世界を変えるAI技術:スタートアップ企業の挑戦

1 はじめに
本稿は、本誌No.418(2024年2月号)に掲載した「世界を変える生成AI:機会、リスク、そして国際的対応の動向」の続編である。OpenAIのChatGPTが2022年11月に登場して以来、GAFA等の主要なIT企業が次々と市場への参入を宣言し、現在ではAIブームがさらに加速している。こうした状況の中、前回は世界各国のAI利用に関する政府の規制作りに焦点を当て、文化的背景、利害関係や国ごとの方針等の違いによる国際基準策定の難しさを垣間見た。一方で、各国では独自の法整備が進められている中、AI技術を活用する企業への投資も拡大している(図1)。また、最近では、AIの計算に不可欠なGPUを供給するNVIDIAの株式市場における時価総額が急上昇を遂げ、米国だけではなく、EUやアジアの経済にも大きな影響を与えた。このように規制と推進が同時に進行することは、AI市場の健全な成長に不可欠であると考えられる。

【図1】新たに資金調達を受けたAI企業数(国別・2022年)
(出典:総務省「令和5年版情報通信白書」)
本稿では、AI技術が私たちにどのような恩恵をもたらすか、そして、その恩恵を最大限に享受するために、EU、米国、シンガポール、インドと日本のスタートアップ企業がどのようなユニークな取り組みをしているかを紹介する。
2 AI技術を活用する各国・地域のユニークな取り組み
2.1 自動病気診断による医療の効率化を目指す(EU)
AI技術が社会に与えるリスクに対して慎重な姿勢を示すEUでは、法律レベルの規制を強化している。一方で、図1に示されるとおり、英国やフランス等の国々では、AI関連企業への投資が活発に行われている。
2016年に、臨床医とAI研究者によって共同創業されたフランスのOwkinは、がんをはじめとする疾患の診断にAI技術を活用し、人間とAIの最適な組み合わせを実現することで、すべての患者に最適な治療法を提供することを目指している。
同社は、様々な企業・団体等の組織やサーバーに分散されているデータセットを、分散させたままAIモデルの学習に利用する連合学習技術(Federated Learning)[1]を駆使し、異なる医療機関からのデータを移動させずに集めて、独自のAIモデルを訓練している。この手法により、データのセキュリティや患者のプライバシーが守られると同時に、大量の学習データを利用できるのでAIモデルの精度も高められる。また、新薬の開発、臨床試験のリスク排除・迅速化、新しい診断ツールの開発にもこの技術を応用しており、患者情報や専用データを保護しながら、サイロ化されたデータセットから価値ある洞察を得ることを可能としている。
さらに、同社は複数の研究機関と提携し、図2に示すような研究エコシステムを構築している。2024年2月には、Amazon Web Services(AWS)との提携を発表[2]し、生成AIツールを活用して、利用者のコスト削減を図りながら、より効果的かつターゲットを絞った治療法を迅速に発見・開発することを目指している。

【図2】Owkinの連合学習を利用した研究エコシステム
(出典:Owkin, “Pioneering AI to accelerate medical research,” NATURE biopharmadealmakers)
2.2 金融業界の効率向上と不正監視(米国、シンガポール、インド)
米国は、大統領令によるAI規制を強化する動きと並行して、グローバル市場でのリーダーシップを確保しようと努力している。図1で示されているように、AI関連企業への投資は世界で最も活発である。特に、金融業界の効率向上に向けた多様な取り組みが行われている。
2009年に設立されたZestAIは、銀行が融資の際に顧客の審査を行うプロセスにおいて、年齢や性別、職業や購買行動等、個人に関する様々なデータを分析し、個人の信用度を数値化する信用スコアリングのAIソリューションを提供している。このソリューションでは、顧客のクレジットヒストリーだけでなく、Web検索履歴、ソーシャルメディアの使用状況や電話使用データ等、今まで利用されてこなかった情報もAIで分析し、信用リスクを予測する。これにより、クレジットヒストリーが不十分な顧客に対しても、信用を提供することが可能になる。
また、同社は米国信用組合が消費者向け融資事業をより適切に管理し、変動する市場環境に対応できるように支援する新しい製品「Zest Portfolio Management」を2023年9月に発表した[3]。米国信用組合は、融資の申し込みからポートフォリオ分析に至るまで、Zest AIの実証済み技術を利用してリスク評価の精度を向上させることができ、顧客に対して最適な融資戦略を提案するための深い洞察を得ることが可能だ。
一方で、シンガポールはAIのリスクに比較的寛容な姿勢を取っており、特に金融分野での経済効果を獲得することに重点を置いている。不正な金融取引の検出に特化したAI技術を金融セクターに提供するThetaRayは、ビジネス向け国際支払いネットワークサービスを提供するNeemaとの提携を2023年11月に発表した。ThetaRayの先進的なAI技術を利用したCRA(顧客リスクアセスメント)(図3)とNeemaのリアルタイム支払いネットワークを組み合わせることで、取引の監視と制裁スクリーニングの機能を強化し、マネーロンダリング対策を向上させている。
また、シンガポールと同様に、インドでも金融分野でのAI活用が進んでいる。2015年に設立されたSignzyは、デジタル認証とコンプライアンスの領域で活動するスタートアップ企業である。同社は、顧客のデジタルアイデンティティを保護すると同時に、法的基準に合致するAIソリューションを提供している。世界中で増加傾向にある、なりすまし詐欺という課題に対して、KYC(Know Your Customer)市場の需要は高まっており、迅速かつ効率的なID認証手順が要求されている。
同社は、金融機関に向けて、AIを利用したスムーズな本人確認プロセスを備えたKYCコンプライアンスソリューションを提供している。これにより、異なるフレームワークにおける重複を排除し、金融機関が提供するサービスの効率を高めている。同社のソリューションには、高度なAML(Anti-Money Laundering)、スクリーニング、取引監視、効果的なチャージバック管理やコンプライアンス管理システムが含まれている。これにより、企業が規制要件を遵守し、デジタル詐欺を検出して防止し、そのビジネスの評判を守ることを可能にしている。
2.3 社会の安全を監視(中国)
セキュリティ監視とAIの組み合わせは、膨大な監視や認証データを効率的に扱う点で高い相性を持っている。しかしながら、大量の個人情報を取り扱うことから、社会の安全と安心を確保しつつ、個人のプライバシー保護とのバランスをいかに取るかは、大きな課題となっている。
この分野で中国を代表する企業の一つに、顔認証技術で世界的に名を馳せる2011年設立のMegvii Technologyがある。同社が開発したAI技術を利用した「Face++」はクラウドベースの顔認証プラットフォームで、中国の公安機関や銀行に採用されている。「Face++」では、どこにいても人の顔を追跡し識別することが可能で、犯罪防止等、様々な用途に活用されている。また同社は、個人情報の収集と処理において、透明性とセキュリティを最優先事項としている。例えば、一部のプロジェクトでは、データの収集方法や使用目的に関して、明確な情報の提供とユーザーからの同意を必要としている。
2.4 パーソナライズされるマーケティング(日本)
膨大な個人情報を分析して、個々の嗜好に合わせた効果的なマーケティングを行うことは、AIの活用に最適な分野である。
2017年に創業されたAIQは、機械学習とAIを駆使してマーケティングキャンペーンを最適化するソリューションを提供している。同社は、データの適切な管理と個人のプライバシー尊重のため、セキュリティ基準に準拠した取り組みを行っている。AIQの事業核心となるINSIDE TECH技術は、3つのAIソリューション(プロファイリングAI、販売力可視化AI、潜在顧客発掘AI)と生成AIを統合しており、これによってヒトの表層的な情報だけではなく、見えない領域も含めたあらゆる情報を利用しながら、新たな可能性を拓くことを目指している。
2023年10月、AIQはファッションアパレル・雑貨の企画製造小売事業を展開するパルとの提携を発表した。この提携のもと、「ファッションメイト」というスタッフDXの実証実験を開始する。これは、店舗のインフルエンサースタッフをベースに、実際のスタッフと会話しているかのようなショッピング体験を顧客に提供するものである。「ファッションメイト」は、AIQのプロファイリングAIと生成AIを組み合わせて生成され、店舗スタッフが「Instagram」に投稿したデータを分析し学習する。これによりスタッフの価値観、ライフスタイル、嗜好、表現方法を理解し、まるで本人が行うかのような投稿やコミュニケーションを実現する。
3 まとめ
AI技術の社会実装において、最大の懸念の一つは、取り扱う膨大なデータの安全性を保証することである。企業にとってはこうした課題に対応し、政府が定めた規制に順応しながら、いかにAI技術がもたらす新たな機会を掴むかが重要である。このような背景のもと、特に技術力の高い新興スタートアップ企業によるトライアンドエラーが世界中で活発に行われている。
本稿では、AIの社会実装に取り組む各国のユニークなスタートアップ企業の事例を取り上げてきた。これらの企業は、AIの強みであるデータの収集・分析能力を駆使し、特定の業界における業務効率化を通じて新しい価値を生み出している。また、扱うデータの機密性と個人のプライバシーの保護にも注力し、適切な対策を講じている。AI技術の社会実装においては、こうした特定分野への応用を模索する企業がある一方、AI技術を応用する企業に対して、学習モデル/学習用データ、検証/評価サービス等、開発に必要な様々な製品やサービス、ナレッジを提供し、ビジネスの拡大を下支えする企業の活動も世界中で活発化している。
本稿で紹介したような企業活動を通じて、AI技術を中心とした新しい業界が急速に形作られていくと同時に、様々な潜在的な課題もこれから浮彫りになっていくだろう。そのため、国際的なルール作りの重要性が一段と高まっていくことは必然であり、健全な市場競争環境が整えられていくことを期待している。
[1] MSIISMによると連合学習は、学習データセットが分散している環境での機械学習モデルの汎用的な学習法の一つ。一般に機械学習における成功のカギはなるべく多くのデータをモデルに学習させること。(https://www.msiism.jp/article/federated-learning. html)
[2] Owkin Press Release, “TechBio Unicorn Owkin Teams Up with AWS to Advance Generative AI for Precision Medicine,” Feb. 8, 2024
[3] PR Newswire, “Zest AI Unveils New Post-origination Risk Analysis Product to Help Credit Unions Navigate Turbulent Economic Conditions,” Sep. 12, 2023
※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。
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