2023.1.10 ITトレンド全般 InfoCom T&S World Trend Report

Qualcomm「Snapdragon AR2 Gen1」に見る ARグラスの進化

Google Glassから10年

「Google Glass」を覚えているだろうか。Googleが2013年に開発者向けに販売したARグラスである。2013年と言えば、今やスマートフォン普及の立役者となったスマートフォン向けOS「Android OS」が発表された僅か3年後だ。同社は、インターネットにつながる時代、いわゆるIoT時代の到来を予期して、スマートフォン以外のデバイスにも事業領域を拡大し、世界に先駆けてARグラスを開発した。当時を思えば、これが第1回目のAR元年だったと言える。筆者もGoogle Glassの販売によりARグラスが本格化するといった期待から、渡米した際に購入した(写真1)。購入当時は、入手した嬉しさからGoogle Glassを装着して歩き回り様々な機能を試した。実際にGoogle Glassを利用してみると、ナビゲーション機能や骨伝導を活用した音楽再生などの使い勝手がよく、機能面では非常に満足していた。一方、Google Glassの大きなテンプル(つる)など独特な形状が気になって(写真2)、恥ずかしさが勝ってしまい、歩いている最中に外してしまうことも多かった。Google Glassが販売されて10年が経ち、いよいよARグラスがよりメガネに近い形状になる可能性がでてきた。以下では、そうした期待を抱かせる直近のQualcomm等の動向について紹介する。

【写真1】筆者所有の「Google Glass」:10年経った今も正常に動いている

【写真1】筆者所有の「Google Glass」:10年経った今も正常に動いている

【写真1】筆者所有の「Google Glass」:10年経った今も正常に動いている
(出典:筆者撮影)

 

【写真2】大きなテンプル(つる)

【写真2】大きなテンプル(つる)
(出典:筆者撮影)

Qualcomm、ARに特化した「Snapdragon AR2 Gen1」を発表。

2022年11月、Qualcommはハワイで開催した「Qualcomm Summit 2022」において最新ARグラス向けチップセット「Snapdragon AR2 Gen1」を発表した。同社は既にVR/MR/AR向けのチップセットとして「Snapdragon XR」の提供を開始しているが、これは主にVRやMRといった比較的に大きいデバイス向けのチップセットとして採用されてきた。一方、ARグラスといったメガネ型端末の限られたスペースに同チップセットを導入するには課題があった。今回発表したチップセットは、このARグラスに特化・最適化したチップセットとなっている。

Snapdragon AR2 Gen1の大きな特徴は、従来ワンチップで提供されている機能を、「ARプロセッサー」「ARコプロセッサー」、そして「通信モジュール」(Qualcomm FastConnect 7800)の3チップに分け、それぞれのチップがARグラス内で連動する分散処理アーキテクチャーが採用されたことだ。Qualcommの発表では、Snapdragon AR2 Gen1のARグラス搭載例(図1)として、ARグラスの左右にあるテンプル部分にそれぞれARプロセッサーと通信モジュールを配置し、グラスの真ん中部分にARコプロセッサーを配置している。Qualcommは、チップを3分割することで、ワンチップに比べて実装面積を40%削減することに成功し、ARグラスのさらなる小型化・軽量化が実現できると発表している。

【図1】ARグラスに搭載させたSnapdragon AR2 Gen1のイメージ

【図1】ARグラスに搭載させたSnapdragon AR2 Gen1のイメージ
(出典:Qualcomm Launches Snapdragon AR2 Designed to Revolutionize AR Glasses, https://www.qualcomm.com/news/releases/2022/11/
qualcomm-launches-snapdragon-ar2-designed-to-revolutionize-ar-gl)

ホストデバイスとして「スマートフォン」と「PC」を活用

Snapdragon AR2 Gen1が採用している分散処理アーキテクチャーは、ARグラス内にとどまらない。実のところそれには、ARグラスが接続しているスマートフォンとPCも含まれている。

スマートフォンやPCはホストデバイスとして重いデータの処理を実施し、ARグラスではセンサーで収集したデータの取得や画像やテキストをグラス上に表示させるディスプレイ処理をする。つまり、電力の消費が高いタスクは、ホストデバイスが実施することになるのだ。

このような分散処理アーキテクチャーを構成する場合、ARグラスとホストデバイス間の通信速度と遅延が重要になる。そこで、Snapdragon AR2 Gen1では、次世代無線LAN規格のWi-Fi 7(P802.11be)が採用されている。Wi-Fi 7は、2024年頃の策定を目指して議論中の技術だが、QualcommはSnapdragon AR2 Gen1に含まれる通信モジュールとWi-Fi 7を活用することで、最大スループットを5.8Gbpsとし、遅延に関しても2ms未満に抑えることができると発表している[1]

Snapdragon AR2 Gen1で採用された分散処理アーキテクチャーが実現されれば、ARグラスのさらなる小型化・軽量化が期待できる。一方で、ユーザー目線で見ると、この分散処理アーキテクチャーを活用するためには一定の条件を満たす必要がある。まず、Wi-Fi 7対応のホストデバイスを入手しなければならない。Wi-Fi 7の標準化作業は進められているが、本格的にスマートフォンやPC等に搭載されるのは2024年以降と考えられており[2]、入手までに時間がかかる。さらにもう一点として、ホストデバイスに内蔵されているチップセットの問題がある。Qualcommの発表を見ると、同社の最新チップセットSnapdragon 8 Gen 2をホストデバイスに搭載することがARグラス利用の前提のように見える(図2)。つまり、Wi-Fi 7対応端末であったとしても、同チップセットが搭載されていなければ、ARグラスとの分散処理ができない可能性がある。また仮に、同チップセットが必要とされない場合でも、それなりのハイエンドスマートフォンやPCが要求される可能性がある。

【図2】ホストデバイスはSnapdragon 8 Gen2搭載を前提にしている模様

【図2】ホストデバイスはSnapdragon 8 Gen2搭載を前提にしている模様
(出典:Snapdragon Summit 2022 Press Kit,
https://www.qualcomm.com/news/media-center/press-kits/snapdragon-summit-2022)

このように、Snapdragon AR2 Gen1で提案されているデバイス間での分散処理アーキテクチャーは、ARグラスの小型化・軽量化に大きな期待を持たせる一方、Wi-Fi 7に対応し、高性能なホストデバイスが必要となるなど、ハードルの高い前提条件のあるものとなっている。

ARグラスの小型化・軽量化を実現する「クラウドレンダリング」

ARグラスの小型化・軽量化では、Qualcommが提案するようなデバイスに依存しないソリューションも提案されている。それが、デバイスのデータ処理をデバイスではなく、クラウド上で実施する「クラウドレンダリング技術」である。同技術では、ARグラスから受信したデータの処理や描写処理などを強力なコンピューティングパワーを持つクラウドで実施し、クラウド上で処理されたデータをデバイスに送信する。言い換えれば、Qualcommが発表したSnapdragon AR2 Gen1におけるホストデバイスが、この場合「クラウド」となるのだ。クラウドレンダリング技術を活用すれば、ARグラスに搭載させるチップセットを含めたハードウェアを最小限にとどめることが可能となり、ARグラスの小型化・軽量化が実現できると期待されている。既に、NVIDIAの「CloudXR」や、Googleの「Immersive Stream for XR」[3]等がARグラス等のデバイスに対するクラウドレンダリング技術を提案している。

このように、クラウドレンダリング技術の開発・提供が進められるなか、同技術を活用するためにはSnapdragon AR2 Gen1と同様に一定の条件を満たす必要がある。それがARグラスとクラウド間の高速・低遅延通信である。。そこで注目されているのが「真の5G」と呼ばれている5G SA(スタンドアロン5G)の活用である。

5G SAによる「ネットワークスライシング」

2022年に入り国内外の通信キャリアが相次いで5G SAを開始している。5G SAでは、従来の4Gコア設備で4Gと5Gの無線設備を制御(5G NSA:ノンスタンドアロン)するネットワーク構成ではなく、5Gコア設備で無線設備を制御する構成となる。これにより、5G SAでは5G NSAよりも高速・低遅延の通信が可能になる(図3)。

【図3】5G NSAとSAの構成

【図3】5G NSAとSAの構成
(出典:GSMA「5G Implementation Guidelines」(2019年7月)をもとに情総研にて作成)

5G SAでは、この様なネットワークの基本性能の向上が実現できると同時に、ユースケースに最適化された通信品質の提供を可能にする「ネットワークスライシング」の導入が可能となる。従来のネットワークでは、すべてのユースケースに対してベストエフォートベースで同じ通信品質を提供してきた。ネットワークスライシングでは、ユースケース毎にネットワーリソースを最適配分することが可能になる。ネットワークスライングが導入されれば、例えば、ARグラスにおいてクラウドレンダリング技術を活用する場合、ベストエフォートベースではなく、必須とされる通信品質(高速通信・低遅延)を保証した通信サービスの提供も可能となる(図4)。既に通信キャリア各社においてもネットワークスライシング導入に向けた取り組みが進められており、KDDIは2024年までの実装を目指している。奇しくも2024年はWi-Fi 7が標準化される予定の年だ。

【図4】ユースケース別のネットワークスライス

【図4】ユースケース別のネットワークスライス
(出典:情総研作成)

ARグラスの小型化・軽量化の鍵はデバイス処理?クラウド処理?

Qualcommが発表したSnapdragon AR2 Gen1による分散処理アーキテクチャーは、ARグラスで課題とされている小型化・軽量化が期待できる技術だと言える。一方で、同社のチップセットが搭載され、Wi-Fi 7に対応したホストデバイスが必要になる点はユーザーにとって大きなハードルになる可能性がある。ネットワークスライシングを活用したクラウドレンダリング技術も、ARグラスを含む様々なデバイスで活用できるが、現時点では実用までに至っていない。Google Glassが発売されてから10年、その間幾度となく聞いた「AR元年」を実現するのが「チップセット」か、それとも「ネットワーク」か。今後注目していく必要がある。

[1] https://www.qualcomm.com/news/releases/2022/ 02/qualcomm-extends-connectivity-leadership-worlds-first-and-fastest-wi-fi-7

[2] https://eetimes.itmedia.co.jp/ee/articles/2011/05/ news070.html


[3] https://xr.withgoogle.com/

※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。

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