を高め、国際水準に近づけるための大きな前進として評価したい。
一方で、例えば、刑事罰の対象とされた解雇・懲戒処分以外の退職勧奨やハラスメントなどを刑事罰や立証責任転換の対象に含めるかどうかなど、「引き続き検討すべき」とされた課題も多い。これらについて今後さらに検討が深められ、早期に公益通報者保護制度の一層の充実が図られることを期待したい。
前述のとおり、わが国の公益通報者保護制度には様々な課題が残されている。企業風土や社員の意識といった、理屈だけでは変えることが難しい領域に踏み込んで改革を進めることが必要だ。そうした性質上、一朝一夕に大きな変化を望むことは難しいかもしれないが、法改正などを通じて着実に改革を進めていくことが重要だ。今後、公益通報者保護制度に対する国民の関心がさらに高まるとともに、公益通報が当たり前のように積極的に活用され、企業価値の向上と国民生活の安心・安全が確保される社会が一日も早く到来することを期待したい。
[1] 本稿では、公益通報を「労働者・退職者・役員が、不正の目的ではなく、勤務先における刑事罰・過料の対象となる不正を通報すること」として論じる。
[2] 消費者庁「内部通報制度に関する就労者1万人アンケート調査の結果について」(令和6年2月)https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/research/assets/research_240229_0001.pdf
[3] ダイハツ工業株式会社 第三者委員会「調査報告書」(2023年12月20日)P112~113 https://www.daihatsu.com/jp/news/2023/report_2.pdf
[4] 常時使用する労働者が300人以下の企業などは努力義務
[5] 消費者庁「民間事業者の内部通報対応-実態調査結果概要-」(令和6年4月) https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/research/assets/research_240426_0001.pdf
[6] 消費者庁「公益通報者保護検討会報告書」(令和6年12月27日)https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/meeting_materials/review_meeting_004/assets/consumer_partnerships_cms205_250109_01.pdf
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